第18話 CD発売記念衣装展

 エアコンの効いたライブハウスを出ると外は蒸していた。渋谷であっても駅から離れたこの辺りは人通りがまばらで、通り沿いに並ぶ飲食店はすでに軒並み閉店している。入場ワンドリンクのミネラルウォーターをとっくに飲み干した袴田は、まだ開いていたカフェチェーンに入店しアイスコーヒーを注文した。「10時で閉店ですがよろしいですか?」の問いかけには頷くしかない。


 客はほかに裁縫でもしているかのように熱心にスマホをいじるOL風の女性とこの時間にスポーツ新聞の一面をまじまじと眺める中年男性だけ。今日もプロ野球は開催され、大方結果はでているはずも昨日の何が気になるのか。袴田はそっちの方が気になった。


 通りに臨む窓際の席に座った袴田は手帳を取り出した。石川千紗は火曜と金曜が休みと西山ビルサービスの畠山が話していた。今日は火曜、マテリアドールを見るなら今日でもよかった。しかし石川はハピネスタウン甲府が忙しい日曜日に休暇をとってアイサマへ行った。

 日野ゆいかの生誕祭が行われた先月の14日は金曜日。休みだったにもかかわらず石川は行かなかった。当日券が発売されており、チケットが買えなかったということはない。会場は杉並区高円寺のライブハウスで開演が18時。平日の高円寺発甲府着の終電は22時52分で、ライブ後の特典会に参加しても十分間にあう時間だ。


 石川千紗が休暇をとってまで『IDOL SUMMER STAGE』へ行ったのは別の目当てがいたから、日野の生誕祭に行かなかったのはそこまでのファンではなかったからではないかという男の意見は腑に落ちた。

 別の推しの存在は盲点だった。アイドルファンは特定の推しに専心するものと思い込でいた。しかし単独ライブではなく多数のグループが出演するアイドルフェスに行ったのだからその可能性は否定できない。


 あま夏フェスでの聞き込みでは他に目撃情報を得られなかった。件の日野ファンがアイサマにいた石川を記憶していたのは不慣れな特典会に戸惑う姿が目についたからで、勝手を知ってからは目立たなかったのか。

 とすると石川に他にも推しがいたとしても、特典会参加はやはりアイサマの日野ゆいかが初めだったのではないか。あま夏フェスで目撃した特典会は、どれも特典券を購入して列に並び、順番がきたらアイドルと並んで撮影する同じ形式で、列の一番後ろは『最後尾』のプラカードを掲げる。インスタントカメラでなく手持ちのスマホで撮影するケースもあったが、その他に大きな差異はなかった。石川のアイドルファン歴はまだ浅いとするのが妥当だ。


「ラストオーダーになるんですが」注文を聞きに来た店員に「もう出ます」と断って袴田は店を出た。


 渋谷駅に近づくにつれ人通りが増え、街が明るくなっていく。22時を過ぎようとしているのにセンター街は人で賑わい、夜はこれからと言った様相。袴田の若い頃は若者の街だった渋谷も今では外国人で溢れ国籍も様々、ZARAやH&M、IKEAといった外資系企業の大型店舗も増え、いまも時代の先端を行く街といえる。

 ただしファストフードやラーメン店、ドラッグストアなど当時から営業を続けている店も多く、街並みはさほど変化していない。枯葉を落として新葉をつける大樹のように街は新陳代謝していく。


 聞き覚えのある曲が流れて来て袴田は足を止めた。駅前に建つ大型商業ビルからだった。ここも建設から年が経つが外装に手を加えたり、テナントを変えたりしながら人気を維持している。


『4月は入学式で盛りまくるの マンモス大でもキョドらない 一番かわいい子は鏡の中からわたしを見てる わたしはもってる女の子

5月はゴールデンウィークで昼寝するの どこへ行っても混んでるから 睡眠取ってスキンケア わたしは持ってる女の子

6月はジューンブライドで傘を差すの ウエディングドレスでもかなわない 水も滴るいい女 わたしは持ってる女の子』


 あま夏フェスでトリを務めひと際大きな歓声を浴びていた『MELTY CHEEK』の「CD発売記念衣装展」が開催されていた。1階フロアにメンバーの衣装を着た5体のマネキンが並んでいる。この時間でも20人ほどのファンがおり、『手を触れないでください』の注意書きがあるものの『写真撮影OK』とあって衣装に触れないよう気を配りながら推しメンカラーの衣装を着たマネキンの横に並びスマートフォンで撮影しあっている。半数が女性だった。

 ファンはこの手の写真や特典会のチェキを、オリジナルのハッシュタグをつけてSNSにアップする。日野ゆいかなら「#ヒノユイレター」がそれで、アイドルの多くは独自に決めた#ワードを有し、検索すれば自分宛ての投稿を見つけられ、ファンは推しへのアピールになるわけだ。


 フロア中央に設置されたモニターには、ここにある衣装をまとったメンバーが歌うミュージックビデオが流れている。その周りにCDが並べられ「めるちー待望の1stシングル『わたしは持ってる女の子』絶賛発売中!」とのカラフルな手書きの販促ポップが添えられていた。通常版、初回限定版に加えてメンバーそれぞれがジャケットになった5種の全7種類。


 TMオフィスの矢内が「最近のアイドルはCD発売をせず配信のみも多い」と話していた。音楽はサブスクで聴くのが主流になり、CDショップを見掛けることも少なくなった。SNSがプロモーションのカギを握り、作曲家は「TikTokでバズる曲」を依頼され、イントロも短くなった。

 MELTY CHEEKも配信からスタートし、TikTokやYouTubeで人気に火がついて逆輸入的にCDリリースに至った。アイドルビジネスはTikTok、YouTube、インスタグラム、ライブ配信、CDリリース、特典会といくつもの集客と収益のモデルを有し、それを制すものがアイドル界を制する。

 その一つがMELTY CHEEKで、この衣装展が撮影OKなのもSNSにアップされることによる宣伝効果を狙ってのこと。「ライブ中の撮影OK」のアイドルも珍しくなく、コロナ禍によってアイドルのビジネスモデルは大きく変化した。


 アイサマのトリもMELTY CHEEKで、最後に歌ったのがこの『わたしは持ってる女の子』だった。長丁場だったが他グループのファンの中にも、せっかくだからMELTY CHEEKを観て帰ろうと最後まで居残った人も多かったのではないか。


 とすると石川千紗もMELTY CHEEKを観たのではないか。


 アイサマは日曜日の開催だった。終演は19時半でその後に特典会が行われた。豊洲から甲府は3時間かからず、泊まるまでもなく帰宅できる距離で、翌日朝から仕事なのだから当日中に帰宅する予定だったのではないか。


 しかし石川は殺害された。死亡推定時刻が23時~2時。それまで豊洲にとどまっていたのはMELTY CHEEKのライブを見たから。そのあとに何かが起きたのではないか?

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