これが、俺の愛してやまない人だ(2)



「『私は、ずっと自分が嫌いだった──』」



 ヒロイン独白シーンの最初の台詞。

 彼女がその一言目を読んだその瞬間に、周囲の空気が変わるのを肌で感じた。

 監督もスタッフも役者も、そして原麗華までも……皆が目を見張って瑞紀ちゃんを見ている。

 彼女が言葉を発するたび、場の色が変えられていく。

 台本を読んでいるだけなのにこの威力。

 ……圧倒的すぎる。

 ここは既に、小さなスタジオではない。たくさんの観客の目が集まる大きな舞台の上だ。

 そして彼女にだけスポットライトが当たっている。


「っ……」


 ああ、たまらない。

 喜びとも興奮ともつかないゾクゾクとした感情が体中を駆け巡る。


 ……ほら、皆もっと見て。これが、俺の愛してやまない人だよ。


 一昨日、彼女の所属する演劇部へ見学に行ったとき、部長に声を話を聞くと、こんな情報をくれた。


『武藤は部活のある日はよく早めに来て、誰かが来るまで台本を読みながらこっそり一人芝居してるんだ。それも信じられないぐらいレベルの高いやつをな。初めて見たときはさすがに驚いた』


 それは、瑞紀ちゃんと親しくしている部員たちは皆知っていることらしい。どうやら本人は誰にも知られていないと思っているようだが。


『舞台で演じてみないか、とは何度も誘ってるんだがな。裏方の仕事が好きだからと色よい返事をもらえた試しがない』


 いつか自分の書いた脚本で彼女に舞台に立って欲しいと思っているがその願いは叶わなそうだ……と悔しそうだった。

 俺も部長の書いた脚本は見せてもらったが、かなりレベルが高かった。


『部長さんの書いた話を瑞紀ちゃんが演じたら、それはもう高校生の部活のレベルじゃなくなりますよ。なんなら俺も参加したいぐらいです』


 素直な気持ちで言ったものの、それはお世辞として受け取られた。喜ばれはしたが。

 ──やがて、台本数ページ分を読み終えた彼女は、大きく息を吐いて髪をかきあげた。

 誰からともなく拍手が起こる。

 瑞紀ちゃんはそれに、少し居心地悪そうに一礼した。

 この現場で一番仲の良い俳優仲間のイトウくんが、拍手をしながらこっそり俺に近づいてきて問う。


「なあ恭。彼女何者?」

「ごく普通の女子高校生だよ」

「信じられるか。それにあの子の顔、よく見たらどこかで見たことあるような気がするんだよな……」


 そう言って瑞紀ちゃんの顔をじろじろ見るので、何となく気に入らなくて手で視界を塞いでやった。

 さっき美人だとか言ってあれこれ騒いでたし、こいつなら本当に後でこっそり声を掛けに行きかねない。

 それに、先ほどのように演技をしているときの彼女はいくらでも見て欲しいが、素のただただ可愛い瑞紀ちゃんをあまり他の男の目に晒すのは癪だ。

 その瑞紀ちゃんは、軽く呼吸を整えると、複雑そうな顔をしている原麗華の方を向いた。

 原麗華は先ほどの高圧的な態度とは打って変わり、瑞紀ちゃんの視線にたじろいでいる様子だ。


「演劇はチーム全員で作り上げるものなんです。全員の気持ちが同じ方向を向かないと上手くいかない。……いくら気に入らない仕事でも、引き受けたからには最後まで真剣に取り組んで、自信を持ってわたしたち観客に見せてほしいです。お願いします」


 瑞紀ちゃんの気の強い瞳が、まっすぐ原麗華の目をとらえる。

 自己中心的で、下に見た人の話を聞こうとしない原麗華。

 そんな人と会話をするためには、まず何らかの形で自分に興味を持たせる必要がある。

 そこで瑞紀ちゃんがとったのが、圧倒的演技力を見せつけるという方法。彼女のことをただのミーハーな女子高生だと軽視していただけに、その効果は絶大だった。

 原麗華は、小さな声で「その通りね」と呟いた。そして、


「……あたし、次の仕事に行かないといけないので失礼します。今度は、本当に時間だから。お疲れ様でした」


 いつもよりいくらか弱々しく頭を下げて、スタジオを出ていった。

 しばらくの間、静寂が訪れる。

 だけど皆の表情は、どこか晴々していた。

 ……次の展開は何となく予想できる。

 皆、瑞紀ちゃんに寄ってたかって今の演技を褒めたり、素性を探ろうとしたりするだろう。

 だから俺は、それより先に彼女に駆け寄った。


 彼女は、不安と気まずさを湛えた瞳を俺に向けてくる。

 思わず抱きしめたくなるのを必死にこらえ、彼女の肩に手を置く。


「少し早いですけど、休憩頂いていいですか?」


 疑問形で言ったものの答えを聞くことなく、俺は戸惑う彼女の肩を押して部屋を出た。



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