第6話 義妹と親友と、午前中
月曜の朝。目覚ましが鳴る数秒前、俺は自然と目を覚ました。
昨日の出来事──プニが“食事”をしたこと、ゴブリンの出産、そして“牧場”として見えてきた運用体制。
それらが頭の中でざわめいていて、どうにも落ち着いて寝ていられなかった。
部屋の隅に目をやると、プニがいつものように静かにぷるぷると揺れていた。
丸くなって眠っているようにも見えるが、俺の視線に気づいたのか、ゆっくりと反応する。
「……おはよう、プニ」
返事はないが、微かに身を揺らしたその動きが、返事代わりのように思えた。
着替えを終え、鞄を肩にかけると、プニに一言だけ声をかける。
「いい子にしてろよ。夕方には戻るから」
プニは静かに揺れて応えた。
俺は軽く深呼吸して部屋を出る。居間ではすでに朝食の支度が整っていて、食卓には家族が揃っていた。
「おはよう」
「おはよう、陽斗。プニは?」
「部屋で寝てる。昨日からずっと大人しいよ」
母は「そう」と安心したように笑い、父は新聞を読みながら軽くうなずいた。
美咲は、味噌汁をすする手を止めてこちらを見た。
「昨日のスライム、何か変わった?」
「いや、特には。でもちょっと考えてることはある」
それ以上は言わずに、箸を進める。日常の空気と、非日常が交差する妙に静かな朝だった。
朝食を終え、食器を流しに運んで支度を整える。
制服の襟を正しながら玄関に向かうと、美咲があとから追いついてくる。
「いってきます」
「気をつけてな」
母の声を背中で受けながら、俺たちは家を出た。
⸻
月曜の朝。登校時間ぎりぎりで俺は美咲と並んで家を出た。義理の妹とはいえ、同じ制服を着て同じ道を歩いてるだけで、なんだかんだ奇妙な気まずさがある。
家を出てしばらく、並んで歩く。通学路の途中、美咲がふと口を開いた。
「……昨日の夜は、結局ずっとプニの様子見てたの?」
美咲が横目でちらりと見てきた。
「まあな。おとなしかったけど、ちゃんと“食べる”ってわかったのはデカい」
俺はぼそっと返す。スライムに白米を吸収させたあの瞬間が、今も頭に焼きついている。
「ふぅん……」
美咲はそれ以上なにも言わなかったけど、どこか納得したような顔をしていた。少し歩いてから、小さく一言。
「今日、帰ってきたら報告して」
「ああ、わかった」
駅前のロータリーで別れ、電車に乗り込む。教室に着いたのはチャイムの直前だったが、クラスの連中はもう日常の空気に戻っていて、俺だけが取り残されてるような感覚を覚えた。
電車に揺られながら、俺はスマホをぼんやり眺めていた。
アプリを開くでもなく、ただロック画面を見つめている。頭の中では、昨夜までの出来事が何度もリピートされていた。
(……あいつらをどう管理していくか。ちゃんと形にしていかないとな)
最初はただの異変だった。それが今では、俺の生活の中心に変わりつつある。
最寄り駅に着いて、改札を抜け、校舎の見える坂道を登っていく途中──
「おーい! 陽斗ー!」
正面から手を振りながら駆け寄ってくるのは、三谷隼人。俺の中学からの親友で、典型的な熱血タイプの男だ。
「ギリギリじゃねえか、遅刻するぞ!」
「お前もな」
自然と並んで歩きながら、教室に向かう。教室前までくると、三谷がニヤリと笑った。
「で? 昨日の休日、何してたんだよ。お前から連絡くるかと思ってたのに、ずっと音沙汰なし」
「ちょっとな。……あー、まあ、家のことでいろいろ」
「またなにか企んでるのか? お前ってさ、なんか地味に裏で面白いことやってんだよな」
苦笑いしながら肩をすくめる。三谷のこういう勘の鋭さは時々やっかいだ。
とはいえ、こいつに全部を話すつもりはない。まだ、俺の中でまとまってない部分も多い。
「お前こそ、最近ひとりで鍛錬してるって聞いたぞ。“探索者”になるって話、まだ続いてんのかよ?」
「当たり前だろ。早く資格取りてぇけど、誕生日的にまだだしなぁ。……でもそのぶん、準備と実践で差をつけるつもりだぜ?」
拳を握って語るその姿はなんというか、正統派すぎて眩しい。でも、それが三谷らしくて、俺にはできない道の歩き方でもある。
「まあ……お互い、やるべきことは違うけどな」
「だな。──でもそのうち、一緒にダンジョン行く日も来るかもな」
そう言って三谷は笑い、肩を軽く叩いてきた。俺も、少しだけ笑い返す。
「さ、1限目現代文だぞ先生こえーからな。寝んなよ?」
「そっちこそな」
(一緒に、か。その日が来たら……俺は、どこまで進んでるだろうな)
そんなことを思いながら、俺たちは教室のドアをくぐった。
始業のチャイムまであと数分。間もなく、1限目の現代文が始まろうとしている。
授業中、黒板に文字が並ぶのを横目に、俺は教科書の影でノートの端に書き込みを続けていた。
(まずは、ダンジョンの整備。まずは“繁殖用の区画”と、“処理用の区画”をきっちり分けないと。昨日までのやり方じゃ限界がくる)
今はまだ、仮のスペースがあるだけ。繁殖で生まれた個体と、処理対象を分けていくには──最低でも「仕切り」と「道具」が足りない。
(夕方までに、木材・スコップ・ロープあたりは買い出し。飼育ゴブと一緒に整備する予定だ)
一見、ただの授業中。だが俺の頭の中はすでにダンジョンに向かっている。けど、俺にとってはそれが現実で、目の前の授業よりもよっぽど重要だった。
(繁殖確認、環境整理、魔石の換金……やることは山ほどある。生まれた個体の管理も始めないと)
プニが食事をとることも確認できた。あれは“スキルの命令”じゃなかった。つまり、環境次第では魔物たちが自発的に動けるということだ。
(昨日倒したゴブリンは17体。回収した魔石、全部売れば──たぶん、そこそこの金になる)
頭の中で収支をざっくり計算しながら、今日のやることをノートにメモする。
・環境整備の実行
・処理部屋の補強
・ゴブリンの繁殖状況確認
・今後の分娩と処理計画の立案
──そして2限目の数学。状況は変わらなかった。教科書を開いたまま、ノートには図や数式ではなく、木材の寸法と区画レイアウトの簡易スケッチが並ぶ。
(……作業スペースを2つに分けるなら、幅はこのくらいか。餌の置き場も、隔離できる構造にして……)
チャイムが鳴った瞬間、ようやく現実の教室に引き戻された。
(午後、帰ったらすぐに動く。今日のうちに形だけでも組み上げる)
チャイムが鳴ると同時に、教科書を閉じた。
ふと気配を感じて顔を上げると、隣の席の三谷がじっとこっちを見ていた。
「なに」
「いや……お前、今日ずっと何か考えごとしてんだなって思って」
「……してないけど」
「ウソつけ。3限目、先生の板書まるっとスルーしてたぞ」
そう言いながら三谷は自分のノートをひらひらと見せてくる。きっちり写された現代文のまとめ。
一方の俺のノートは、ほぼ空白だ。代わりに、ページの端にごちゃごちゃと走り書きしたメモだけがある。
「なにこれ。“捕獲枠”って……なんの話?」
「……ただのメモ。家の猫が脱走しないように、柵の構造ちょっと見直してて」
「猫飼ってたっけ?」
「いや、仮定の話」
三谷は一瞬だけポカンとしたあと、なんか笑い出した。
「お前ってさ、ほんと時々意味わかんねー方向に熱中してんのな」
「自覚はある」
「でも、そーいうときのほうが、お前って生き生きしてる気がする」
言われて少しだけ返事に困る。
三谷は机から離れると、鞄からペットボトルを取り出してキャップを開けた。
「まあ俺も、たまに道場で木刀振ってる時だけ、“あー俺、生きてんなー”って思うし」
「へぇ。珍しく詩人みたいなこと言うな」
「バカ、茶化すなって」
口ではそう言いながら、どこか楽しげだった。その空気にほっとしながら、俺はペンを置いた。
「……三谷」
「ん?」
「たとえばさ、自分のやってることが間違ってないってどうやって確かめてんの」
「……確かめられたら苦労しないだろ」
少しだけ間を空けて、三谷は静かに言った。
「でも、“やめたら後悔しそう”って思ったときは、とりあえず続けてる。俺はな」
「──なるほど」
その答えが、妙に納得できた。
「──さて、次体育だっけ? 外、晴れてるといいけどな」
「確か……合同だよな。D組と」
「お前のとこ、義妹いたよな? ……あれ、今の俺、ちょっと探り入れたっぽく聞こえてない?」
「聞こえてるな」
「……ちげーよ、そういうんじゃねーからな!? いやマジで! やめろ、そういう目!」
あたふたする三谷を見て、思わず苦笑いがこぼれた。
「早く着替えに行こうぜ」
「だから俺はやましくないって言ってんだろ!」
そう言い合いながら、俺たちは体育館へと向かう。気づけば、頭の中の雑音は少しだけ静かになっていた。
体育館への移動中、D組の列に見覚えのある後ろ姿を見つけた。
黒髪をゆるく一つに結んだセミロング、小柄な体格、やけにピンと伸びた背筋──綾瀬美咲。義理の妹。
「……いたな」
なんとなくそう呟いたのを聞きつけて、隣を歩く三谷が顔を寄せてきた。
「なー陽斗、やっぱあの子が妹ちゃんだよな?」
「“ちゃん”付けやめろ。……まあ、そうだけど」
「うわ、やっぱ可愛い。あの目つき、冷たすぎて最高。ツン系の極みって感じ。俺、ちょっと刺されたいかも」
「勝手に刺されてろ」
三谷はからかい混じりに笑いながらも、視線はしっかりと美咲を追っていた。
いつもどおりの冗談──だと思っていたが、その目にどこか含みがあった。
体操着に着替え、出席番号順に並ぶと、ちょうど俺と美咲は同じ班になった。
ペアでバスケのスリーマンを組むよう指示される。運がいいのか悪いのか、三谷も同じチームだった。
「今日、私そっちだから。ちゃんと動いてよね、兄さん」
美咲が、俺のジャージの袖を無言で引っ張る。
「……なんだよ」
「ほつれてる。……縫っとこうか?」
「いや、自分でやるよ」
「ふーん。じゃあ、直し方くらいちゃんと覚えて」
そう言いながら、美咲は俺の袖を手早く整えると、目も合わせずに離れた。
「……なんだあれ。やけに手馴れてるな」
「お前さぁ」
ぼそっと三谷がつぶやく。
「無自覚なの、わざとか?」
「は?」
「なんでもない。俺が間に入らなかったら、あいつ絶対あれ以上何も言えないだろうな〜って話」
「何が言いたいんだよ」
「気にすんな。見てればわかるから」
三谷はニヤニヤ笑いながら俺の肩を叩く。こいつがそういう笑い方をするときは、たいてい何か裏がある。が、いまいち読めない。
練習が始まり、三人一組でドリブルからのレイアップを繰り返す。俺、美咲、三谷という順番でぐるぐると動く中、何度か美咲のパスを受け損ねた。
「……兄さん、何してんの。こっち見てなかったでしょ」
「いや、見てたけど──ちょっとタイミングが」
「そっちは悪くない」
パスがやや強めだったにもかかわらず、美咲は淡々とそう言った。
「そもそも受け損ねるの、兄さんくらいだし」
「……なんでそんな怒ってんだよ」
「別に怒ってない。ちょっと気になっただけ。……それだけ」
その言葉に、俺は「そうか」とだけ返した。だけど横で三谷が盛大にため息をついたのが気になった。
「なあ陽斗。お前ってさ、昔から論理的で、観察力あって、相手の癖とかすぐ気づくじゃん?」
「……まあ、たぶん」
「でもそれって、相手が“本音を出してるとき”限定なんだな。今のお前、完全に鈍感系主人公だぞ」
「何の話してんだよ」
「うん、やっぱ無理だなこりゃ。……よし、美咲ちゃん! 俺と組んでみようぜ!」
いきなりそんなことを言い出した三谷に、美咲は顔を上げる。
「は? なんで?」
「だって兄貴が使えないなら、俺がもらうしかなくね?」
「……別にどっちでもいいけど。あなた、パス受け損ねたら叩くから」
「こっわ。でもいい、ぜひお願いします!」
三谷はうれしそうに俺の隣を離れ、美咲とポジションを入れ替えた。代わりに俺は他の男子と組まされ、しばらく二人の様子を遠目に眺めていた。
──俺が見た限り、美咲はちゃんとパスしていたし、三谷もよく動いていた。ただ、さっきよりほんの少し、楽しそうに見えたのは気のせいか。
(……ま、機嫌は直ったっぽいな)
そんな風に思いながら、俺は次のターンへと入っていった。
けれど、遠くで三谷と美咲が何か話しているのを見て、なぜかほんの少しだけ、胸の奥がざらついた。
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