わたくしシャーロット、魔王様に溺愛されています。

藍沢みや

出会い

第1話 プロローグ

―――それは、悪夢だった。


 雷鳴が轟く深夜の深い森の中。

 泥濘に足を取られ何度も躓きそうになる。

肩で息をしながら顔を上げると、容赦なく雨水が目の中に入り込んできた。

 まるで先に進むことを拒まれているようだと、心が折れそうになる。


 小さな少女を背負って懸命に歩みを進めているのは、たった六つの少女だった。


 布切れのような薄汚れたワンピースには血と泥が染みつき、靴を履いていない彼女の足にはいくつもの細かい傷跡が刻まれていた。


 時々泣きそうに声を漏らしながらも、彼女は立ち止まれない理由があった。


――みつかったら、ころされる。


 背中で浅い呼吸をする少女を―――初めての友人を失くしたくない一心で重たい足を懸命に進めていた。寒さや痛みは感じず、ただただ恐怖に心が支配されていた。

 体力は既に限界を超えている。それでも、足を止めるわけにはいかなかった。

 元から体の弱い友人が昨夜から高熱で魘されているのだ。恐ろしいほどに身体も額も熱く、痙攣しているかのように震えている。今もその感覚が背中から直接伝わっているのだ。

 逸早く医者の下へ連れて行かなければならないと、たった六つの少女は怯えていた。

 そんな中、背中から弱々しい声がかかる。


「ロティー……もう、いいよ……」


 友人の涙声を聞いて、ついに涙が溢れだした。バケツをひっくり返したような雨に、その涙は洗い流されていく。


 心が折れようとも、彼女は足を止めたりはしなかった。

「だいじょうぶよ、ジャジー。だから、安心して、ねむっていて。つぎ、目をさましたら……あたたかいおふとんの中だから。だいじょうぶよ」

 震える声で何度も何度も繰り返し、そして漸く気が付いた。


――息を、していない。


「ねえ、ジャジー?ねむっていてって、いったけれど、ちがうわよ……?」

 背負った友人に声を掛けるが、先程までの苦しそうな息遣いが嘘のように感じない。

「ジャジー!」

 怒鳴り声を上げても反応はない。怖くて、恐ろしくて――ついに足を止めてしまった。


(どうしよう…どうしようどうしよう…!!)


 頭が真っ白になって呼吸が儘ならない。激しい頭痛と共に耳鳴りがする。ぐらぐらと地面が揺れるような気持ち悪い感覚に耐えられずそのまま座り込むと、どさりと背中から力なく友人が倒れた。恐怖のあまりそちらに目を向けられず、ただ呆然と真っ暗な雨空を見上げて―――なにか、音が聞こえた。


 追っ手かもしれないとか、そんなことはどうでもよかった。


 震える手で友人を背負いなおそうとするが、脱力した人間はとても重たい。背負うのに苦労しながらもなんとか立ち上がり、音がした方へ足を進める。

 幸か不幸か、音はこちらに近づいてくる。

 兎に角、道に出なければ。万が一にも人に見つかったりしないよう獣道を進んでいたが、今はその逆だ。誰かに見つけてもらわなければならない。


「ミー」


 いつの間にか目の前に一匹の黒猫がいた。瞳だけが妖しく光り、一度ゆっくり瞬きをしたあと、前を向いて軽やかに進んでいく。

 何故そうしようと思ったかはわからないが、その黒猫の後を懸命に追う。数度、黒猫は振り返ってこちらの様子を確認するような素振りを見せた。


 そして、気づけば獣道から広い道へと出ていた。

 先程聞こえた音がとても近くから聞こえる。何か、箱が揺れるような音と動物の足音。

 道の先から微かに光が見えた。少しずつ近づいてくるそれは、とても大きかった。大きな動物が二頭、大きな黒い箱を運んでいた。その前部に男が一人乗っているのを見て、乗り物なのだと合点がいった。


「はっ……!?」

 茫然とその乗り物を見ているとその男と視線が合った。驚愕の表情を浮かべた男は直ぐに動物に結ばれた紐のようなものを引っ張り、乗り物を止めた。

「ご、御主人!」

 ガタガタと立て付けの悪い音がした後、四角い箱の小窓が開いた。目尻の皺が深い一人の男が怪訝な表情で顔を出し、こちらに気が付くと、瞳が零れ落ちそうなほど目を見開いた。


「どうしたんだ!一体なにがあった!?」


 その言葉を聞いて、追っ手ではないことが分かった。片腕で涙と汗を拭うとバランスを崩して水溜まりに膝をついてしまった。だが、今度は友人を離したりはしなかった。


「……友人を、たすけてください」


 土砂降りであるにも関わらず、主人と呼ばれた男は二人の下に駆け寄った。


「なんてことだ!」

 主人が友人に目を向けて鋭い悲鳴のような声を上げる。その様子を見て涙が溢れ出してきた。

 大きなローブに包まれ、抱き上げられた友人の姿を見て、覚悟を決めた。

 濡れた目元を痛いくらいに強く拭い、その場に両膝をつくと頭を地面に擦り付けた。泥水が顔につくが、そのようなことはどうでもよかった。

 友人が助かるのなら地面を舐めったっていい。この泥水を飲んだって構わない。

 激しい雨音に負けないように、残り僅かな力を振り絞ってできる限り大きな声を出す。


「何でもします。ど・れ・い・でも、し・ょ・う・ふ・でも、に・え・でも、かまいません。友人を、たすけて…ください。たすけて―――なんでも、するからっ」


 堪えていた涙が溢れだし、嗚咽が漏れた。


 悲痛な泣き声が夜闇に吸い込まれ、雷鳴が彼女たちを急かしているようだった。



〇  〇  〇  〇  〇  〇  



「―――――っ!!」

 勢いよく体を起こすと、そこは見慣れた自室だった。

 全身が汗でぐっしょりと濡れている。暴れる心臓を震える両手で押さえつけ、強く目を瞑るとなにか温かくふわふわしたものが腕に触れた。

「……ルーカス」

「ミー」

 心配そうに頭を摺り寄せる黒猫のルーカスをそっと抱き上げる。優しく首元を撫でると大きなビー玉のような瞳を細めた。

「怖い夢を、みただけよ。大丈夫」

 そう言う声は情けないほどに震えていた。今日のような雷雨の夜は、決まって同じ夢を見る。

 過去の、とても恐ろしい夢を。

「汗をかいたから、着替えるわね」

 その前に汗を拭こうと、ルーカスをそっと放しベッドから抜け出す。カーテンの隙間から漏れる微かな月明りを頼りに扉を開くと、広い屋敷の廊下の奥から侍女が慌てた様子でこちらに向かってくるところだった。

「……ルーカス。前も言ったけれど、わざわざに伝えなくてもいいのよ。でも、心配してくれてありがとう」

 自分の影に向かって言葉を落とすと、「ミー」と満足気な鳴き声が返ってくる。

「シャーロット様、タオルをお持ちいたしました。着替えもご用意しますね」

「ありがとう―――ジャジー」

 友人であり侍女であるジャスミンから着替えを受け取り、大人しく部屋へ戻った。

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