第14話 美咲の犯行計画

 雲一つない晴天に、今日も気温は上がりそうだ。


 ダイニングに差し込む光は眩しくて、目を細めながら俺は椅子に腰を下ろす。

 目の前には、焼きたてのトーストとスクランブルエッグ。それと、まだ湯気を立てるマグカップ。


「……今日、何時に帰ってくる?」


 そのとき。カタリと食器の音と重なるようにして、美咲の声が落ちた。


 何気ない質問。──のはずだった。

 だけどその声音には、どこか“詰め寄る”ような調子が含まれていて、俺は一瞬だけ言葉を選んだ。


「たぶん五時前には。寄り道しなければ」


 そう、寄り道さえしなければ──

 ……まあ、するつもりだけど。


 魔石の換金と、明日の探索に向けた買い出し。本当は帰り道で二箇所ほど寄る予定だ。けど、わざわざ言うことでもない。


 “いつも通り”で流した。それだけだ。


「そっか。……うん」


 美咲は、それ以上何も言わなかった。

 けれど、口元に運ばれたトーストの動きが──ほんの少しだけ、遅れていた。


 違和感。言葉にはならないが、確実に感じる“ズレ”のようなものが、そこにあった。


「……何かある?」


 試しに訊いてみる。


「ないよ」


 即答。表情も変えずに。


 けれどその目は伏せられたまま、皿の縁を指でゆっくりとなぞっていた。考えごとをしているときの癖。無意識に出るやつだ。


(……なにか、引っかかってる?)


 そういえば、昨日の夜。特集の続きを見ていたとき──あのときの美咲は、ずっと黙っていた。


 19歳、Sランク探索者。


 大型のドラゴンを討伐し、剣神スキルの持ち主として称賛される少女。

 あの映像を前にして、美咲はほとんど瞬きもせず、ただじっと画面を見つめていた。

 いつもの彼女なら、もっと何か言葉を返すはずだったのに。


「……行こっか」


 唐突に椅子を引く音。制服の襟を直して立ち上がる美咲の姿には、もう迷いはなかった。

 俺も黙って後を追い、鞄を肩に引っかける。ふたり並んで玄関へと向かい、靴を履いた。


 その間、会話はなかった。


 けれど、その沈黙こそが──妙に重く感じられた。

 玄関のドアを開けると、真夏の朝らしい熱気が一気に流れ込んでくる。けれど、身体より先に火照っていたのは、たぶん胸の内側だ。


(……なんなんだろ、あれ)


 気のせいか。……いや、違う。


 家を出て、並んで歩く。いつも通りの道。

 けれど今日の“隣”は、まるで誰かの影をなぞっているような──そんな不確かさがあった。


 目の前にいるはずの美咲が、すぐ横を歩いているのに、どこか遠くに感じられる。

 振り返れば何かが崩れてしまいそうで、俺は前を向いたまま歩き続けた。




 黒板の文字が、いつもより滲んで見えた。先生の声も、教室の壁を通して聴いているような遠さがある。


(……集中できてないな)


 ノートを開いていても、手が止まる。何を考えているわけでもない。けれど、頭のどこかで引っかかっていた。


 朝の登校。すれ違いざまの空気。美咲の目。歩き方。声をかけなかった自分。

 それら全部が、記憶の端にこびりついていた。


 チャイムが鳴る。教室のざわめきが一気に膨らむ。


「っしゃー、昼だー」


「三谷ー、購買ダッシュよろしくー」


「任せろ、勇者様よ」


 いつものやりとりが、いつも通りに流れていく。俺は椅子から立ち上がり、廊下に出た。

 ほんのわずか、冷たい空気が頬を撫でる。

 その瞬間──反射のように、視線が横の教室へ向いた。


 扉が開き、美咲が出てくる。


 目立たない身長。揺れる黒髪のセミロング。教科書の束を胸に抱えて。

 その姿に、何か特別なものがあるわけじゃない。けれど、目が離せなかった。


 誰かと話している様子はない。目線は前だけを見て、歩みもブレない。

 まっすぐ。淡々と。まるで、何かを背負っているみたいな背中だった。


 声をかける理由なんてない。ただ、すれ違いながら、無意識に目だけが追ってしまう。


 ──振り返らない。たぶん気づいていても、そのまま行く。それが美咲という人間で。


 だからこそ、どこか刺さる。違和感ってほどでもない。

 でも、“何かが変わった”ことだけは──肌でわかる。


(……まあ、別に)


 思考を断ち切るように、小さく息を吐いた。

 そして、何事もなかったように教室へと戻る。




 午後の授業は、もうすぐ始まる。


空気は、いつもと変わらない。黒板の前に立つ先生。ぼんやりノートを取るクラスメイト。

 窓から射す陽射しは、平日の教室にふさわしいぬるさで満ちている。


(……でも、今日は違う)


 昨日の夜。お風呂で考えて、全部、決めた。

 ただ黙ってるだけじゃ、もう意味がない。


 “私も行く”。

 

 それが、今日の計画。陽斗は今日、魔石を換金しに行くはず。


(その間に……計画を実行する)


 時間との勝負。案内はプニに頼もう。「お願い」って言えば、きっと、ちゃんと案内してくれる。

 多分、断らない。……というか断らせない。

 持っていくのはスマホと──包丁は、帰ってから。キッチンにあるやつを借りよう。

 

 自分の席でノートを開いたふりをしながら、スマホのメモを頭の中で繰り返す。


 ・陽斗が戻る前に、ダンジョンへ。

 ・プニに協力してもらう。

 ・魔物を倒してスキルを手に入れる。

 ・どんなスキルが出るか確認する。

 ・陽斗が何してるか、確認しておきたい。


(……バレたら、どうしよう)


 もちろん、考えてないわけじゃない。

 陽斗に知られたら、たぶんすごく怒られる。

 “そういうの、やめろ”って、絶対言われる。


 でも──だったら尚更、黙ってやるしかない。


 私は、ただの“おまけ”でいたくない。隣にいたいって思うなら、それなりに手を汚す覚悟くらい、要る。


 昼休み。教室を抜けて、廊下の奥の非常階段へ。誰もいない空間で、小さく息をつく。


(プニさえ協力してくれれば、なんとかなる……)


 陽斗がいない間にダンジョンへ、内部確認、最低限の探索──

 スキルさえ手に入ればそれでいい。


(……必ず、成功してみせる!)


 心の中でそっと呼びかけて、スマホを握る手に力を込めた。


 ──バレなきゃいい。それだけの話。




放課後、昨日の魔石を換金する為、ダンジョン管理局・換金所にやってきた。


 自動ドアをくぐると、受付カウンターには制服姿の職員が並び、淡々と業務をこなしている。

 その中に──ひときわ印象に残っている女性がいた。


(……前に、プニの登録を担当してくれた人だ)


 長い髪を後ろでまとめ、制服をきちんと着こなした女性職員。

 整った顔立ちに柔らかな笑み。名前はまだ知らない。けれど、表情や声のトーンだけで、なぜか“安心”を感じる。


 俺が受付に近づいた瞬間、彼女が顔を上げた。


「あっ……こんにちは♪ 確か・・・ひなた君、ですね」


 その声は、明るく、それでいてどこか“人を見ている”響きを持っていた。


「……名前、覚えてたんですか」


「もちろんですよ? あのあと、“プニさん”はちゃんと落ち着いてますか?」


「ええ。今も元気です」


 にこっと微笑んで、彼女──水瀬琴乃は端末に手を伸ばす。


「今日は換金ですね? お預かりする魔石の数をお願いします♪」


「ゴブリン、62個です」


「ろ、ろくじゅうに……!? すごっ、ひなた君、すっかり一人前ですね〜♡」


 驚いたように目を見開いたあと、琴乃はぱっと笑みを深くした。

 けれど声に驚きや詮索は含まれない。ただ、心からの感嘆と柔らかい敬意だけが滲んでいた。


「では、端末で確認しまーす……はい、62個、すべて正常に読み取りました。単価は1個500円ですので……合計で──」


「……31,000円」


 先に口にした俺に、琴乃が目を細めて笑う。


「正解♪ ちゃーんと覚えてますね。ひなた君、優秀♡」


 冗談めかした口調。けれど、そこには“覚えられている”という温かさがあった。


「それでは……お渡ししますね、31,000円。──はい、こちら封筒です」


 手渡されたそれは、現金の重みをしっかりと感じさせた。

 ……重みだけじゃない。今日の作業と、少しの達成感。

 そのすべてがこの紙の束に詰まっていた。


「お疲れさまでした。プニさんにもよろしくです♪」


「……はい」


 封筒をポケットに収め、踵を返す。


 けれどその背後から、もう一度やわらかな声が届いた。


「──ひなた君っ♪」


 振り返ると、琴乃が笑顔のまま、ほんの少しだけ体を前に乗り出していた。


「ふふっ、また来てくださいね!楽しみにしてますからっ♪」


 やわらかな声と、制服越しに揺れる名札──“水瀬 琴乃”。


 換金所を出ると、夕陽が街を赤く染めていた。

 ポケットの封筒よりも──彼女の声の余韻が、まだ耳に残っていた。


 陽斗は換金所を出た足で、買い出しへと向かった。

 購入した食料や荷物はすべてアイテムボックスに収納し、周囲の目は気にしない。

 必要なものは揃った──今夜、また一歩“ダンジョンの先に進む。




玄関の鍵を開けて、そっと扉を閉める。

 ただいま、と口には出さなかった。誰もいないのは分かっていたから。


靴を脱ぎ、廊下をまっすぐキッチンへ向かう。

──包丁は、今朝のうちに確認していた場所にそのままあった。


迷わずそれを取り出し、鞄にしまう。


(準備完了、次は・・・)


 陽斗はまだ帰っていない。靴もなかったし、リビングの空気が静かすぎる。


 そのまま制服姿でプニを探す。 鞄をリビングの椅子に掛け、プニに聞こえるように呼びかける。

 

「プニ……どこにいるの、ねえ。時間ないんだけど、返事くらいして」


 家の中にいるあのスライム。陽斗に懐いているのはわかってる。

 でも──一度でも言うことを聞いたなら、それで十分。

 断る余地なんて、与えるつもりはない。


 部屋の隅──テレビ台の横で、スライムが丸くなっていた。

 カーテン越しの光の中、ぷるんと揺れて、こちらを見た。


 「……プニ」


 声をかけると、すぐに身体がひとつ震える。返事のように。

 美咲は数歩だけ近づいて、目線の高さを合わせるようにしゃがみ込む。


 「これから、物置に行く。中のこと……教えて。お願い」


──ぽとん。


 プニはしばらくじっと美咲を見つめ──やがて小さく、もう一度だけ跳ねた。

 肯定とも否定とも取れないその反応に、美咲はふっと目を細める。


 「……うん、それでいい。すぐに行くけど、協力してくれるってことで、いいよね」


ぽよん、ぽよん。


 立ち上がり、スマホを制服のポケットに押し込む。

 靴箱の前でスニーカーの紐を引き締める。


 玄関の扉にはまだ触れていない。けれど、すでに心は決まっていた。

 ひとつ息を吸って、ゆっくり吐く。


 ──あとは、扉を開けて、裏へ回るだけ。


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