第8話 ツーショットチェキ券
開演時刻が近づき、来場者が次々と客席フロアに吸い込まれていく。正午を迎える外は暑さを増し、汗で濡れて青から紺にと色の変わった推しメンTシャツも目立つ。入場口でドリンク代600円を支払ってもらったコインをカウンターでスポーツドリンクに交換し、その場で飲み干す姿も見られた。
目の前を通り過ぎた男のポケットから何かが落ち、とっさに呼び止めると足を止めて振り返った。袴田が拾い上げたその名刺大のカラフルな紙切れには『マテリアドール 2ショットチェキ撮影券 日野ゆいか』と書かれていた。男に渡すと「ありがとうございます」とほっとした顔で受け取った。
「マテリアドールのファンの方ですか?」
「そうですけど」男は客席に向かいかけた体勢を戻した。先を急ぎたいが拾ってもらった手前邪険にはできないと角ばった黒縁眼鏡の奥に戸惑いが見えた。天然パーマのような髪型の浪人生のような風貌でも実際は20代後半と袴田は見当をつけた。
「お急ぎのところ申し訳ないんですが、この人に見覚えありませんか」
男は袖まくりしたピンクのTシャツから伸びた細い腕の親指と人差し指でつまみ、顔のパーツを一つ一つ吟味してから「たぶん」と言った。
「たぶん、なんですか?」含みのある口ぶりに袴田が食いついた。
「たぶんこの前見た人だと思います」
「この前?」
「先週のアイサマ、IDOL SUMMER STAGEです」
「というと場所は?」はやる気持ちを抑えて尋ねた袴田に「TOYOSUmeetです」と淀みなく答えた。記憶が明瞭なのが分かる。
「アイサマのいつ見たんですか?」
「特典会の時です」と男が言った横から田之上が「マテリアドールのですね?」と念を押す。「アイサマのマテリアドールの特典会の時、僕の後ろに並んでたのがたしかこの人だったと思います」
「日野ゆいかさんのですね?」袴田は「HINO YUKIKA」とプリントされた男が着たピンクのTシャツに掌を向けた。
「特典会は列の一番後ろに並んでいる人が『最後尾』って書かれたプラカードを持つんです。プラカードって言っても普通の紙をラミネート加工したものですけど。この人が僕の後ろに並んだんで渡したらちょっと戸惑った感じで、特典会初めてなのかなって思って『ただ掲げてればいいですよ』って教えてあげました」目の前の二人の男はアイドルに疎いと判断したらしく、かみ砕いて説明してくれた。
「この人の身長なんかは覚えていますか?」
「僕より小さかったけど、でもそれほど小柄じゃなかったような」
男の身長は170センチ弱。被害者の身長は158センチ。
「以前にもこの人を見たことがありますか?」
「見たことがあれば記憶に引っかかったと思うんですけど」と首をひねった。
「ライブにはよく来られるんですか?」
「マテリアのはほとんど来てます」
Tシャツ着用でライブ会場を訪れていることからも熱心さが分かる。
「それでもこの女性を見た記憶はない?」
写真をかざした袴田の問いに男が頷いた。
「この女性はおそらくアイサマが初めてのマテリアドールだった。何かで知って興味を持ち初めて見に来た、というような」
「そんな感じだと思います」男は袴田の推測を支持した。
「その時の特典会は」「今日と同じツーショットチェキです」間髪入れずに答えた。
「この女性の特典会の様子とかは覚えていますか?」
「自分の番が来たら推しメンしか見えてないんで」と自嘲気味に話してから「もしよかったら他の日野推しも呼んできましょうか?」との申し出に、是非と頼むと男は早足に客席に消えていった。
ライブの邪魔をするなと反感を買うのも覚悟していたが思いの外アイドルファンは生真面目な人が多く、協力的だった。
男は同じピンクのTシャツを着た二人を連れて戻って来た。いずれも同年代で似たような背格好だが眼鏡はかけていない。二人はピンと来ない様子で、アイサマでもそれ以前にも写真の女性を見かけた記憶はないと話した。やはり被害者はIDOL SUMMER STAGEが初めのライブであった公算が大きい。開演時間が迫っていたためそこで一旦打ち切りにした。
「中にいるんで他になにかあったら聞いてください」と男たちはさらなる協力を申し出てくれた。
「被害者の目当てはマテリアドールの日野ゆいかだった。人違いではなさそうだな」
袴田はスマートフォンに日野ゆいかの画像を表示させた。マテリアドール公式サイトのプロフィール写真だ。
「大収穫ですね」
画像を覗き込んで田之上が言った。
「ただしファンになってまだ日が浅いようだからSNSの足跡は期待できないかもな」
ファン歴が短ければ痕跡は残っていたとしても限定される。
「ですけどだいたいいまの若い子はアカウントの一つは持ってますから。元々使ってたアカウントでフォローしてた可能性もありますよ」
「なるほど。言われてみれば」新たに作成したアカウントでフォローするとの先入観にとらわれていた袴田だったが、たしかに既存のアカウントを使った可能性もある。そうであれば身元につながる情報も期待できる。
マテリアドールはこのあとライブで、その後に特典会が控えている。日野ゆいかに話を聞くのはそのあとだ。
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