知ってました?現代迷宮ハンターは掛け捨て保険しか入れないんですよ

竹岡 ちぐら

第1話 いつも通りの帰り道

 最寄り駅から自宅まで歩いていると、秋の始まりを告げる夜風がほんのりと肌を撫でる。


 心地よい冷たさに、会社帰りの重たい空気が少しだけ和らぐ。


 街灯に照らされた細い路地を、配達バイクがエンジン音を響かせて通り過ぎて行った。


 その音が消えると、再び静寂が戻る。

 落ち着いた、何も変わらない日常。


「はぁ……疲れたなぁ……」

 思わず漏れるため息。

 

 ウチまであと数分というところで、近所の佐々木ささきさんの家の前に彼女の姿が見えた。

「こんばんはー」

「あら、こんばんは。お帰り? お疲れ様ねぇ」

 いつも通りの笑顔。優しくて、少しおしゃべり好きお婆ちゃんの佐々木ささきさん。

「えぇまぁ、いつも通りです。先日はお菓子をいただいて、ありがとうございました」

 軽く頭を下げる。


「いえいえ、少なくてごめんなさいねぇ。でも喜んでもらえて嬉しいわ〜」

「とても美味しかったです! 子どもたちがすぐに食べちゃって、あっという間になくなりましたよ、ははは」

「ほんと? あれね、お土産屋さんを探すのに苦労してやっと見つけたのよ〜もっと選べたら良かったんだけど、時間もなくて。一緒に行った友達と”お土産どうしよう?”って困っちゃってね〜。でも行ってよかったわぁ。お宿もすごく綺麗で――」

 おっと、いつもの流れに巻き込まれそうだ。


「すみません、子どもたちが待っているので、今日はこの辺で失礼します」

「あらやだ、ごめんねお話長くて。お急ぎなのに引き止めちゃって」

「いえいえ、こちらこそ。またよろしくお願いします」


「今度、佐々木さんにお返ししなきゃな」

 家に向かいながら、小さくつぶやいた。


 住み慣れた賃貸マンションの3階に到着し、鍵を開けて声をかける。

「ただいまー」

「おかえり」「かえりぃー」

 娘と息子の声が返ってくる。リビングの方から娘が顔を出した。

「ママはまだだよ。お腹すいたから早くご飯作って」

「はいよ」

 手を洗って冷蔵庫を開け、中途半端に残された食材に目をやる。

「今日は回鍋肉ホイコーロ―かな」

 某有名メーカーの素を使った簡易レシピだけど。

 まず、レタスと玉ねぎのツナサラダを仕上げる。

 続いて、切っておいたキャベツとピーマンをフライパンで炒める。火を通しすぎないようにするのがポイントだ。

 野菜をいったん大皿にあげ、多めの薄切り豚バラ肉に下味と臭み消しとしてほんの少しウイスキーを振りかけ、火を通す。


 肉に火が通ったら回鍋肉ホイコーローの素を加えて炒め、最後に野菜を戻して軽く和えたら完成。

「よし、できた!」

 食欲をそそるいい香り。ごはん、サラダ、玉ねぎとわかめのみそ汁、そして回鍋肉ホイコーローを並べる。


「ごはんできたよー!」

ドアが開く音がすると、子供たちがやってきた。

「えー、またこれ? きた」

「そんなにしょっちゅう出してないでしょ」

「ぼく、ピザがいい」

 息子 光貴こうきはゲーム機を操作しながら小声でつぶやく。

「今日は時間がないからこれで勘弁して。スマホもゲーム機も置いて、さあ食べよう」


 2人とも嫌がっている割に、しっかり食べるんだよなぁ。

「ママのごはんは取ってあるの?」

 こういう優しいところを見ると、思わず光貴こうきの頭を撫でてしまう。

「大丈夫、ちゃんと残してあるよ」

「もう、10歳なんだから撫でるのやめてよ」

「パパからすれば”まだ”10歳だよ」

 テレビで果物マークのスマートフォンのCMが流れているのをジッと見る絵理奈えりな

「ねぇパパ。あたし新しいスマホが欲しい」

「今ので十分だろ?」

「だってこれ古いもん! 買ったときだって中古だし! バッテリーもすぐ減るし!」

「OSのサポートが切れたら考えるけど、今は問題なく使えてるでしょ?」

「友達の綾香あやかはカメラが3つ付いてるやつ持ってるんだよ! 写真がすごく綺麗なんだもん」

 本音はそれか……ははは。

「でもスマホは高いから、簡単には買えないよ。中学1年で自分専用のを持ってるだけでも贅沢でしょ」

「今みんな持ってるよ、パパ古い〜」

「そ、そうなの? とりあえず考えるだけ考えるから。さあ、ごはん続けよう」

「ぼくも新しいゲーム機とポケモンカード欲しい」

 夕食を3人で食べながら、妻の帰りが遅いことを考えた。最近は夜11時を過ぎることもあるが、家計を支えるためだと理解しているつもりだ。


 食事を済ませ、洗い物を片付けていると玄関から声が聞こえた。

「ただいま」

 息子が「ママだ!」と駆け出す。私も玄関に向かい声をかける。

「おかえり。ご飯、温め直すよ。今日は回鍋肉ホイコーローだけど」

「途中でお腹が空いて食べてきちゃったから、夕食はいいわ」

 ―――食べて帰るなら一言くらい連絡くれてもいいのに。

「そうか、じゃあ取っておくから明日の朝にでも――」

「お風呂入るわね」

 妻の美咲みさきはそう言い残し、その場を後にした。


 洗い物を終えたので、テレビを見ながら取り込んだ洗濯物を畳んでいると、風呂から上がった妻がリビングに現れた。

「なぁ……最近、帰りが結構遅いけど、もう少し早く帰れたりしないの?」

「はぁ? またそういう話? 仕方ないでしょ! 仕事なんだから!」

 妻の声が強く響いた。

「プロジェクトで忙しいって言ってるじゃない! やっと帰ってきて一息ついてるのに文句言わないでくれる?」

「いや、文句じゃなくてさ……ただ、過労で倒れたりしないか心配で…」

「だったら変なプレッシャーかけないで! はぁ~ストレス溜まる。もう寝るから、お風呂のあと最後洗っておいてね」と妻は言い寝室へ向かった。

「うん、わかった……ごめんよ」

 静かになったリビングで一人、家族が居るのに孤独を感じた。


 ため息を1つ。風呂入るか。




 風呂上がりで体はサッパリだ。とりあえず気持ちを切り替えよう。

 少しは趣味のゲームをやる時間あるかな? いま何時だろう。

 リビングの壁掛け時計の針は10時40分を指していた。

 20分くらいゲームやれるか! よし!

「ねぇパパ、あたしジャージ出すの忘れてた。明日の体育で使うんだけど」


 ―――今日はゲームをやる時間は無さそうだな。

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