第37話 恒例行事『新人退魔師潰し』(後半)

「嘘、でしょ…」

 

 呻くように言ったシャーロットに、オスカーはにこりと笑みを向ける。

「後程、しっかり叱られてくださいね。カロリーナさん」

 思わずジャスミンを振り返るが、微笑み返されるだけだった。

(潜入二日目でオスカーさんが来たってことは、一日目には既に気づかれていたのね…。)

「何の話をしている?」

 一級退魔に睨みつけられたが、正直今はそれどころではない。

(不味い。非常に不味いわ。連れ戻されちゃうかもしれない。)

 どのように説得しようかと頭を悩ませる羽目になってしまった。

「俺ら顔見知りなんすよ。共通の知り合いがいまして。まあ、退魔師にはよくある話っすね。で、俺らは何をすれば?腹減ったんすけど」

 軽い調子のオスカーに肝が冷える。徐々に機嫌の悪くなる『反共存派』の退魔師たちによって場の空気が重く冷たいものへと変化しつつある。

「簡単だ。ただ勝負すればいい」

 そう答えたのは『反共存派』をまとめる代表者、バーナード・ヘイスティングス一級退魔師だ。筋肉質で屈強な身体つきをしているだけでなく、眼光が鋭く眉間には深く皺が刻まれており、子どもが見たら泣き出しそうな形相をしている。おそらくそれが彼の普段の姿なのだろうが、威圧感が半端ではない。

「バーナードさんって熊みたいっすね~」

 へらへらと笑うオスカーに、シャーロットだけでなくジャスミンもハラハラしっぱなしだ。さすが魔王の側近、肝が据わっている。

「で。誰と手合わせすれば?」

「三対三の手合わせだ。ルールは特にない。ぶちのめした方が勝ちだ」

「倒すの三人だけでいいんすか?確実に瞬殺で終わりますけど…」

「ハハッ、威勢がいいのも今のうちだぞ」

(威勢がいいとかではなくて、本当に瞬殺よ。)

 シャーロットの心配をよそに、一級退魔師たちは自信満々だ。

「こうなったら、仕方がないわね…。行きましょうか」

 溜息交じりに言ったシャーロットに、ジャスミンとオスカーが頷く。会場へ入り、鞘から剣を抜こうとして二人に止められた。

「カロリーナが剣を抜くことないよ。直ぐに終わるから下がっていて」

「え?いや、でも」

「俺の首が飛ぶか否かかかってるんで、そこで大人しく下がっていてください。頼みますから、ほんとマジで」

「……わかったわよ」

(私も手合わせしたいのに~!)

 内心文句を言いつつ大人しく一歩下がり、観客席を眺める。心配そうなグレイシーと目が合ったため軽く手を振ってみると、呆れたような表情で溜息を吐かれた――ような気がする。

(ドウェインはいないようね。)

 確認している間に、対戦相手が会場入りした。三人とも『反共存派』の一級退魔師だ。

「お前らは共存派だな?」

 男の言葉にそれぞれ頷く。隠す必要も嘘を吐く必要もない。

「なら、手加減いらねエなあ!」

 その言葉が開戦合図だったのか、男三人が剣を構えて突進してきた。歓声と熱気が会場を沸かせ、剣同士がぶつかる音が響いた――――のも数秒だったように思う。

(瞬殺ね。)

 瞬く間にオスカーが一人で三人を倒してしまった。剣の柄で失神させられた退魔師三人を見下ろし、オスカーが首を傾げる。

「これは…予想外の弱さだな」

「んだとてめエ!」

 その言葉に憤慨した退魔師が会場へ雪崩れ込んできた。

「うわ、やべえ。乱闘になっちまった。えーっと…カロリーナ?さんは手出さないでくださいよ、俺が怒られるんで。マジで首飛ぶんで、もう言葉の意味通りに」

 必死に訴えるオスカーに頷くしかない。二人の背に挟まれるように立ち、ただ乱闘を眺める。まるでか弱い姫にでもなった気分だ。

(一級退魔師十五名と二級退魔師十二名ね。二十七対三って偏りすぎよ。これで勝てても何も嬉しくないでしょうに…。)

 早々に勝負はついた。勿論シャーロットたちの勝利だ。

 死屍累々と積み重なった敗者を見下ろし、ジャスミンとオスカーは剣を鞘に仕舞った。全員を気絶させているあたり、凄腕としか言いようがない。

「もういいっすか。腹減ったんで」

 バーナードに目を向けると、忌々し気にシャーロットたちを睨みつけていたが、特に何も言われなかったため、その場を後にすることにしたのだが。

 シャーロットたちが背を向けたと同時に、意外な人物から声が掛かった。


「カロリーナ、といったか。お前は一度も剣を構えなかったな」


 正面にはドウェインが立っていた。ジャスミンが反射的にシャーロットを背に庇ったが、それが気に入らなかったのか、ドウェインが眉を顰める。

「お前の実力を見せてもらおうか」

 勘弁してくれよ、と呟く声が背後で聞こえた。恐らくジャスミンも同じ心境だろう。

「待ってください!カロリーナは昨日入団したばかりですし訓練もまだです!」

 グレイシーの声だった。観客席から飛び降り、シャーロットとジャスミンを庇うように前に出た。

「それはそこのもう一人の女も同じだろう」

「そう…ですが…!」

(庇えないって言っていたのに、大丈夫なのかしら…。)

 自分の心配は他所にグレイシーの心配をしているシャーロットの裾をオスカーが軽く引っ張る。何事かと目を向けると「手を」と口が動いた。周囲に気づかれないよう右手を後ろに差し出すと、何かを握らされた。

 そっと手の中を見ると、そこには耳飾りと指輪が乗っていた。耳飾りはスティーヴンに以前貰ったものだ。潜入時に失くしたら嫌だからと屋敷に置いてきたものを何故オスカーが持っているのだろう、と思いつつ振り返ろうとして止められた。

「そのまま聞いてください。返事はいりません」

 そう言ってオスカーが説明を始めた。

「簡潔に言います。その耳飾りには加護の力がありますから今直ぐにつけてください。攻撃を弾くことができますから、絶対に外さないで。ドウェインは汚い手で新人を潰します。恐らく聖神力を使うでしょうから、いざという時は魔術を使って。その指輪は魔王様の魔力と繋がっていますので、聖神力に負けることはありません」

(何だか大事になってしまったわ。)

 耳飾りをさりげなく装着し、指輪は右手の小指にはめた。ピンクゴールドの指輪には、耳飾りと同じ小さな水晶が埋め込まれている。

(聖神力を使う方と手合わせなんてしたことがないのだけれど…。どうしましょう。)

 戦略を練ろうとしたシャーロットの思考は、ドウェインの言葉によって遮られた。


「安心しろ。お前みたいに少々服を剥ぐだけだ。裸体を晒すわけでもあるまい」


―――え?

 顔を上げると、ドウェインの人を見下す視線を受けるグレイシーの横顔が目に入った。

 青ざめた顔は強張り、唇は微かに震えている。

 グレイシーの固く握った拳には、血管が浮き出ていた。

(今、この人は、なんて言った?)

 自分の耳を疑ったが、それは間違いではなかったようだ。


「そいつを庇うならここは一つ、お前が一肌脱ぐか?新人の頃の如く」

 周囲の退魔師たちがいやらしく笑うのが、心底心地悪く、こだまして聞こえる。



「何が、可笑しいの」



 自分の声が遠くで響いて聞こえるような、不思議な感覚がする。

 怒り、ただそれだけにすべてが支配される感覚だ。

 血の気が失せ、ただ自分の心音だけが近くに聞こえる。


「何が可笑しいのよ!」


 怒鳴った声が、異常な静寂を生んだ。

 

 この『新人退魔師潰し』というものは、女性を陵辱するための行事なのか。

 退魔師には女性が少ないとは感じていたが、ここまで男尊女卑の環境だったのか。

 何故、このようなものが恒例行事として罷り通っているのか。

―――許せない。

 そう強く思ったのは、以前の自分にも重なる部分があったからなのだろうか。


「ジル。今笑った殿方全員記憶しておきなさい。いいわね」

「はい」

 低く、固い声色のシャーロットにグレイシーが訝し気な表情を浮かべる。

「カロリーナ?」

 その声にハッと我に返る。

(いけないいけない。怒りに任せてしまったら判断を見誤ってしまうわ。)

 怒りで上がった呼吸を整え、グレイシーに微笑む。

「大丈夫。任せてください」

「だ、大丈夫って…」

 グレイシーの制止を振り切り、ドウェインと対峙する。


「俺が勝ったら脱げ」

「では、私が勝ったら貴方が脱ぎなさい。そして二度とこのような馬鹿げた行事をやめると宣言しなさい」


 シャーロットの言葉に会場がざわめく。周囲の罵詈雑言はシャーロットにとってただのBGMだ。

「お前、生意気だな」

「よく言われるわ」

 ジャスミンとオスカーに目を向けると、心配そうな視線が返ってきた。苦笑いしつつ、そっと指輪に触れる。

(お力をお借りいたします。)

 心の中でそう言い、剣を鞘から抜いた。



〇  〇  〇  〇  〇  〇



 手合わせは学園での実技試験以来だ。侯爵令嬢であるから当たり前ではあるが、久々の手合わせに少し緊張の汗が滲む。

 幾ら学園を首席で卒業したからと言って、現役の退魔師に勝てる自信はない。だが、負けるわけにもいかない。


 開始の合図とともに振り下ろされた剣は、想定していたよりも重くはなかった。

(早さも思っていた程ではないわね。)

 力では圧倒的にシャーロットの方が不利であることは一目瞭然だ。

 このまま正面からただ衝撃を受けていては、直ぐに負けてしまう。

(それなら。)

 重い剣を受け流し、相手の背後に素早く回り込む。


―――重心は低く、剣は相手よりも素早く!


(嗚呼、こんな時に役立つのがあの人の声だなんて。)

 シャーロットの剣が相手の首元に届くより先に、ドウェインが身を翻して剣で受ける。

 強い衝撃に剣を離してしまいそうになるが、歯を食いしばって重心を低く構え直した。

「ハッ、筋はいいな」

「お褒め頂き光栄です」

 騎士団隊長から直々に手合わせをしてもらっておいてよかった。彼に比べれば剣は遅いし軽い。

 動体視力が鍛えられているからか、しっかり剣先を追うことができる。

(あの人のおかげっていうのが気に食わないけれど。この場限りは感謝するわよ、ヴィクター。)

 なかなか対等に戦えているようで、観客も賑わっている。これが相手の本気でなければ、シャーロットの分が悪いのだが、相手の表情からして余裕はなさそうだ。

 一気に畳みかけるか、相手が隙を見せるまで防御の姿勢で耐え抜くか。

 シャーロットが剣術に長けているといっても、体力は人並みだ。それも女性の平均といったところなため、これ以上試合が長引けば耐えられない。


「早々に終わらせるか」


 ドウェインがそう言って剣を鞘に仕舞った。何事かと怪訝な表情をしたシャーロットに愉快そうな笑みを浮かべ、腰のホルスターから拳銃を抜いた。

(人間には効かないのに、何故今取り出したの?脅しかしら。)

 動じずにドウェインに向かって駆けだしたシャーロットを、オスカーが慌てた声で止めるのが聞こえた―――危ない、と。

 その声を拾っていてよかった。

 反射的に姿勢を低くしたのと、弾が発射されたのは同時だった。

 微かに弾が頬を掠れる前に、パキンと派手な音を立ててシャーロットを透明の膜が覆った。弾は防弾ガラスに当たったかのように弾かれ、地面に落下する。

 

目を見開いたドウェインに隙ができたのを見逃さず、シャーロットは剣先をドウェインの喉元に突きつけた。



 静寂の後、午後の勤務を知らせる鐘が鳴った。

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