第5話 彼女の事情〜前編〜
『あなたと運命の赤い糸で結ばれたから』
そんな詩的な答えが頭に浮かんだが、ロボ子さんは言葉にせずに飲み込んだ。
間違ってはいない。
本当に思ったからマッチングに応えている。
でも斜に構えすぎだ。
今はスカした答えを求められていない。
佐久間先輩は本音で話してくれた。
病気のことも余命のことも開示してくれている。
ロボ子さんも自分のことを開示しなければフェアじゃない。
同じ目線で話さなければ、誰かと分かり合うことなんてできるわけがないのだから。
だから運命に従おう。
「少し長い話になりますが聞いてくださいますか?」
「もちろん」
「では失礼します」
ロボ子さんは腰を上げて、ゆっくり佐久間先輩に顔を近づける。
鼻先がくっつきそう。
吐息がかかるぐらいの至近距離で瞳を合わせる。
突然のことに佐久間先輩は大きく目を見開いていた。
真っ黒な瞳だ。
まだ瞳は灰花病で色を失っていない。
ロボ子さんが憧れた色だ。
「私の青い瞳が見えますか?」
「え……あ、ああ」
姿勢を戻して座り直す。
背筋がピンと伸びた。
たぶん今から話す内容のせいだ。
ロボ子さんは自分の瞳を指差し、肩まであるグレージュの髪を一房手に取る。
「瞳も髪色も天然物です。カラーコンタクトをつけているわけでもなく、髪を染めているわけでもありません」
「綺麗だね」
「ありがとうございます」
そう告げても佐久間先輩にあまり驚いた様子はなかった。
今時はもっと奇抜な髪色や瞳は山程いる。
瞳を大きく見せるためにわざわざカラーコンタクトをつけるのも、一般的な化粧の技術として扱われている時代なのだ。
天然物か染め物か。
今やそんな小さなことを気にされない時代だ。
けれど素直に綺麗と返せるのは佐久間先輩が若い世代である証拠だった。
「私の両親は両方日本人で黒い髪で黒い瞳でした。三歳年下の可愛い妹も黒髪黒瞳です。私だけ色が違う」
「それは……」
「安心してください。複雑な家庭とかではないので。いえ複雑な家ではあるのですけど、両親との関係は良好ですし、ちゃんと血もつながっています。ただの隔世遺伝らしいです」
そう補足すると、佐久間先輩は息を吐いた。
無意識だろう。
悪意はない。
佐久間先輩の反応は正しい。
ただ両親とは瞳と髪の色が違う。
そう聞いただけで、人は色々なことを想起してしまう。
「華道には出生という考え方があります。先輩は知っていますか?」
「華道ってことは生け花か。ごめん詳しくなくて」
「難しい考え方ではないんです。花を生けるときに自然に反しない。高い場所に花をつける植物は高く、低い場所で茂る植物は低く。春夏秋冬が異なる花を同時に生けない」
「自然のままってことか」
ロボ子さんは首を横に振った。
そこが勘違いされがちだ。
「いいえ先輩。人が花を摘み取った時点で自然のままはあり得ません。自然のままがいいのであれば、花を摘まずに愛でればいいのです」
「言われてみればそうか」
「これは日本人に根付く美意識の話です。日本人はやたらと自分の手元に世界を創造したがる。物語を詰め込みたがる」
「日本人の美意識?」
「今でいうと漫画。昔で言う絵巻物ですね。鳥獣戯画から始まる系譜です。平安の世から一枚の絵の連なりで壮大な物語を紡いでいます。膨大な情報量です。そのために絵がデフォルメに特化していきました。あるがままを写し取ることを美徳とするのであれば、西洋のように写実主義が発展したでしょう。まあ日本でも写実的な絵は多いのですけど」
この辺りのことを話すと長くなるので割愛する。
今は出生の話だ。
「生け花も同じです。自然そのままでは情報が多いので簡素化する。テーマに沿って目立つようにデフォルメする。真っ直ぐ伸びた茎を切ったり曲げたりして、風雨に晒された植物を表現する。これには横の空間を広く取って作品を雄大に見せる意味もあります。そうしたテクニックなどを用いて、小さなデフォルメした世界を生み出すのが華道です」
「デフォルメした世界を生み出すか」
「はい。ただ自然に反した配置は調和がなくなります。世界が壊れている。だから出生を守る。もちろん生花といって極力切らずに折らずに、用意された花のありのままを生ける作法もありますよ」
「ずいぶんと詳しいんだな」
「父の実家が華道の家元だったんです。人の出入りが多くて、親戚付き合いもある。そこに私のような異色の子供が産まれるとどう言われるかわかりますか?」
「……それは」
佐久間先輩が言い淀む。
先ほど両親とは瞳と髪の色が違うと告げたときに、その答えを思い描いてしまったからだろう。
「お母さんは周りから不貞を疑われました。私は不義の子だと。ノイローゼ気味になりました。お母さんを信じ愛しているお父さんは、疑う周りに激怒しました。そして疑いを晴らすために嫌々遺伝子検査をしました。私は無事に両親と血の繋がった娘だと判定されています」
「それはよかった。……でいいんだよ?」
「そのまま円満解決すればよかったのですけどね」
「解決しなかったのか?」
「一度壊れた人間関係は元に戻りません。疑いは晴れました。でもお母さんもお父さんも周りに不審感を持つ。周りの親戚は被害者面です」
人間関係は難しい。
血の繋がりがあれば尚更だ。
ロボ子さんは産まれたときから関係を断絶させた疫病神だった。
「心の弱ったお母さんに代わって私の面倒を見てくれたお祖母ちゃんや、伯父さん……お父さんのお兄さんとは良好な関係でした。三歳年下で黒髪黒瞳の妹も産まれましたし、両親の仲も問題ありません」
「それはよかった」
「けれど私が小学校にあがるときに、信頼していたお祖母ちゃんが言ったんです。髪を黒く染めさせた方がいい」
「なっ……どうして!?」
佐久間先輩が声を出して驚いた。
ロボ子さんは苦笑いを浮かべる。
今になってもどちらの言い分が正解かはわからない。
でも素直な感性は佐久間先輩の方だから少し憧れてしまう。
その感性をロボ子さんは手に入れることができていない。
「お父さんも『お袋までそんな事言うのか!』と声を荒げました。けれど私はなぜお父さんがお祖母ちゃんに怒っているのかわかりませんでした」
「わからないって……君の髪色を否定したわけだろ」
佐久間先輩の言葉は善意でできている。
しかしお祖母ちゃんの言葉もまた善意でできていた。
「否定されても仕方ないでしょう。お母さんはノイローゼになったのも、親戚関係を壊したのも、私が異なる色を持って産まれてきたからですよ?」
「それは……それは違うだろ」
自分のことを冷たく突き放したように聞こえたのだろうか。
佐久間先輩が戸惑いながらも否定してくれた。
どうにも素直で真っ直ぐな善人な性分らしい。
風雨に晒されて折れ曲がってしまったロボ子さんとは違う。
「同情してくれるのは嬉しいですけど、残念ながら事実です。全てロボ子さんが両親と同じ黒髪黒瞳で産まれてきたら起こらなかった。少なくとも妹が産まれたときはなにも問題が起こっていません。その様子を私はずっとこの青い瞳で見ていました」
「…………そうかもしれないけど」
確かに騒ぎ立てて風潮した親戚は悪いのだろう。
だがロボ子さんの色のせいで問題が起こったことを否定することはできない。
そして小学校に進学して髪色や瞳の色で再び問題が起こることも否定できない。
お母さんがノイローゼになり、回復してからすぐ妹が誕生した。
今度こそはと育児に精力的だった。
結果として、ロボ子さんはお母さんよりもお祖母ちゃんといる方が長かった。
お祖母ちゃんはロボ子さんのことをよく見てくれていた。
どれだけ両親が頑張っても奇異な視線に晒され続けたのはロボ子さんだ。
お祖母ちゃんはじっと我慢しているロボ子さんを「頭のいい子」だと撫でてくれた。
ロボ子さんは出生が異なるから調和が取れない。
不和を生んでいる。
季節外れの花のように。
秋の花が春に咲いても春の花にはなれない。
春の花と一緒に生けてしまうと調和が取れない。
そういう生け方が存在しないわけではない。
でもそれは特別なテーマを持たせた作品として扱われる。
一般的ではない。
お祖母ちゃんはロボ子さんを特別ではなく、普通の子供にしてくれようとしていた。
「私はお祖母ちゃんの足にしがみついて『どうしてお祖母ちゃんを怒るの』と叫びました。お父さんはショックを受けたみたいでした。ありのままを愛してくれる両親は好きです。けれどありのままで傷ついたのも私です。そのことにその時になって気づいたようでした。家族の調和はとっくに崩れていた」
「ありのままでいることって難しいんだな」
「そうですね。結局うちの家族は実家と縁切って引っ越して独立しました。古い家ですし、地域の繋がりも深い。一度悪評が出た異色の娘が学校でどう扱われるのか。お父さんもある意味で、お祖母ちゃんの言い分が正しいと認めた形でした」
人の出入りが激しい家。
不躾な視線に晒され続ける環境。
我が子と共に過ごす時間も少ない。
このまま家に残って仕事を手伝うことにも、限界を感じていた。
お父さんとお母さんはもう一度子供と向き合うために全てを仕切り直すことにした。
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