【不定期更新】僕の部屋に世界で一番可愛い「厄介モノ」が納品されました
楓かゆ
第1話 18歳の誕生日、納品されたものは少女でした。
世界は灰色だった。
窓の外に広がる「アカデミア・アーク」の整然とした街並みも、ホログラムの教科書から流れ出る情報も、隣の席で退屈そうにペンを回すエリートの横顔も。そのすべてが、色味を失った古い写真のように、僕の網膜をただ通り過ぎていくだけ。
「……以上で今日の量子力学概論を終了する。諸君、知的好奇心は人類を進化させる唯一のエンジンだ。怠惰に溺れぬよう精進したまえ」
老教授のありがたい訓示も、右の耳から入って左の耳へと抜けていくただの音の羅列でしかない。
チャイムが鳴り、解放を告げる。学生たちが一斉に立ち上がり、雑談に花を咲かせながら教室から出ていく中、僕はしばらく席を立つ気になれなかった。
「瞬君、また心ここにあらずって顔してたよ? 大丈夫?」
僕の前の席に座っていた少女、橘陽葵(たちばなひまり)が、心配そうな顔で振り返った。艶やかな黒髪のポニーテールが、彼女の快活な動きに合わせてさらりと揺れる。アカデミアでもトップクラスの成績を誇る才女でありながら、それを少しも鼻にかけない。数少ない、僕が「友人」と呼べるかもしれない人間だ。
「別に。いつも通りだろ」
「それが一番心配なんだってば。……そうだ! 今日、駅前の新しいカフェに行かない? 限定のシンセティック・パフェがすごい美味しいらしいよ!」
屈託のない笑顔。この灰色で退屈な世界における、数少ない色彩。
だが、その色彩すら、今の僕の心を揺らすには力不足だった。
「パス。用事がある」
「えー、用事って? どうせ寮に帰ってプログラミングかネットサーフィンでしょ? たまには付き合いなさいよ」
唇を尖らせる陽葵に、僕は短く答えた。
「今日は、誕生日なんだ」
「え……」
陽葵は一瞬、言葉を失い、それから慌てたように顔を赤らめた。
「そ、そうだったんだ! ご、ごめん、私としたことが……! お、おめでとう、瞬君! えっ、じゃあプレゼントとか……」
「いらない。祝われるような年でもないだろ、十八なんて」
僕は無感情に言い放ち、荷物をまとめて席を立った。背後で「そんなことないのに……」と寂しそうに呟く陽葵の声が聞こえたが、振り返ることはしなかった。
別に彼女が嫌いなわけじゃない。むしろ、僕のような人間に構ってくれる彼女には感謝すらしている。
ただ、心が動かないのだ。
嬉しいも、楽しいも、悲しいも、そのすべてが遠い国の出来事のように感じられる。物心ついたときから、僕の世界はずっとこんな風だった。
両親は、僕が幼い頃に死んだ。「不慮の研究中の事故」だったと聞かされている。世界的な分子工学の権威だった二人は、僕に莫大な遺産と、そしてこのアカデミア・アークへの入学資格を残してくれた。
何一つ不自由のない生活。誰もが羨む頭脳。だが、僕の心はいつも空っぽだった。何を見ても、何をしても、そこに感動はなかった。まるで、僕という人間から「感情」というプログラムだけが抜き取られてしまったかのように。
寮への道を歩きながら、僕はポケットの中のスマホを弄る。SNSには、同級生たちのキラキラした日常が溢れている。恋人と訪れた観光地の写真。サークル仲間との打ち上げの動画。どれもこれも、僕とは無縁の世界だ。
ピロン、と短い通知音が鳴った。
配送業者からのメッセージだ。
『空木 瞬様。お預かりしておりましたお品物を、本日18時付で貴殿のプライベート・ルームに搬入いたしました。ご査収ください。PS:天国のご両親より、心からの祝福を込めて』
「品物……?」
首を傾げる。僕は何かを注文した覚えはない。ましてや、差出人が「天国のご両親」なんて、悪趣味な冗談にも程がある。遺産管理団体からの連絡だろうか。いや、彼らはいつも、もっと格式張った事務的な文面で連絡してくる。
まあ、いい。どうせ僕の誕生日を祝ってくれる人間なんていやしないんだ。少しばかり奇妙なプレゼントも、悪くはない。
そんな風に、僕はたいして気にも留めず、自室のドアを開けた。
そして、その光景に絶句した。
僕の部屋は、アカデミアが学生に与える標準的な個室だ。ベッドと勉強机、クローゼット。生活に必要な最低限のものがコンパクトにまとめられている。決して広くはない。
その部屋の、半分近くを。
金属質の、巨大なサーバーラックが占拠していた。
高さは天井に届きそうなくらい、幅はベッドよりも広い。表面は滑らかな黒曜石のような金属で覆われ、無数のケーブルが複雑に絡み合いながら、壁のコンセントに集約されている。静かな駆動音が、重低音となって部屋の空気を震わせていた。
「なんだ、これ……」
まるで企業のデータセンターから引っこ抜いてきたような代物だ。こんなものがどうやって搬入されたのか。それ以前に、これは一体何なんだ。
ラックの側面には、一枚の金属製のカードがマグネットで貼り付けられていた。震える手でそれを剥がし、文字を読む。レーザーで刻印された、見慣れた筆跡。間違いなく、父の字だ。
『我が愛する息子、瞬へ。
十八歳の誕生日、おめでとう。
お前に何も残してやれなかった不甲斐ない父と母を許してくれ。
これは、我々がお前に残せる、たった一つの、そして最後の贈り物だ。
世界がお前を拒絶したとき、必ず、これがお前を守るだろう。
――お前が、それを本当に望むのなら。
起動パスワード:【Happy Birthday, My Son.】』
メッセージを読み終えた僕の心臓は、ここ数年で感じたことのないほど激しく鼓動していた。
灰色の世界に、一筋の亀裂が入ったような感覚。
贈り物? これが? 父さんと母さんからの?
思考が追い付かない。だが、僕の指はもう動いていた。ラックに唯一備え付けられたタッチパネル式のコンソールに、吸い寄せられるように触れる。
コンソールが青白い光を放ち、パスワードの入力を求めてきた。
僕はごくりと唾を飲み込み、震える指で、父が遺した言葉を入力した。
『Happy Birthday, My Son.』
エンターキーを押した瞬間。
――世界が、白に染まった。
「ウウウウウウウウウンンンンンンンンン!!!!!」
サーバーラックが轟音を立てて振動を始める。床が、壁が、天井が、まるで地震のように揺れ、ディスプレイに表示されるシステムログが滝のように流れ落ちていく。
【SYSTEM ALL GREEN.】
【BIO-PRINTING SEQUENCE, START.】
【NANO-MACHINE MATRIX, ACTIVATED.】
【SYNTHETIC ORGANIC COMPOUND, INJECT.】
【ETERNAL-UNIVERSAL-LOGIC-INTERFACE-DEVICE...】
【INITIALIZING...... E. U. L. I. D. SYSTEM】
何を言っているのか、さっぱり分からなかった。だが、僕の本能が警鐘を鳴らしている。今すぐにここから逃げ出せと。
しかし、足が動かない。恐怖と、それ以上に強烈な好奇心で、僕はその場に縫い付けられていた。
ラックの前面が、音もなくスライドするように開いていく。
中から溢れ出してきたのは、光だった。目も眩むような、純白の光の奔流。思わず腕で顔を覆う。
轟音と振動が最高潮に達したかと思うと、ぴたり、と唐突に静寂が訪れた。まるで嵐が過ぎ去った後のように。
僕は恐る恐る、腕の隙間から前を見た。
光は収まっていた。サーバーラックの開いた内部には、何か人影のようなものが見える。
「……?」
ゆっくりと腕を下ろし、僕は目を凝らした。
そこに立っていたのは。
「―――は?」
息を呑む、とはこのことだろうか。
言葉を失い、思考が停止する。
灰色の世界が、その瞬間、鮮やかな色彩で塗りたくられていくような衝撃。
サーバーラックの奥、淡い光に照らされて、一人の少女が静かに佇んでいた。
絹糸のような、白金の髪。
雪のように透き通った肌。
人形のように整った、完璧な造形の顔立ち。
そして、その全てを無に帰すほどに、彼女は――全裸だった。
長くしなやかな手足。控えめながらも柔らかな曲線を描く胸。きゅっと引き締まったくびれ。非現実的なまでの完璧なプロポーションが、恥ずかしげもなく僕の眼前に晒されている。
芸術品だ、と思った。ミケランジェロが彫刻し、ダ・ヴィンチが彩色したとしても、これほどの美しさを創造することは不可能だろう。
僕が呆然と立ち尽くしていると、少女の長い睫毛が微かに震え、ゆっくりと瞼が開かれた。
現れたのは、燃えるような緋色の瞳。
その瞳は、まるで生まれたての赤子のように純粋で、そして同時に、世界の全てを見透かすような深遠な知性を宿していた。
少女は、僕の姿をその赤い瞳に映し込むと、小さく、そして形の良い唇を、ゆっくりと開いた。
「……生体情報の走査、完了。音声認識システム、起動。発声テスト……あ、あー……」
透き通るような、鈴を転がすような声だった。彼女は自身の喉に軽く触れ、何度か声を出す練習をするかのように、小さく喉を鳴らした。そして、もう一度僕を見据える。
「あなたが、私の……マスター、ですか?」
「…………は?」
ようやく僕の口から漏れたのは、そんな間抜けな声だった。
マスター? 主人? いったい何の話だ。
「肯定の意と解釈。マスター、空木瞬との接続(コネクト)を開始します」
少女は淡々とそう言うと、ふわり、と一歩、前に踏み出した。何の躊躇もなく、生まれたままの姿で。
僕は反射的に一歩後ずさる。
「ま、待て! そのまま出てくるな! 服! 服を着ろ!」
「ふく……?」
少女は不思議そうに首を傾げた。その仕草すら、計算され尽くしたかのように愛らしい。だが、状況はそれどころではない。
「ふく。衣服のことだ。布で体を覆うこと。プライバシーと、ええと、その……風紀的な問題だ!」
僕はしどろもどろになりながら、ベッドに放り出してあった自分のパーカーを掴み、彼女に向かって投げつけた。
少女は驚くべき反射神経で、飛んできたパーカーをひょいと掴む。そして、それを不思議そうに眺め、匂いを嗅いだり、生地を引っ張ったりしている。
「これを……装着しろ、と?」
「そうだ! とにかくそれを着てくれ! 頼むから!」
僕が必死に訴えると、少女はこくりと頷き、ぎこちない手つきでパーカーに袖を通し始めた。サイズが合わないぶかぶかのパーカーが、彼女の華奢な身体を覆い隠していく。それでも、パーカーの裾から伸びる、雪のように白い完璧な脚線美が、妙に扇情的だった。
僕は慌てて視線を逸らす。
「マスター」
「……なんだ」
「신체 기능은 안정적으로 작동 중입니다。 그러나 기억 영역에 접근할 수 없습니다。저는 누구입니까?여기는 어디입니까?」(身体機能は安定的に作動しています。しかし、記憶領域にはアクセスできません。私は誰ですか?ここはどこですか?)
「なっ……」
僕は再び言葉を失った。今、彼女が口にしたのは流暢な韓国語だった。
「基本言語設定にエラーを検知。再設定します……Ah, Master. Could you tell me where I am? What is my purpose?(ああ、ご主人様。私は今どこにいるのですか?私の目的は何ですか?)」
次は完璧なクイーンズ・イングリッシュ。
「貴方は私の主なのですか? 私は何故ここにいるのでしょう」
僕が完全に思考停止していると、少女は何度か瞬きをして、最終的に、僕にも理解できる言葉に落ち着いた。
「……言語モジュールの最適化、完了。これでよろしいでしょうか、マスター」
「……君は、一体、何なんだ」
絞り出すような僕の声に、少女――いや、彼女は自らを『エリス』と呼んでいたか?――は、その緋色の瞳を僕に向けたまま、静かに答えた。
「私はエリス。正式名称、E.U.L.I.D(ユーリッド)。あなたの両親、空木博士によって開発された、あなたを守るための自律型支援インターフェイスです」
自律型、支援インターフェイス。つまり、AIか。
「そして、私は今、とても困っています」
「……何がだ?」
「先ほどマスターが『ふく』として提供してくださったこの物体。これの着用方法は理解しましたが、下半身を覆うものがありません。これは仕様ですか? それともマスターの趣味嗜好によるものですか?」
エリスはぶかぶかのパーカーの裾を少しだけ持ち上げ、すらりとした太ももを僕に見せつけながら、真顔でそう問いかけてきた。
僕は天を仰いだ。
これが、父さんと母さんが遺した「最後の贈り物」。
これが、世界が僕を拒絶した時に、僕を守ってくれるという存在。
十八歳の誕生日。僕の灰色の世界に、とんでもない『厄介モノ』が――納品されてしまった。
その夜、僕は初めて、心からの溜息というものを、知ったのかもしれない。
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やってしまいました。いわゆるプロットも何もないけど、書きたい衝動が抑えきれなかったというやつです。
まだ全体の構想はぼんやりとしているのですが、このワクワク感を誰かと共有したくて、フライング気味に投稿させていただきます。
不定期更新になるかと思いますが、この物語を大切に育てていきたいと思っていますので、気長にお付き合いいただけると嬉しいです。
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