竜使いの診療日誌と、辺境の錬金術師
すぎやま よういち
第1話
主人公・ユイ(20代後半、元久留米市のどこかの商社OL)。
午前7時、スマートフォンの無機質なアラームが鳴り響く。ユイは、重い瞼をこじ開けた。昨夜も終電を逃し、会社近くのビジネスホテルで仮眠をとったため、ベッドはいつもと違う固い感触だ。目覚めと共に、口の中に広がるのは、寝不足特有のねっとりとした苦みと、わずかな鉄の味。枕元に放置された缶コーヒーは、もうすっかり冷え切っていた。
スーツに着替え、久留米のオフィス街へ向かう。朝の通勤電車は、今日もすし詰めだ。押し潰されそうな人の波に揉まれながら、ユイは吊り革に掴まる。車窓に映る自分の顔は、目の下のクマが常態化し、生気のない魚のようだと、ぼんやり思った。周囲からは、サラリーマンたちの疲れた溜息と、微かな香水の匂い、そして、これから始まる一日の憂鬱が混じり合った、独特の空気が漂っていた。
会社に着くと、机の上にはすでに、今日中に終わらせなければならない書類の山が築かれていた。隣の席の先輩の机にも、分厚い企画書が何冊も積まれており、彼はすでにパソコンに向かい、カタカタとキーボードを叩く乾いた音が響いていた。
「ユイちゃん、おはよう。今日も朝から飛ばしてるね」
ユイが声をかけると、先輩は顔を上げずに、疲れた声で返した。
「ああ、おはよう。部長が昨日、急ぎの案件を寄越してきてさ。今日も残業確定だよ」
ユイの部署は、慢性的な人手不足と、絶え間ないノルマに追われていた。特に月末は地獄だった。午前様は当たり前、徹夜することも珍しくない。上司からの叱責は日常茶飯事で、理不尽な要求にも笑顔で応えなければならなかった。一度だけ、激務で貧血を起こし、デスクで意識を失いかけた時があった。その時、同僚が慌てて駆け寄ってくれたが、上司は「気合が足りない」と一蹴した。その時の、胃の奥が冷たくなるような感覚は、今でも鮮明に覚えている。
ある日の深夜、ユイは一人、オフィスでパソコンに向かっていた。時計の針は午前2時を指している。フロアに残っているのは、ユイと、向こうの部署の明かりだけだった。キーボードを叩く音だけが響く静寂の中、突然、胃がキリキリと痛み出した。コンビニで買ったサンドイッチは、一口も喉を通らなかった。窓の外は真っ暗で、久留米の街の明かりだけが、遠くで点々と瞬いている。彼女の指先は、冷え切っていた。疲れがピークに達すると、視界が歪み、まるで万華鏡を覗いているかのように、景色が揺れ動いた。
「もう、嫌だ……。何もかも、投げ出して、静かな場所で、誰にも邪魔されずに、ただ、穏やかに暮らしたい……」
ユイは、震える手でキーボードを叩きながら、心の中でそう呟いた。目頭が熱くなり、滲んだ視界の先で、ディスプレイの文字が歪んで見えた。
過労死寸前のブラック企業勤務の後、帰宅途中の事故で命を落とし、異世界「アースガルド」に転生する。転生時の感覚は、まるで体が霧散し、無数の光の粒子となって新しい肉体に吸い込まれていくような、不思議な浮遊感だった。目覚めると、見慣れない天井と、漂う微かな薬草の匂い。
転生先は、竜と共存する世界。ユイは、なぜか竜の言葉を理解し、その傷を癒すことができる「竜使いの診療士」としての能力を得る。これはこの世界でも希少な能力。
王都の竜舎で働いていたが、都会の喧騒と、人間関係の軋轢に疲れ、「静かに暮らしたい」という内なる願いから、辺境の町・ウィンドヘイムへ移住を決意する。
ウィンドヘイムは、周囲を霧が立ち込める森と、生きて動くかのように構造が変わる「迷霧のダンジョン」に囲まれた町。人々は魔物によって生活を脅かされ、特にダンジョンから現れる「記憶を読むリーチ型」の魔物や「死者の姿を模倣する幻影型」の魔物に苦しめられている。住民の顔には疲労と諦めが滲んでいる。
新しい診療所を開いたユイは、そこで町一番の錬金術師として知られるレオン(30代前半)と出会う。彼は寡黙でとっつきにくいが、その瞳の奥には深い悲しみを秘めている。彼の工房には、見たことのない奇妙な機械が置かれ、不気味な光を放っている。
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