私に名前を。
壁から生えた飴
File1
「さむっ、少し暖房強めてくれよぉ」
「……」
移動中の軍用車の中で、そんな会話が繰り広げられる。
綺麗に切り揃えたショートヘアが、車の空調でなびいている。
大佐である私が運転し、部下のリツ少佐が助手席で外を眺めている。
いつもと変わらない、毎日こなすルーティンワークみたいなものだ。
通常であれば階級が下のリツ少佐が運転するのが作法だろう。
しかしそうはいかない事情があるのだ。
「おい、無視するなら勝手に……」
しびれを切らしたリツが、車の温度調節ダイヤルをグッとひねった。
風量が少しだけ強くなった。
私はすかさず運転席から手を伸ばして、ダイヤルを戻す。
「はぁ? 嫌味かよ」
リツは不機嫌な態度を、隠さずぶつける。
右目を完全に隠すようにまかれた包帯とは、別の方の目だけでも充分な気迫だ。
隊長はそんな彼女をいさめるように口を開く。
「暖房強めると、燃費悪くなるの知ってるだろ? どこもかしこも物資不足なんだから協力してくれよ」
「じゃあ隊長の上着貸してよ」
一応は理解してもらえたようだが、どうしても寒いらしい。
隊長は膝に敷いていた自分の上着を、リツに渡した。
満足してもらえたのか、リツは落ち着いて静かになった。
地図を片手にハンドルを握る。今一度自分たちの立ち位置と、役目を無意識に脳裏でなぞる。
我々第7部隊の任務は、山口県の航空基地の防空レーダー、各種装備の復旧作業である。
外に出ることが許された我々は、全国を回っては基地の修理や、部品の回収、時には運用などをやらされていた。
高速道路は使わなかったが、ようやっと広島県も抜けてきた。もともと高速道路があったであろう場所は、コンクリートの柱とトンネルだけになっている。道もでこぼこで軍用車両でないと、一日で故障しそうな感じだ。
少し開けた道に出れた。その先に滑走路や施設が見えた。
目的の岩国航空基地だ。
リツに声をかける。
「見えてきたぞ」
横で眠そうな目をこすりながら、欠伸をしている。
こいつは本当に少佐なのかと思いながらも、その動作は彼女らしいとも感じた。
アクセルを踏み込みながら、リツに友軍部隊への通信を任せた。
「全体。こちら1号車、基地が見えてきた到着まで約10分。基地周辺にはスラム街が形成されている。とりあえず何もせず基地までついてこい。返答不要。」
車がスラムに差し掛かった。
トタンや焼けた家屋の残骸、場所によっては木の枝葉をつかって人が暮らしている。
その中に見え隠れする人間は、ほとんどがやせ細っていたり、やけどの跡が痛々しく残っている。
くわえて誰も日光のしたに出ようとしてこない。
以前の核戦争で、オゾン層までも破壊された影響だ。
♦
2035年ごろ、世界は資源の奪い合いに躍起になりはじめた。最初の火種もそのころに灯った。
ヨーロッパあたりで小競り合いが始まった。普通の戦争ではない。冷戦の時の代理戦争の延長戦が始まった。
ロシアとアメリカという超大国は、戦争という手段でしか資源の奪い合いを解決できないと考えていた。
2040年ごろには核が使われ始めた。最初に使った国はわからない。両国共に『相手が最初に打ってきた』の一点張りだった。
戦火はヨーロッパだけでなく、中東、そして東アジアの朝鮮半島までやってきた。
アメリカの同盟国だった日本も、補給の経由地として徐々に世界の戦争に巻き込まれ始めた。
米軍は新兵器を開発した。
EMPいわば電磁波を発生させる兵器、これを使うと一帯のデジタル機器はすべて破壊されてしまうという高度にデジタル化された現代社会においては無類の強さを持つ兵器だった。
この新兵器は、北朝鮮に向かって最初に使われた。
北朝鮮の通信は民間、軍事、すべてが途絶えた。
これは世界に大きな誤解を与えた。北朝鮮が核で滅ぼされたとロシア側は受け取り、すぐさま報復を開始、世界の戦争から戦術核が消えた代わりに戦略核が世界中の都市に降り注いだ。
日本も標的になり、日本のほとんどの領土が汚染された。
2045年ごろにはもうすでに地上にいる人間は激減していた。人間がいなくなったおかげで、戦争も沈静化していった。
今地球上では何人くらいの人間が無事でいるのか、政府の試算では2割といったところらしい。
♦
「おーらい、おーらい」
車両をすべて、岩国基地の中に停めた。
整備担当の兵士がこちらに一礼し「では予定通り作業を実施します」
私も一礼し、彼は基地の中へ入っていった。
数年は人が入っていないようで地面も机も、積もれる場所にはこれでもかと粉塵が積もっている。
「なぁ、あれって」
リツがこっちに駆け寄って、話しかけてくる。表情からしてあまり穏やかな内容ではないようだ。
リツの視線の先には基地外周のフェンスにしがみついたまま死んでいる死体がいた。
何年たったのかわからないが、一部は腐らずにまだ肉が残っている。
よく見ると銃で撃たれた傷が複数あった。
「多分この基地に居たやつらが撃ったんだろう」
「国民を守る兵士が、なぜ自国民を……」
リツは目を伏せていう。
「撃たなきゃ守れなかったんだろ、実際には見てないからわからない」
日本各地が核攻撃を受け、人々は地獄を経験した。
人の命の選別、助かるものだけを助ける。
フェンスにしがみついてるのは、助からない者だったのだろう。
私はリツの手をつかんで基地の中に入る。兵士だとしても、死体を眺めているのは気分がいいものではないから。
中に入ると整備は着々と進んでいた。
電源が入りそうにないくらい、ホコリをかぶった機械たちも、ランプを点灯させて動作していた。
「この基地の監視装置はほぼ無傷です。あとは動作確認程度ですが、少しお時間をください」
「わかった。我々には別の任務がある、ここは君たちに任せる。班を分けて行動しよう」
整備兵は少し背筋を伸ばして礼をしてきた。
その時通信が入った。
『司令所より作戦行動中の1-1へ、送れ』
『こちら1-1』
『司令所より1-1へ、旧下関基地のセンサーより人感センサーに引っかかったやつがいる。中共残党との戦闘も予想される。現地調査に急行せよ。返答不要』
冷徹な声が私たちを急かしてくる。
すぐさま頭の中で、考えをまとめてみんなに伝える。
「よし、第2班はここで整備を続行、なんかあったら無線で呼んでくれ。第3班は2班の護衛。1班は私と一緒に下関基地までいくぞ」
「えー! また移動ですか隊長ぉ!?」
リツは不満そうにうなだれる。
だが、ついてきてくれるのはわかってるので無視しておく。
私は車に戻ってすぐにエンジンをかけた。
また下道移動かと思うと若干溜息が出そうになるが、部下もいるので今は抑えておく。
助手席にリツが乗り込んで、乱暴にドアを閉めるのを確認した。
「各員へ、敵がいるかもしれん。一応銃は撃てるように」
「了解。まぁ残党軍なんてたかがしれてるでしょう」
「まぁ用心しておけ、何がでてもいいように」
たった2台の車両で、隊員も私を含めて8名。あんまり万全の人数ではないが、私たちは車を下関へ向かわせた。
基地の入口を出るとき、スラム街から煙が上っているのが見えた。注意してみるといたるところで燃えた黒い場所が点在している。
私がそれを見ているとリツが、
「きっと弔ってるんだろうな」
同じことを考えていた。
きっとスラムで死んだ人の火葬跡だろう。
私はどこか悲しいような、それをどこか達観しているような気分の中、人の焼ける匂いを少し感じながら岩国基地を後にした。
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