リストラ剣聖の逆スローライフ伝説 ~規格外の元部下と拾ったペットのおかげでおっさんはのどかに暮らせない~

司馬 幻獣郎

第1話 おっさんよ伝説になれ


 

 私は空を飛んだ。


 もっとも、上空から猛スピードで落下することを『飛んだ』と言ってよければの話だが。


「あばばばばばばば!」


 私は落下中であった。

 凄まじい勢いで頬を叩く風、信じられないほど鮮やかな空の青。

 そして爆速で駆け巡る走馬灯。


 「何でこんなこあばああああばばば!」

 

 風圧でかき消される嘆きの叫び。

 一体、どうして私がこんな目に遭っているのか。

 何故、私が40歳にもなって猛スピードで上空から落下しているのか。


 走馬灯が映し出した光景は、およそ1年前にさかのぼる。

 



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 発端は一つの恋だった。

 我がグランツ王国の王太子エルリック殿下と、長年の宿敵バルトラント王国の第一王女セシール姫のご婚姻。これにより両国は合併し、新たに『グランバルト王国』が誕生する運びとなったのだ。

 

 民衆たちはこの婚姻を『歴史を変えた恋』なんて誉めそやしたが、これによって私の運命も転変を始めていた。


 そして、ご婚儀の知らせを受けて、しばらく経ったある日のことだった。

 

「よし! 次ィ!」


 騎士たちの汗と熱気、そして朝日と土埃の匂いが充満する大訓練場。

 私――グランツ王国騎士団副団長、アラン・ウッドフィールドは、いつものように日課の剣術調練に汗を流していた。

 平和が訪れたばかりだが、騎士が鍛錬を怠るわけにはいかない。


「はいっ! お願いしますっ!」


 私の前に立つ実直なまなざしの若者の名は、ノエル・カリヴァン。

 18歳の若さながら、騎士団の宝と称される天才だ。

 そしてサラサラの銀髪が風に揺れる美男子でもある。実にうらやましい。


 たがいに一礼し、木剣を合わせて、立会稽古を始める。


 先に動いたのはノエル。

 タンッと小気味いい踏み込みから、疾風のような突きを繰り出してきた。

 空気を切り裂いて迫る一撃を寸前でいなし、すかさずこちらも彼の足元を払う。


 瞬間、ノエルは素早く後ろにステップを踏み、私の払いをかわした。

 見事な反応速度だ。ますます成長してるな。


 続けて数合打ち合うが、よく私の動きに食らいついてきている。

 そして、打ち合いながら巧みに間合いを測っているようだ。

 

 朝日を背負って逆光を利用する気だろう。

 と、察した瞬間、彼は中空に身を躍らせ、逆光と共に木剣を振り下ろしてきた。

 

「でやあああっ!」


 気合は十分、狙いも速度も申し分なし。

 だが――

 カァン! という鋭い衝撃音と共に、ノエルの木剣が宙を舞った。

 逆光であろうと、剣の軌道の予測は付く。

 彼の斬撃を見切り、後の先を捉えて剣を弾いたのだ。


「ここまで」


 私はノエルの喉元に木剣を突き付け、決着を告げた。

 周りで見学していた若い騎士たちから「おお……」と感嘆のため息が漏れる。


「あのタイミングで……剣をはじかれるなんて……!」


 ノエルは一瞬何が起こったか分からなかったようだが、事態を飲み込むにつれ、目元に闘志を取り戻しながら「参りました!」と、よく通る澄んだ声で叫んだ。

 うん、そのやる気があれば大丈夫か。彼はきっと強くなるだろう。


「良い太刀筋だ。あと半年もすれば私も危ういぞ」


 拾った木剣を渡しながらノエルに笑いかけた。

 大人の余裕というものを若者に教えるのも私の役目だ。なんてね。

 


 そんな折、秘書官のドロシーちゃんが息を切らして道場に駆け込んできた。

 騎士団のアイドルの異名をもつ彼女のただならぬ様子に、道場の騎士連中に緊張が走る。


「副長、団長がお呼びです。すぐに団長室へお願いします」


 私はすぐさま稽古を中断し、団長の元へ向かう。

 静まり返って私を見送るノエル達の目に、不安の色が浮かんでいた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 部屋の前で息を整え、団長室の扉を押し開ける。いつもより扉が重い気がした。

 室内はいつものようにインクと葉巻の香りが漂っている。

 

 部屋の主、オルランド団長は、革張りの椅子に深く腰かけ、私に視線を向けた。

 この厳しいながらも温かいまなざしは、孤児だった私を拾い上げ、騎士として育ててくれた頃から全く変わっていない。


「調練中に呼び出してすまんかったな、アランよ。おぬしもすでに耳にしとるやもしれんが、改めてご命令があってな。王国合併に伴い、我らグランツ騎士団も新生グランバルト王国騎士団として再編成される運びとなった」


 苦渋が滲んだ団長の声色から、騎士団再編成の話が容易な話ではないと分かった。

 上層部から何やら無理難題を押し付けられているんじゃなかろうか。


「王宮の方々は平和な時代に過剰な戦力は不要とのお考えでな。王国新生の第一歩として、大幅な軍縮をお望みだそうじゃ」


「軍縮ですか……? それで規模はどれくらいです?」


「グランツ側は予算を三割削減せよとのお達しがあった。バルトラント側も似たようなもんじゃから文句は言えんが……いくら平和な時代になったとは言え、ちときびしいのう」


「さ、三割もですか? そりゃまた無茶な……!」


 そりゃある程度は予算も削れるだろうけど、三割削るなんて並大抵じゃない。

 相当な数の騎士たちがクビになるんじゃないか?

 そう思案していたら、団長が意を決したように口を開いた。


「……ワシもついに心を決めねばならなくなったわい」


「何をご決心されたので?」


 団長はしばらく私の目を見つめ、スゥっと息を吸い、そのまま呼吸を止めた。

 そして次の瞬間――ゴンッ! という激突音が部屋に響いた。


 団長がとんでもない勢いでおじぎをして、テーブルに額を叩きつけたのだ。  

 ちょ、ちょっと急にどうしたんですか!?

 

「すまん! アラン! 騎士団をやめてくれ!」


「は……? 今なんと……?」


「リストラじゃ! おぬしがリストラ候補第1号に選ばれたのじゃ!」


「リ、リストラァ!? なんで私なんですか!」


 団長、アンタ急に何言い出すんですか。私これでも副団長ですよ。

 剣の腕だけで王国騎士団の副団長になった男ですよ。

 何で私がクビの筆頭にならにゃいかんのですか!


「おぬしの給料が一番高いからじゃ!」


「きゅ、給料って、団長またアナタそんな身も蓋もないことを……!」


「とはいえ紛れもない事実なのじゃ! おぬしは先の国境紛争はじめ、モンスター討伐、野盗の殲滅にテロ鎮圧、それから捕虜の救出に暗殺者逮捕まで、数え切れぬほどの武勲を立ててきたじゃろう! その功績で各種勲功手当が莫大な額になっとる! とても今後の騎士団では『剣聖』とまで称されるようになったおぬしを賄いきれん!」


 そ、それは図星……! でもちょっと待ってほしい。私だって決して私腹を肥やしてるわけじゃない。実は給料はほとんど孤児院に寄付してるんだ。


「アラン頼む! 経理のフランソワーズさんが毎日頭を抱えて泣きついてきよるんじゃ! おぬしならどこに行ってもやっていけるじゃろ、例えばほら、冒険者とか!」


「ぼ、冒険者!? 団長、私もうすぐ40ですよ? この年で、冒険者みたいな荒くれとなんかやってけませんよ!」 


「何を謙遜しとる! 騎士団の若い連中からはよう慕われとるではないか!」


 駄目だ、このままじゃ団長のペースに押し切られる……!

 禁じ手かもしれないが、この際だ、孤児院の話をしてしまおう。


「団長よく聞いてください。ご存知だと思いますが、わたし給料のほとんどを孤児院に寄付してるんです。騎士団クビになったら子供たちはどうなるんですか! パンもパンツも買えなくなりますよ! どうか考え直してください!」


 子供たちを人質にするような物言いで気が引けるが、事実だからしょうがない。

 私の必死の懇願が届いたのか、団長は私を見つめ、頬に微笑を浮かべた。


「安心せい。おぬしが孤児院に多額の寄付をしとることは、無論よう知っておる。そういうおぬしの優しさはしっかり上層部に報告済みじゃ」


「団長……考え直してくれまし――」


「孤児院への資金援助は正式に国庫から行うことになった! 今後はおぬしの寄付がなくても心配いらんぞ! 安心してクビになってくれ!」


「何で急に国が動くんですか! ていうか、そんな予算あるならリストラやめてくださいよ!」


「国に予算はあるが、騎士団に予算は振り分けてもらえん! すまん! ワシの力不足じゃ! ワシにも政治はよう分からん!」


 そんな堂々と謝られても……

 いや待てよ。政治が絡んでくるのか……?


 平和な時代に騎士団を再編成するにあたって、新たな争いの火種はできる限り取り除いておきたいという、王宮の方々のお考えは分かる。

 

 そして自分で言うのもアレだけど、私は国境戦争の英雄も英雄だ。

 つまり、旧バルトラント側からどえらい恨みを買ってることは疑いようがない。

 つまり、私自身が火種に……


 そう思った時、団長がしみじみとした口調で語りかけてきた。


「アラン……あの雪の晩のことを覚えておるか、おぬしを拾った晩のことじゃ」


 あの雪の晩、忘れたりなどするものか……孤児院を抜け出し、ひとりで寒さに震える私にそっとコートをかけてくれたあの温かい手。

 そしてそんな私を拾い上げ、騎士にまで育てていただいたその優しさ。

 あの雪の晩があったればこそ今の私があるんです。

 片時も、片時も忘れたことはございませんよ。


「忘れるはずはありません、あの日の御恩は一生忘れません」


「じゃあ、あの日の恩を今返すと思って、頼む! 騎士団やめてくれ!」


「い、今返すんですか!? あの日の御恩を今!」


 思わず声が裏返ってしまった。

 ふつう今の回想する時はもっとクライマックスな時でしょ!

 なんで最後のカードを今切っちゃうんですか!

 ていうか、団長、アナタそこまで追いつめられてるんですか……!


 やっぱり私のせいか……

 恐らく関係各所、上層部からエグいくらいの圧力が団長にかかってるんだろう。

 このままじゃ団長がペシャンコになってしまう……!


 こうなったらもう、私が出来ることは一つしかない。


「分かりました……団長、これまで長い間、本当にお世話になりました」


 まさか、私の口からこんなセリフが出てくるなんて、これも時代ってやつなのか。

 なんか全身に力が入らないが、足元がふらつかないように気を付けて、どうにか立ち上がった。そしてそのまま、部屋を辞そうと背を向けた時――


「……アラン、達者でな」


 団長の絞り出すような声に、ドアノブを握る手が止まった。

 仲間たちと共に歩んできた騎士団での日々が、私の胸に去来する。


「退職金は奮発してもらえるよう、ワシが上に掛け合っておくからな……」


 「退職金」という響きに思わず体がぴくっと反応したが、無言で団長に一礼し、扉を開けた。

 団長、本当にお願いしますよ。退職金。

 

 こうして、私の騎士としての人生は幕を下ろした。

 騎士叙任を受けてから、ちょうど25年目の春。

 これが、後の運命の転変の序曲だった。


「今日から私、騎士じゃなくなるのか……これからどうすれば」


 これからただのアラン・ウッドフィールドとして生きていく前に、騎士団の連中には一応挨拶しておくか……すんごいバツが悪いけど。

 少なくとも、ノエルにヒンメルシュタイン、それからグレースあたりには声かけとかないとな。


 あ、グレースは国境付近の見回りだったか。

 彼女は真面目が服着て歩いてるような子だから、無理しすぎてなければいいけど。


 それが終わったらどうしようか。思わずため息が漏れた。

  

 なんと言うか、私を私たらしめる何かが失われたような感覚だった。

 沈む心と裏腹に、足元は奇妙な浮遊感に包まれている。

 おぼつかない足取りで騎士団の門をくぐり、私は空を見上げた。

 

 14歳で騎士叙任を受けたあの日、胸の高鳴りと共に見上げた空と同じだ。

 雲ひとつない、目に痛いほどの青空だった。


「空……青いなあ……」


 ぽつりとこぼれた呟きが、私の心で波紋を描く。

 広がる波の紋様が、私の記憶をさらに揺り起こした。


 あれは遠い少年の日――小さな孤児院の裏山に登って、遠くの地平線を眺めながら、世界の果てへと想いを馳せたあの日々。


 いにしえの魔導王国に、北のドワーフ火山王国。

 それから伝説のエルフの黄金郷。

 そして、氷の大地にそびえる千年樹氷……

 

 ああ、世界はなんと未知に満ちているのだろうか。

 朝もやの向こうに広がる世界、まだ見ぬ神秘にあふれた世界へ、少年の私はどこまでも行けると信じていた。


「一度でいいから、この目で見たかったよなあ」


 ん?


 ――見たかった?

 いや待て、過去形にするのはまだ早いんじゃないか?


 幸か不幸か、今の私を縛るものはもう何もない。

 少年の日に憧れた空の向こうに、今の私なら行けるはずだ。

 グッと胸の内から旅への渇望が湧き上がってきた。

 

 いっそのこと退職金をバーッと使って諸国探訪の旅にでも出てやろうか。

 うん、それがいい。こうなったら自分を見つめなおす旅に出よう。

 何かいいことあるかもしれないし。


 なにより私の中のアラン少年が言っている。

「やるなら今しかない、やっちまえ」と。

 

 後から考えれば余計な一言だったのだが、ともあれ、こうして私は、旅立ちの決意をしたのであった。


 見上げた青空に、一朶いちだの白い雲が風に乗って東から流れてくる。

 そう、時として旅は運命を変えるのだ。


 ――この時の私はまだ知らなかった。

 この半ば現実逃避のような旅立ちが、のちに伝説を生み出しまくる元凶になったことを。


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