ママをプロデュース

野田 りん

第1話 奥の奥の思い

ちょっとした勇気というか、声に出してみた事で人生が百八十度変わるなんて、考えてみたことがなかった。


私の人生は、あの時までママが世界の中心だと思っていた。

空高い雲の隙間からスポットライトのような光が差したあの日、あの時の私は生きていると感じた。希望に満ちた人生なんていらない。

と思っていた私だが、あの時の私は、生きていると実感出来た喜びを、私はあの時大きく胸に吸い込んだ。





私の毎日は白黒で色がなかった。


今日一日が普通に終わってくれればいい。

前も後ろもない、考えない、喜びも楽しみもない。私はその日の事だけを平凡に考える毎日を過ごしていた。

この世の中で裕福な家庭で育った子は、きっと自分がどんなに裕福かは分からずそれが当り前になっているから、その有り難味に気付く事はほぼ無いのだと思う。

それと同じで、私は幼い頃から一人でいるのが当たり前で、

その事について違和感を覚える事なく、また、苦にもならなかった。


だけど、奥の奥の方にしまっている私の心は

とにかく一人で泣いてばかりいた。

幼いながらに「周りの家庭とは違う」と気づいていたからだ。それを人に気づかれるのが怖かった。

でもその抜け出し方が幼い私には分からなかった。

いや抜け出すという事すら分からなかったが正解だろう。

その状況が毎日当り前に続くのだと思い込んでいたので、私の環境が変わる。

自分が変わる。

人を変える。

そんな事が出来ることすら、あの時の私は知らなかった。




東京の狭いアパートでママと二人暮らしをしている。

そんな私の毎日は、いつものママの合図で、私は家を出る。

そして、自宅近くには大きな総合病院があり、その病院の側にも一般の住宅街にあるような公園よりも、一回りも二回りも大きな公園がある。私はその公園の中にある、いつものベンチに座る。

白いペンキを塗って随分と年月が経過し、所どころ塗装が剥げている木製のベンチ。このベンチの左側が私の特等席でお気に入りだった。

周りも緑に囲まれて、春夏秋冬といろんな景色を見て感じる事が出来る。私は初めてこのベンチを見た時、すぐに気に入ったのだ。古びたベンチだが、不思議と自分の事を分かってくれているような、そんなベンチだ。

三年生の私は友達といるより、このベンチといる方がなんだか気が楽だった。

時間がゆっくりと平和に流れる。

それに、友達と遊ぶとすぐにお腹が空いてしまうが、ここに座っているだけだとあまりお腹が空かないのも私には都合がよかった。



今日、8月13日は私の九歳の誕生日だ。

ママは私の誕生日を祝ってくれた事が記憶の中には一度もないが、私にとってそんなことは悲しくもなんともない。

どちらかというと、夏休みは学校がなく給食がないので、私はそっちの方が悲しい気持ちになった。


この日も私はいつものようにベンチの特等席に座っていた。

私がベンチに座っている時は、隣に誰も座ったことはない。

大人二人掛けのベンチなので、大人一人が座れる十分なスペースを空けてはいるが、みんな私に気を遣って座らずにいるのだろう。

と思っていた。しかし、その日は違っていた。


今まで座った事のない私の隣の空間に、

綺麗な身なりの、上品そうな痩せた体型の女性が座った。


パッと見た感じでは30歳前後のようだ。

少し大きなバッグと小さいバッグを持っていて、それもベンチに置いた。

マジマジと見ることが出来ないので、横目から見え感じるのは、その人も私のように悲しそうな感じで座っている気がした。


この女性も私と同じで満足なご飯が無くて悲しんでいるのだろうか。

と、私は勝手な想像をしながら、お互いにしばらく無言で座っていたが、急に女性が喋り出した。

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