第6話 夢幻の如く
私たちは「希望の心を重ねる」という名目で、名古屋の街を巡ることにした。……まあ、実質、デートなんだけどね。
まずは久屋大通公園のテレビ塔に来た。空を突き刺すような銀色の鉄塔は、私の知っている姿と変わらない。
「未来ではね、このテレビ塔も危なかったんだよ。一度は解体されそうになって……でも、たくさんの人が『残したい』って願ったから、未来にもあるの。夜になると、もっと綺麗にライトアップされて、みんなのデートスポットになってる」
「ほうか。そりゃええな。残るもんには、それだけの想いがこもっとるんだな」
石橋くんは、どこか誇らしげにテレビ塔を見上げた。
テレビ塔の近くにあったレコード店に、私たちは吸い込まれるように入った。店内に流れるのは、吉田拓郎の『結婚しようよ』。少し気だるげで、でも、まっすぐな歌声が、この時代の空気を伝えてくる。
「これが、今の若者の歌だがね。フォークソングって言うんだわ」
石橋くんは、少し得意げに解説する。彼はシングルレコードの棚を漁りながら、井上陽水のレコードを手に取った。
「こいつの歌も、ええぞ。言葉の使い方が、他の奴らとは違う」
「へえ……。私の時代ではね、推しのロックバンドがいて……」
私は、自分が夢中になっているバンドの話をしようとした。でも、言葉が続かない。
「どんな音なんだ? ロックバンドっていうと、ザ・タイガースみたいなもんか?」
「えっと……ギターがもっと歪んでて、ドラムの音がすごく大きくて、歌詞は……もっと、こう、叫ぶような感じで……」
説明すればするほど、陳腐になっていく。私の「当たり前」は、ここにはない。彼の知らない音楽、彼の知らない言葉。そのもどかしさに、私は俯いてしまった。
すると、彼は私の顔を覗き込むようにして、優しく言った。
「まあ、そいつらのことは、よう分からん」
そして、にっと笑った。
「でもな、綾菜。あんたがそいつらを推しとるってことは、そいつらの歌には、魂がこもっとるんだろ?」
「え……?」
「時代が変わって、音の形が変わっても、ええ歌ってのは、そういうもんだ。聴く人間の魂を、根っこから揺さぶるような、何かがある。あんたの言うバンドも、俺が好きな裕次郎も、拓郎も、きっと芯の部分は同じなんだわ」
「……うん。そうなの。すごく、魂がこもってる」
「だろ? なら、それでええがね。いつか聴いてみたいもんだな、綾菜の推しの歌」
いたずらっぽく彼は笑うと、私の頭をくしゃっと、少しだけ乱暴に撫でた。
「もう! 痛いってば……」
さらに文句を言ってやろうと思ったんだけど、何も言葉が浮かばなかった。
「そうだ、ええとこに連れてったる」
テレビ塔を見上げた後、石橋くんがそう言って、私を連れて行ったのは、テレビ塔のすぐ南にある大きな百貨店だった。
「オリエンタル中村百貨店……。すごい、これが未来の三越なんだ」
「ミツコシ? 知らんな。まあ、ここは名古屋で一番の百貨店だがね」
彼が得意げにそう言うと、まず私を一階の広小路通に面した玄関へと案内した。そこには、多くの人々が待ち合わせのために集まっていた。
「あ、カンガルーだ!」
人だかりの中心に、大きなカンガルーの親子像が鎮座していた。
「こいつが、このデパートのシンボルだ。待ち合わせといえば、中村のカンガルー前ってのが、名古屋の常識だがね」
彼は、少し懐かしそうに像を見つめた。
「昔、親父とここで待ち合わせしてな。『このカンガルーの前で待っとれ』って言われたんだわ。はぐれたら大変だでな」
子供たちが、カンガルー像の足元ではしゃいでいる。その光景は、温かくて、平和そのものだった。
「未来でも、こいつはここにおるんか?」
「ううん……。この像は、もうないよ。デパートの名前も、変わっちゃってるから」
「そうか」
彼は、少しだけ寂しそうに目を伏せた。
「腹、減ったな……。行くぞ」
彼は何かを振り払うようにそう言うと、私をエレベーターへと促した。
エレベーターで向かった先は、屋上だった。屋上遊園地は、子供たちの歓声であふれている。メリーゴーランドの陽気な音楽、豆汽車が走る音。小さな観覧車まである。
「すごい……屋上に遊園地があるんだ」
「当たり前だがや。デパートの屋上と言やあ、遊園地だろ」
彼が向かったのは、遊園地の隅にある、大衆的な食堂だった。プラスチックの食券を買い、窓際の席に座る。窓からは、さっき見上げたテレビ塔が間近に見えた。
「ほらよ」
彼がニヤニヤしながら運んできてくれたのは、白い陶器の器に入った、シンプルな中華そばとお子様ランチだった。
「お子様ランチ!?」
「あんたは、腹ペコのガキみたいだったでな」
意地悪く言った彼に、私は頬を少し膨らませた。
チキンライスの上には、日本の国旗が誇らしげに立っている。タコさんウインナーに、ハンバーグ、エビフライ。
「いただきます!」
私は、まず旗を抜き、それからスプーンでチキンライスを口に運んだ。懐かしくて、優しい味。
「おいしい!」
「だろ? それに、ここの中華そばは、昔ながらの味でうまいんだわ」
彼は、麺をすすりながら満足げに言う。私たちは、窓の外の景色を眺めながら、しばらく無言で食事をした。無邪気な子供たちの笑い声が、まるでBGMのようだった。
「でもね」と私は切り出した。
「一階のカンガルー像も、この屋上遊園地も、未来ではなくなっちゃうけど……。このデパート自体は、ずっと残ってる。もっと大きくて、綺麗になって。たくさんの人が買い物に来る、名古屋で一番の場所だよ」
「……ほうか。なくなるもんもあれば、残るもんもある、か」
彼は、何かを納得するように呟いた。
この何気ない時間が、未来ではもう体験できない、かけがえのないものなんだ。私たちは、きっと同じことを思っている。
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