第8話:猫の家族(民兵キャンプ)

「よいしょっ……ここに置いてていいですか?」

「悪いねぇ、サクラちゃん。こんな雑用させちゃって」

「任務、なので」


 私は隊長から、現地民兵への補給物資の運搬。

俗にいう”荷物運び”を命じられていた。

いつも行動するときにはリツ少佐や、隊長が居た。

しかし今回は、民兵の人しかいない。周りに知り合いが居ない状況は、緊張してしまう。

 今は段ボールを運んでいる。

食料やら、毛布、様々なものが入っていて、段ボールによって重さが全く違う。

 

「じゃあ、台車取ってくるから、ここに居てね」


 民兵の女性は、そう言ってどこかへ行った。

話してる感じは、物腰が柔らかい女性だ。しかし身に着けてる服は、”ここ”の過酷さを物語る汚れや傷が、無数についていた。

それを見てから、自分の服に目をやった。


「……」


 先日の戦闘で、傷は少々在れど、比較的綺麗だ。袖に穴も開いてないし、布の端が糸くずだらけでもない。

私はまだ恵まれてるほうなのかな。

と彼女の服装と比べて、そう思ってしまった。


「あ、こっちこっち、ほら!」

「ねぇ、大きい声出さないでよぉ」


 幼い声が聞こえてくる。声のほうに目をやると、男の子と女の子が猫と遊んでいた。

女の子は腰を屈めて、猫を撫でている。なんとも微笑ましい光景だ。

と思っていると、足に何かが触れる感覚がした。


「ん?」

「(にゃー)」

「猫? んふふ……」


 先ほどの猫とは違う、黒猫が私の足に胴体を擦り付けていた。

思わず私も、その猫に手を伸ばす。


「(ぷいっ)」

「あ……」


 猫が1メートルほど、飛び上がるようにして逃げてしまった。

でも、撫でたい。かわいい。

そういう感情が沸いてくる。


「お、おいで~」


 手を差し出して、向こうが来るのを待つ。

猫はこちらと目を合わせて、ジッと見つめる。

数秒、数分、どれくらい経っただろうか。

長い膠着の後、猫はのそのそと歩いてきてくれた。


「(……)」

「よしよし……」


 手袋越しでもわかる、猫の毛並み、体温。

すべてが愛らしい。

初めての感情だ。何かを愛おしい、守りたいという気持ちは。

 そこに台車を押して、小走りで帰ってくる少女が見えた。

 

「あ、おかえりなさい」


 猫から手を離す。

ちょっと名残惜しい気もする。


「じゃあ、段ボール積んでいきますね……えっと……」


 そういえば名前を聞いていなかったことに、今気づいた。


「私、ナナって呼ばれてるの。呼び捨てでいいよ」


 彼女はそう言って、私と一緒に台車に荷物を載せ始めた。

重い段ボールを持ち上げて、下す。

その間、猫は私のそばを離れることはなかった。

ずっと私を観察してるみたい。


「サクラちゃん、その黒猫ちゃんにすっかり懐かれちゃったね」

「そうですね……この辺って猫多いんですか? さっき子供たちが、猫と遊んでるところを見かけました」

「多いよぉ。大規模作戦の時は、人間のほうが少ない瞬間もある。猫の手も借りたいってやつだよ……」


 彼女は笑いながら答えた。

 

「でも不思議だよね。猫って汚染の影響受けないのかな。お母さんは、どこに居るのかな」


 ”お母さん”という単語に、ピクっと肩が反応してしまう。

もちろんこの黒猫の”親猫”という意味なのは、重々承知している。

しかし私もお母さんを探す身、この子の母猫はどこに行ったんだろう。

なぜか他人事とは、思えないなにか運命的なものを感じてしまった。

”人”ではないが……


「猫も、お母さんと離れると、寂しいのかな」


 とつぶやいて、私は猫の顎を人差し指で撫でた。

黒猫はグルグルと、喉を鳴らしている。


「でも、その猫は今、サクラちゃんに撫でられて幸せそう」


 ナナはそういうと、段ボールの中から『缶詰』と書かれた箱を開け始めた。


「これくらいしても、バチは当たらないよ」


 と言って、パティの入った缶詰を手渡してくれた。

私はある程度察して、缶詰を開けた。

手の上にパティを千切った破片を置く。そして、そのまま握りつぶすように、ほぐしていく。

ある程度ほぐれたところで、水でふやかす。


「はい、食べていいよ」


 私は片膝をついて、猫のほうに手を差し出す。

猫は半分警戒しながらも、私の手から餌を食べ始めた。

食事する光景は、なんとも


「かわいい……」

「サクラちゃん、猫大好きなんだね」

「……たぶん。わかんないですけど。すき、です」


 私は心にある、そのままの答えを返した。

私がその光景に見惚れてるうちに、ナナは台車に荷物を置き終えていた。

全然気にしなくていいよ。と彼女は明るく笑ってくれた。


『あー、あー、本日は配給が実施されます。希望される方は、防衛義勇軍の第8テントまで。14時からの配給予定です』


 彼女はラジオで呼びかけると、周辺のスピーカーからも彼女の声が響いてくる。

ラジオはこの基地の中だと、どこでも聞こえるんだ。

なんて感じていた。


「さっ、午前中のうちに運んじゃおう!」

「わかりました!」


 台車に積んだ荷物を、崩さないように心掛けながら、私たちは荷物を運んだ。

猫の手は借りられなかったが、ずっと見守ってくれていた。


……

……


『あー、あー。これより配給開始しまーす! 順番にお並びくださーい!』


 ナナがラジオで呼びかける。しかし、テントの前には数十人の列が、すでに出来上がっていた。

 

「ありがとうございます。毛布も2枚いただけますか?」

「はい、ちょっと待っててください」


 配布が開始した。

毛布は人によって、枚数が違う。

その都度聞いて、取りに行かなければならない。


「ハラダさんは……お子さん用の衣類も、配給ですね。どうぞ」

「本当にありがとうございます……」


 ナナも作業に取り掛かる。

多くの人は、私たちに感謝を述べて、頭を深々と下げていく。

こんな小さな毛布、缶詰でも、人に必要とされてるんだ。


「はい、どうぞ」

「……」


 ある男性は、私が物資を渡そうとしても、すぐに受け取らなかった。

胸の前で、指先を十字に動かす。


「主よ。本日も我が身に、生きる力、糧、そして衣類をお分けくださいまして。感謝いたします……」


 と手を組んで、目をつむった。

私は彼が何をしているのか、わからなかった。

するとナナが小声で、


「昔のお祈り。神様に感謝してるの」

「……ふーん」


 しばらく”祈り”とやらを続け、彼は物資を受け取っていった。

 

「神様……か……」


 私は神様をよく知らない。

神というのは、空から私たちを見ている存在。というイメージだ。

実際に、信じている人がいた。

そのことに、少しだけ衝撃を受けた。


「ナナちゃん。こんにちわ」

「あぁムっちゃん! こんにちわぁ!」


 ナナと親し気な人が来た。友人だろうか。

話している彼女の姿を見ると、ズボンが破れていた。

背中には小柄な体系に似合わない、ライフルが背負われていた。


「兵士……なの?」

「うん。まぁね」


 私が問いかけると、彼女は少し顔を下げながら言った。

 

「ここに置かせてもらってる以上、仕事はしないとだからさ」

「そう、なの?」

「それに仕事をしてると、私が第2区分なこと思い出さずに済むからさ」

「はーい、これ缶詰と毛布ね。あとズボンの替えも」

「ありがと……またね」


 ムっちゃんは、そう言って去っていった。

それから、ひっきりなしに人が訪ねてきた。

銃を持ってる人、持ってない人、十字を切る人。

様々な人間が、”生きていた”。

そんな人たちが、皆口々にありがとう。と言ってくれた。

やりがい。ってやつはこういうことを、言うのだろうか。


「(にゃー)」

「ふふっ、もう少し待っててね」


 黒猫は、まだいる。居てくれた。

私は首をそっと撫でた。


「きゃっ!」


 その時、後ろで作業をしていたナナが悲鳴をあげた。

急いで振り返ると、男性がナナの持っている缶詰を引っ張っていた。


「んだよ!! 戦わねえ人間は、飯も充分に渡されねえのか!!」

「やめてください! 名簿で、ちゃんとみんなに配分を……」

「だーかーらー!!! 少ねぇってんだよ! 本土から逃げてきて、北海道で保護してもらえるって思ったらこれだよ!!」

「いやっ!」


 怒鳴り声のあとに、ナナが突き飛ばされた。

彼女が尻もちをつく寸前に、私は彼女の肩を受け止める。


「ごめんね」

「い、いえ」


 ナナが申し訳なさそうに、言ってくる。

 

「100年前の徴兵制度か? 日本軍気取りかよ? みんな第2区分で、国から”用無し”と判断された”ゴミ”だろ!!」


 ナナの肩が震えて、すすり泣く声が聞こえる。

私はそんな彼女を、少し強く抱きしめることしか、できなかった。

並んでた人達が、ざわつき始める。

怒鳴り散らしていた人は、ばつが悪そうに去っていった。


「皆が皆、戦いたくて、こんな”もの”持ってるわけじゃない」


 と、ナナは腰の拳銃に触れた。

その目には、涙がたくさん浮かんでいた。

私はなんて答えたら良いか、なんて声をかけたら良いか。わからなかった。

 彼女は袖で涙を拭い、


「さ、さぁ……あと、ちょっと。配給のお仕事済ませちゃおうっ」


 そう元気に言うナナの笑顔が、嘘であることは理解できた。

その笑顔が、私には痛かった。


……

……


「よしっ! これでおしまい!」


 配給を終えて、段ボールを折りたたみ、片付けが終った。

今日の私の”任務”が完了した。


「お疲れ様っ」

「お、お疲れ様です」


 ナナが水を差しだしてくれた。彼女に倣って、地べたに腰を置いて、水を口にする。

身体に染み渡る感覚。喉を水が通り、通った場所がスーッと冷えていく。


「……おいしい」


 水の味を楽しんでいると、黒猫が腰に頭をこすりつけてきた。


「はいはい、お前もお疲れさま」


 と、猫に言いながら、私は手のひらにボトルの水を溜めて、差し出す。

ぺろぺろと猫が水を飲む姿、なんとも愛らしい。


「その子、オスかな? メス?」


 とナナが言う。

私も気になってきた。

猫の脇を両手で掴んで、持ち上げる。

そしてナナのほうに、猫のお腹を見せる。

彼女はジーっとお腹を見つめて、


「……メスだね」


 と言った。

そうか、女の子だったんだ。


「この子、今日一日中サクラちゃんにべったりだったね」

「……うん」

「連れて帰ったら?」

「いいの?」


 私は猫を抱きかかえた。

そして、一緒に帰る? と聞いてみると、猫は否定も肯定もしなかった。

しかし腕の中から、離れようとはしなかった。

彼女のぬくもりと、呼吸、そして重みを感じながら、私は決心した。


「うん、連れて帰る」

「そっか」


 ナナはニコッと笑った。

その笑顔は嘘じゃなかった。


「名前はどうするの?」


 ナナが訪ねてくる。

そっか、この子は名前がないんだ。


「名前……」

「名前は、命とか魂とか、そういうものに意味や、願いを込めるもの」


 私が第7部隊に入ったときのことを思い出す。

「名前っていうのは命とか魂と同じだ。法律作ったやつらは俺らを機械みたいに管理したいんだろうが、そうはいかない」

と、脳内で記憶が蘇る。


「じゃあ……黒色だから、クロ。この子の名前」

「うん。クロ。いいお名前を貰えたね~」


 ナナは名前を呼びながら、私の抱きかかえる”クロ”を撫でまわす。

しかし、


「……わたしと違って」


 彼女は聞こえるか、聞こえないかの微妙な声で呟いた。

声色がとても怖くて、私は聞こえないフリをした。


「さぁ、じゃあ残りを片付けて、基地に戻りますか」

「は、はい!」


 ちょっと心に違和感を残したまま、その日の作業を終えた。

 

……

……


「ほ、報告します! 現地民兵組織への、物資供与および配給任務、終わりました!」

「ほい、ご苦労さん」


 隊長はそう言って、私の頭をポンと撫でてくる。

そして、


「どうやら”新入り”も居るみたいだな。まぁ猫の1匹くらい、許可してやる。その代わりお前が面倒みるんだ」


 隊長は次に猫を撫でて、快く承諾してくれた。

わたしはお礼を言って、船の中にクロを連れて入った。


「へぇクロちゃんっていうの~、かわいい~」


 どこからともなく、アマノが背後から出てくる。

私の心を読んだのか。


「不思議よねぇ、人間の心は読めても、動物の心は読めないの」

「そう、なんだ」

「ねぇ、抱っこしてもいい?」

「……」


 ゆっくりと、落とさないように彼女の腕に、クロを移す。

こちらをジッと見たり、アマノをジッと見たり、クロは初めて見る景色に動揺しているみたいだ。

彼女は満足したのか、クロを私の元に返すと、


「たまには、私のお部屋に連れてきてね。大歓迎だから」

「はい!」

「あ、でもリツ少佐には、近づけないでね。アレルギーらしいから」


 リツ少佐。猫アレルギーなんだ。

基地に戻ったら、部屋に敷居を建てるとか、何か対策をしないと。


 色々やらないといけないことや、今日の疲れ、そして達成感が浮かんでくる。

しかし、今はこの子を撫でていたい。感じていたい。

”クロ”と一緒に居たい。


「よろしくね」


 と彼女に言いながら、私はしばらく膝の上で、その命を感じていた。

 


「黒鞄は、現在まで5つ確保。BMPも3台撃破しています。義勇軍の被害は12名です。」


 ロナルドレーガンでは、今日の報告が行われている。

 

「現在も、散発的な攻撃が続いています。今のところは義勇軍でも対応できます」

「捕らえた敵兵への聞き込みで、アタッシュケースは”突然上官から渡された”、とのことです」

「つまり、向こうの兵士もよくわからず、黒鞄を持っているんだな」

「はい、その通りです」


 未だに、黒鞄の全量数、配置場所などは分かっていない。


「しかし、ウラジオストクの連中は、どういうつもりだ……こんな若い連中を、訓練もせずに無駄死にさせてよぉ……」

「人間、成ろうと思えば悪魔にも、天使にも成れる。ってことだろ。こいつらの上官は前者かな」


 誰かのその返答に、皆が押し黙った。

自分は、悪魔なのか、天使なのか、なんなのか、見失いつつあった。


「違う。俺らは”人間”だ。それ以上でも、それ以下でもない……そう思ってる」


 隊長はそう言って、報告会を〆た。

 


「お前……その黒い毛玉を、私の部屋に入れる気か……?」


 リツ少佐にも、断りを入れようと探し回った。

彼女は格納庫に居たので、クロを連れて挨拶に行くと、ぎょっとした顔をされた。


「あの、迷惑はかけないようにするので……」

「ったりめーだ!!! 私のベッドに入れてみろ、三味線にしてやる!」


 すごい暴言だ。本当に猫嫌いなんだろう。

ちゃんと躾しなきゃ。

と気が引き締まった。


「はい! ベッドには入れません!」

「……まぁ、わかった。とりあえず、私の近くに寄せるな。くしゃみが止まらなくなる」


 彼女はその場を立ち去ろうとした。

すかさず私は、


「あ、ありがとうございます!」

「それでさ。そいつ、名前は?」

「名前……クロっていいます。女の子です」


 彼女はそれを聞くと、なぜか少しの間黙った。

返答に困ってるのだろうか。それとも、変な名前だろうか。


「お前がつけたのか」

「はい」

「じゃあ、大切にしろ。そいつはもう、お前の家族なんだから」


 と言ってどこかへ行ってしまった。

私は再度大きい声で、ありがとうございます。と叫んだ。

家族。その響きは重いような、むず痒いような、温かい感じがした。

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