第9話

 罪が確定すれば、ミトスが求める処罰は相応だと言える。帝国との密通など考えていなかった時でさえ、エメラダの頭にも過ったぐらいだ。


 それぐらい個人的に嫌悪しているし、公的にもはらわたが煮えくり返っている。

 だが頭の中で考えているだけの時と、誰かの口を通して出てきた言葉では衝撃が違った。


「エメラダ。我が国の法ではどうなっていただろう」

「……ミトス殿の求刑は、法にのっとったものと存じます」

「そうか」


 エメラダがした容認の発言に対するユラフィオとミトスの反応は――それぞれ、まったく変化がなかった。

 ユラフィオは何かを特別に考えた様子もなくうなずいただけだし、ミトスは当然の言葉を聞いたと言わんばかりに眉一つ動かさない。


 事実、ミトスの中では当然なのだろう。彼は国に、法に従順だ。

 たとえそれが、命あるものの存在を懸けた内容であろうとも。


(正しいのだと思う。でもわたしは……少し、怖い)


 命というものは、喪えば二度取り戻せない重いものだから。


(これは、王妃として抱くには弱い気持ちなのかしら……)


 一切揺らぎのないミトスを見ていると、迷ってはいけないような気がしてくる。


「法が定めているのであれば、私に否はない。罪に対する、適切な罰を与えよう。――ただし、取り返しのつかない判断となる。誤る事のないよう、慎重に頼むよ」

「心得ています」


 ユラフィオの注意に対しても、ミトスはためらいのない断言を返した。

 それに少し、不思議な心地になる。


(ミトス殿は、間違えない自信があるのかしら。それとも迷う姿は見せられないという覚悟ゆえ?)


 本来ならば頼もしく思うべきなのかもしれないが、エメラダが感じたのは危うさだった。

 無論、表情には出さないように努めたが。


「ご用件は以上でよろしいですか」

「え、ええ」


 重大な話だったはずだが、ミトスの口調はいつも行っている仕事の一つを説明した、ぐらいの淡白さだ。


「では、御前を失礼いたします。動きがありましたら追ってご報告いたしますので」

「お願いするわ」

「は。お任せください」


 エメラダとユラフィオと真正面から向き合い、ミトスは堂々と応じた。そして一礼すると執務室を去る。


(忙しいのでしょうね……)


 ミトスの背を見送ったエメラダは、ぼんやりと、あまりに日常的な感想を思い浮かべてしまう。

 ミトスが極々、当然のような態度に終始していたから。


「さて、エメラダ」

「はいっ!?」


 戸惑いのせいで現実から離れかけていた思考が、名前を呼ばれた事で戻って来る。

 ただ構えていないところに声を掛けられたので、動揺が現れた返事となってしまった。


「し、失礼しました」


 うろたえた様を晒したのを恥ずかしく思いつつ、エメラダは意識を切り替える。


「驚かせたかな。すまなかったね。そろそろ仕事をしようと思ったものだから。今日、私はどの書類に判を押せばいいのかな」

「それは……いえ、間違ってはいないですけど……」


 やることは間違っていないが、意義が思い切り間違っている。


 息を付きつつ、エメラダは戸棚から前日に残った書類を取り出した。あと十数分もすれば、今日も沢山の書類が持ち込まれてくる事だろう。


 腕に抱えた紙の束を机の上に置きつつ、ユラフィオを見詰める。


「陛下は、ミトス殿のことをどう思われますか?」

「ミトスかい? そうだね」


 エメラダが訊ねた真意を気にする様子もなく、ユラフィオは素直に考え始めた。

 考えないと人となりへの感想が出てこないというのが、すでに距離感の証明と言えるだろう。


「真面目で、頼もしい騎士だと思うよ。それと、果断なところが羨ましくもある。私もミトスぐらい勇敢であれば良かったのだろうが。上手くは行かないものだね」


 羨ましいなどと口にしつつも、ユラフィオの声も態度もいつも通りに平坦だ。とても言った通りの感情が乗っているようには見えない。


「本当ですか?」


 だからつい、そのままの疑問をぶつけてしまった。


「勿論だとも。どうしてだい?」

「……その。もしわたしなら、妬ましい思いがあったらそのように穏やかにはいられないので」


 とは言え、他の人の心が見えたり感じ取れたりする訳ではない。


「わたしはもしかして、物凄く性格が悪いのでしょうか……」


 もしや世の人々は妬ましい気持ちをユラフィオのように穏やかなまま見詰めて、認められているのだろうか。


(もし今考えた通りなら、わたしはもっと自分を律さなくてはならないわ……!)


 心が感じるものは、仕方のない部分もある。

 しかし諦めるのは別だ。心を鍛えて、正しく振舞うことはできる。知識と努力によって。


「ふむ、成程。ではもしかしたら、私は自分が思っている程人を妬ましく感じてはいないのかもしれないね」

「え」

「私は今、己の美点を一つ見付けられたのかもしれない。ありがとう、エメラダ」


 するり、と。流れるように話を逸らされた。


 エメラダが自分の醜い感情に、必要以上に嫌悪を抱く前に。ユラフィオの方が己の発言を訂正した。

 本気ではないから、心もさして動かないのだと。


(わたしを、気遣ってくださった?)


 ユラフィオがした訂正は、エメラダにはそうとしか思えなかった。

 しかし同時に悟る。本人に追及はできない。したところで煙に巻くような答えが返ってくるだけだ。


(いつもの陛下ならきっと、そう。『私は感情にも鈍いようだ』とかなんとか言って……)


 他人の心の内側など見えないから、相手から言われてしまえば追及のしようがない。

 できない言い回しを選んでいる。


(それは、愚か者がする芸当なの? 偶然その発言になっているだけだとでも?)


 一度や二度ならあるかもしれない。だがユラフィオの『王は愚鈍である』という評価が揺らいだことなど一度もない。


 それは相手の思考を先読みしているからこそ、狙った通りの姿を印象付けているのではないのか。


 だとするなら、何のために愚か者の振りをしているのか、と言う話になるが。益はまったくないように思う。


(……考えすぎかしら)


 大体、今のヴィージールで暗君を演じているような余裕はないのだ。真に暗君でないのなら、国のことを、民のことを考えて少しでも状況を改善しようとするだろう。


 ユラフィオが侮られているせいで、貴族たちが好き勝手している面もある。


 監督者の目が行き届かないからと勝手な行いをする方が問題ではあるのだが、手綱が取れない主もやはり問題ではあるのだ。


 結果、エメラダは思い浮かんだ想像を否定するしかない。

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