変わることの意味を、あなたは知らない

@piyomaru111

【プロローグ】──選ばれた、はずだった

人に興味が持てなかった。

誰かと付き合いたいと思ったこともなかったし、

恋なんてものは、どこか遠い世界の話だと思ってた。

私の心は、ずっと“好きなもの”だけに向いていた。


アニメ、推し、グッズ、イベント――

自分だけの小さな世界にいれば、それで満たされていた。

現実の人間関係に期待していなかったし、

「どうせ裏切られる」って、最初から信じることすらしていなかった。


それなのに、彼は不意に現れて、

まるで当然のように、私の世界に足を踏み入れてきた。


「セフレになりたいわけじゃない。

ただ、そばにいてほしいんだ。

だから、付き合ってほしい。」


彼のその言葉は、静かで、でも真っ直ぐだった。

誰かにちゃんと「恋人として求められる」なんて、思ったことなかった。

だからこそ、その瞬間に私は心ごと溶けた。

ようやく自分が“選ばれた”と感じられた気がした。


最初は本当に、彼を“好き”かどうかも分からなかった。

でも一緒に過ごす時間が増えるにつれて、

その不確かな輪郭は、少しずつ形を持ち始めた。


手を繋いだとき。

ぎこちないキスをしたとき。

初めて抱きしめられた夜。

そのどれもが私にとっては初めてで、

怖さよりも、彼がそばにいてくれることの温かさが勝った。


やがて私は、彼のことを心から好きになっていた。

「ずっと、そばにいてほしい」と願うようになった。


だから――私は変わることを選んだ。


髪を巻くようになり、服装も少しずつ変えていった。

これまでの自分から、彼の好みに近づこうとした。

少しずつ食事や体づくりも意識して、

気づけば、胸のサイズはDからFカップになっていた。


それは、彼が「大きいほうが好き」と言っていたから。

わざと太ったわけじゃない。

でも、彼にとって魅力的でいたくて、

少しでも理想に近づきたくて、

“自分なりに努力”を重ねていった。


趣味だったアニメも、自分から手放した。

彼は否定するどころか、むしろ一緒に楽しめるくらい理解があった。

だけど私は、自然と距離を置いてしまった。

趣味よりも、彼のほうが大事になってしまったから。


それでも、心は満たされなかった。


「ゲームしてきてもいい?」

彼はそう言って、ディスコードで友達と通話しながらゲームをしていた。

遊びに出かけていたわけじゃない。

それでも――


2人で同じ空間にいるのに、まるで1人みたいに寂しかった。

たまにならいい。

でも、一週間も放置されると、

「私は何のために、ここにいるんだろう」って思ってしまった。


本当は、「行かないで」と言いたかった。

でも、笑って「行ってきて」としか言えなかった。


私ばかり、こんなに我慢して、努力して、変わっているのに。

どうして、彼は少しも変わってくれないの?



彼が出張中のある日。

彼の携帯がテーブルに置かれていた。

私たちはパスワードを知っていて、お互い自由に触っていい関係だった。


ほんの軽い気持ちで開いた。

でも、そこで見てしまった――

元カノとのチャット履歴。


会おうとしていたメッセージのやり取り。

日付と時間を合わせようとしていた履歴。

内容は軽く見えるようで、でもどこか「もう一度」を匂わせていた。


そして、アルバムにふと目をやると、

そこには元カノの顔写真が、いくつも残っていた。

保存されたまま、誰にも見られないように隠されていたわけじゃない。

でも、それが逆にリアルだった。

“残っている”という事実が、何より苦しかった。


さらに履歴をさかのぼると、

私たちの家に、元カノが何度も来ていたことがわかった。

私が夜のバイトで家を空けているとき、

ギリギリまでその家に彼女が滞在していたことも。


会っていた。

チャットで連絡を取り合いながら、

私のいない時間に、私たちの空間に入れていた。


体の関係があったわけじゃない。

けれど、

それでも私にとっては「裏切り」だった。


その夜は一睡もできなかった。

一日中泣いて、考えて、

そして、妹と母にすべてを話した。


次の日、私は実家に帰った。


友達とも通話で話した。

そのとき、私はようやく気づいた。


「浮気」の定義が、私と彼ではまったく違っていた。


私にとっての浮気は――

「仕事以外で、男女2人きりで食事をすること」。


彼にとっての浮気は――

「体の関係を持ったとき、触れ合いがあったとき」。


ズレていたのは、想いじゃなくて、常識そのものだった。


私は、彼に「選ばれた」と思っていた。

でも本当は、“都合よく愛されたかっただけ”なのかもしれない。


それでも、

私は彼を、心の底から好きだった。

その気持ちだけは、ずっと、ずっと、嘘じゃなかった。

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