スキマ時間で読める短編もの

神谷 蓮

猫と西瓜と

 うだるような暑い夏の日。

 元気なのは庭の雑草と蝉と太陽ばかりで、古びた扇風機はガタガタと不規則に揺れながら蒸し暑いばかりの風を送る。友人のツテでもらい受けた芝浦製作所(※現東芝)の扇風機は睡蓮という可憐な型名に反して随分と頑丈だ。

 裏庭に面した部屋は北向きのはずなのに、縁側の向こうに見える庭は緑が蔓延っている。

 伸び放題の蔦に雑草。

 今年こそはと気合を入れたはずの家庭菜園など、早々に緑の海に埋もれて行方が知れない。

「はあ、ほんと。こう暑くっちゃあ、ヤになっちゃいますねぇ」

 ごろりと大の字に寝転がった男はへらへらと笑いながらそんなことを言った。

 語りかけている相手は猫である。

 ころころと丸い黒猫は大きな金目をぱちりと瞬いて男の話を聞いている。

 何がだ、と言わんばかりの表情に男はまたへらりと笑った。

 黒猫の耳の付け根をこしょこしょと掻いてやりながら、男は緑に溢れた裏庭を眺めた。

 少しささくれだった畳がちくちくする。

「綺麗だったんですよ、輿入れ」

 遠目に眺めた白無垢と、はにかんだ若旦那の幸せそうな笑顔が目に浮かぶ。

 幸せそうだと思った。

 身分が違うと何度も断る彼女に、今はもうそんな時代ではないと若旦那は根気強く説得したのだと聞く。

 はあ、と男は溜息をついた。

 部屋を見渡しても、見えるのはくしゃくしゃと丸めて投げ捨てられた原稿用紙に擦り切れた畳、鳴き板造りでもないのに歩けば軋んで音を立てる縁側と、その向こう、腹が立つぐらいに爽やかな濃い青空だけだ。

 容姿が端麗な訳でも、資産がある訳でも、稼ぎがある訳でもない。

 何一つとしてあの若旦那に勝てるところがないのだから、完敗なのだ。勝負どころかスタートラインにすら立てていない。

「僕と居るより、きっと幸せなんです。クロもそう思いませんか」

 黒猫はひとつ欠伸を漏らして、ぐっと手足を伸ばす。

「にゃあん」

 家猫特有の何とも甘えた声で鳴いてから、するっと体を起こした黒猫は足音も立てずに男の胸の上にどんと乗り上げ座り込む。

 ごろごろと機嫌よく鳴らした喉の音がいつもより大きい。

「重たいですねぇ」

 どっしりとした雄猫の重みを胸に受けつつ男は笑う。

 生き物特有の温かさが今は何よりも有難い。

「こう暑いと、西瓜が食べたいですねぇ」

 仰向けのまま、男は言う。

 彼女はよく庭の大盥で西瓜を冷やしていた。

 筆が進まないとぼやく自分に、西瓜でもどうですかと。

 縁側で食べる西瓜が美味しくて、つい長話をしてしまって。

 引き留めていたなら何かが変わったのだろうか―――そんな、今更どうしようもないことを考えながら、ごろごろと喉を鳴らす猫の頭をゆっくり撫でてやった。

「お前はずっと、居てくださいね」

「にゃあん」

 大きな黒猫はひと声鳴いて、その大きな金目をゆっくり二度三度と瞬いた。

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