微笑・不承不承・飛翔

葉月めまい|本格ミステリ&頭脳戦

01.卑小

 梅雨つゆは好きだけれど、夏は大嫌いだ。

 雲のない青空を見上げると、いつも吐き気が込み上げる。


 空に魅入みいられた親友のことが、頭から離れなくなってしまうから。


「いいお天気だね、あおいちゃん」

 私の心情を知ってか知らずか、彼女――陽愛ひめは優雅に微笑ほほえんで言った。


「そうね」

 と投げやりに言葉を返して、私は机に朝食を並べていく。


 料理は元々、苦手だったけれど、彼女と出会ってから少しだけ上達した。


 陽愛ひめに教わったのではない。

 むしろ、陽愛ひめは料理が壊滅的に下手だった。


 私の知っている限り、料理が下手な人間というものは、四種類に分類できる。

 レシピを読まない人間と、レシピを読んでも理解できない人間と、レシピを理解した上で妙な独創性を発揮したがる人間と、単純シンプルに手先が不器用な人間だ。


 陽愛ひめは、


 まずレシピを見ようともしないし、見せても理解していないし、丁寧に教えても真似すらできないし、そのくせに隠し味だのと言って、妙な調味料を加えたがった。

 だから、私が料理の腕を上達するしかなかったのである。


「美味しい。なんだか、あおいちゃんの作る味って、ほっとする〜」

 特に何の創意工夫もらしていない、平凡な味噌汁を飲んで、陽愛ひめは言う。


 その言葉に嬉しいと感じてしまう自分が、腹立たしい。

 私にとっての「美味しい」と彼女にとっての「美味しい」の間には、果てしない断絶があると理解しているはずなのに、喜んでしまう自分が物凄く恨めしい。


あおいちゃんは食べないの?」

 対面の椅子に座ってぼんやりと彼女を眺めている私の姿を、ようやく不自然に思ったのか、陽愛ひめは不思議そうに小首を傾げた。


「食欲ない」

 私はそっけなく答える。冷たく聞こえるような口調になったが、構うものかと思った。


「珍しいね。私が興味ないって言っても、色んなお店に連れていってくれたのに……、今日に限って何も食べないんだ」

 こちらの瞳を覗き込むみたいに、彼女は上目遣いで私を見る。


 私は目を逸らした。

 どうして、私が目を逸らさなくてはいけないのだろう?


 すると、陽愛ひめはくすくすと笑った。

「ごめんごめん。別に意地悪のつもりじゃないよ?」


「ねえ、陽愛ひめ――」


 小鳥のさえずる声が、窓の外の静かな世界を支配している。

 時計の針の音が、私と彼女のいびつな世界を破壊していく。


 私が悪いの?

 私が悪かったの?


 そうきたくなる気持ちを、ぐっと抑えて。


「昨日の話、……心変わり、した?」


 あまりに情けない、まるで母親にすがる幼児みたいに、たどたどしく。

 私の小さな期待が言葉になった。


「心変わりなんてしないよ。私、一度決めたことは絶対に曲げないの」

 陽愛ひめは胸を張り、誇らしげに言い切った。


「……嘘き」

 思わず、非難が口からこぼれ落ちる。


 陽愛ひめの表情がくもった。

「なんで、そんなことを言うの? 私があおいちゃんに、何か嘘をいた?」


 悲しげな眼差しを向けられて。


「……ごめん」

 と私はまた、罪悪感に突き動かされた仮初かりそめの謝罪をする。


 私も、嘘きだ。


あおいちゃん。私、ずっと夢を追ってきたの。だからね、あおいちゃんに背中を押してほしい。だめかな?」

 いつも通り、小動物のように甘えて、私の肯定を引きそうとする陽愛ひめ


 最初から、わかっている。

 どうせ私には、彼女の望みを断ることなんてできない。


 だけど――。


「このままずっと貴方の隣にいたいよ。離れたくないよ。陽愛ひめ……」


 私の胸に巣食う感情は空模様と同じ、汚い鼠色だった。

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