第17話 呼び出し2
学園教師たちの研究室が入った建物は、学生寮や講義棟とは別に存在する。寮と講義棟は生徒たちの気配で賑やかだが、教員棟は通路もひっそりとしていた。とりあえず、いまはナイアスである彼以外には歩いている人間の姿は見当たらなかった。
――俺があの先生から呼び出しを受けた理由は……。
なんなのだろうと、彼は歩きながら考えていた。
思い当たるのは先日の講義中に起きたことだ。トーマスの風の魔術に吹っ飛ばされ、彼は医務室送りになった。あの件に関して何か言われたりするのだろうか。
――まさかあれで俺が先生に怒られたりとか……? いや、流石にそれはないだろ。怪我をさせられたのは俺のほうなんだし。
だがやられ方が余りにも無様だったということで叱責される可能性はあるかもしれない。この学園の生徒たちは全員が騎士を目指している訳ではないが、国のエリート候補として恥ずかしくない振る舞いを求められている。しかもあのときナイアスは他の生徒に手本を見せることを求められたのだ。全く抵抗できなかったのは不味かったかもしれない。
ドアにかかっている名札を頼りに魔術教師ミランダの部屋を見つけた彼は、ドアの前で二、三度深呼吸した。
「失礼します」
「入って」
彼がノックしてすぐ、名乗る暇すらなく、まるで待ち構えていたかのように声が返ってきた。ドアを開けると、窓を背にした書斎机の前に、あのローブの美女が立っていた。一瞬窓から入る光に目がくらみ、彼は眉間に皺を寄せて目を細めた。逆光の中で、教師のミランダは口元をほころばせているように見えた。
「ナイアス・オルティスくん。あなたのおうちは王国の貴族よね?」
と彼女はいきなり問いを投げかけてきた。目隠しで目元は見えないが、表情は真剣だ。笑っていたように見えたのは気のせいかもしれない。
「ご家族はお元気なのかしら?」
「……え?」
その質問にどんな意味があるかわからないが、これまでナイアスの家族というものを意識したことが無かった彼は戸惑った。しかしゲームキャラとは言え、ナイアスも人間である以上は親から生まれているはずだ。家族がいて当たり前である。
――ナイアスの家族って……ゲーム内でどんな設定だったっけ。確か……。
改めて思い出そうとすると、それは難しい質問だった。ゲームのシナリオ中ではレオナルドの生い立ちや人間関係は詳細に描かれるが、ナイアスは少し登場シーンが多いだけの所詮は脇役だ。彼がどんな環境で生まれ育ったかということは、レオナルド視点のプレイヤーにとってはどうでも良い話だった。
「あなたはお父上の援助でこの学園に在籍しているのよね?」
「は、はい。そうです」
すぐに思い出せなかった彼は、ミランダの話に適当に同意した。
「どうしてそんなことを聞くのかって不思議に思っているわよね。これはとても失礼な質問だとわかっているのだけど……ご家族の中に、誰か魔術が使えない人はいなかったかしら?」
「えっと、それは……」
「遠いご先祖様とかでもいいのよ。そういう話はあなたのお父さまから聞いていない?」
「え? ちょっ」
ミランダは一歩一歩彼に向かって詰め寄ってきた。教師をしているくらいだから最初はそれなりの歳の女なのかと思ったが、肌の滑らかな様子から、ミランダがかなり若いことに彼は気付いた。――それくらい二人の距離は近付いていたのだ。
彼が後ろに下がろうとすると、ミランダは「動かないで」と言った。
ミランダは自信の目を覆う黒い目隠しを引き上げ、右目だけ彼に見せた。ミランダの瞳には魔法陣のようなものが刻まれていた。
「――ああ、やっぱり」
「何がやっぱりなんですか」
「オルティスくん。あなたはいつから魔術が使えなくなったの?」
「――――え?」
ミランダは右目を彼に見せたまま喋っている。最初は刺青のようにも見えた瞳の中の魔法陣は、神秘的な青い光とともに動いていた。
「あなたが私の授業でシュナイダーくんと対戦したとき、魔術で防御しなかったでしょう。あのときあなたたちは私の減衰の魔法陣の中にいたけれど、それでも全然防御しなければ、死んでもおかしくなかったわ。――それでもしかしたらと疑ったのだけど、まさか本当だったなんて。どうやら魔術が使えないというより、魔力そのものが失われたと言ったほうが適切なようね」
彼が言われたことを頭の中で整理する前に、ミランダは一人で喋り続けていた。
「それは……――何か不味いんですか?」
「え?」
今度はミランダが彼の質問に面食らった顔をした。
「魔力が使えなくなるっていうのは、何か問題があるんでしょうか」
「……本気で言ってる?」
「ああ、そっか。このままだと魔法の授業で単位が取れなくなるのか。それは確かに不味いよな……」
「…………」
「ええっと、先生。俺のその状態を治す方法は無いんでしょうか」
「無くはないわ」
そう言ってミランダは目隠しを元に戻した。「でも交換条件があるの」と言った彼女のことを彼は訝しんだ。教師が生徒の治療をするのに条件を付けるというのが奇妙に感じられたからだ。
「一つ目の条件は、ナイアス・オルティスくん、あなたがこれから定期的に私の研究室に診察を受けに来ること」
「一つ目ってことは、二つ目もあるってことですよね?」
「もちろん。二つ目は、治療と引き換えに私の実験に協力すること」
「…………」
「それと三つ目――これは条件と言うより、忠告よ。魔力が使えなくなったことは、誰にも言わないほうがいいわ。友達にも秘密にしておきなさい」
そのミランダの真剣な口調に、どうやらいま自分が置かれている状況は自分が思っていたより深刻らしいと、彼もようやく考え始めた。
§
「あらあなたは……今日はどんな本がお目当てですか?」
図書館でナイアスの姿を見つけるなり、カウンターの向こうにいた女性司書はそう言った。彼は、魔力を使えなくなった症状について調べにきたと素直に言おうとしたが、ミランダからの忠告を思い出して踏みとどまった。
「また本で魔法の勉強をしたいなと思って……」
「とても勉強熱心ですね。素晴らしいです」
「何冊か借りていきたいんですがいいですか?」
「はい、もちろん。でも前に言った通り、一回に借りられるのは十冊までですからね?」
「多分そんなにたくさんは――……けどわかりました」
「案内は必要ですか?」
「大丈夫です」
司書は微笑んで頷いた。彼女は純粋にナイアスがただの勉強熱心な生徒だと思っているようだ。書架に移動してから、彼は自身の症状と関係がありそうな本を選んで、すぐカウンターに戻った。結局、借りられる限界の冊数まで借りてしまった。
「ナイアス・オルティスくん?」
学生証の提示を認められたため、彼は司書に名前を知られることになった。そしてそれがいけなかった。急に彼女の眉の角度が変わり、見るからに態度が硬化した。
「あの、どうかしましたか」
「女子寮に私の妹がいるんです」
「…………」
「あなたがその人なのか知りませんが、前の学期にナイアス・オルティスという男子生徒に、酷いことを言われたと言っていました」
「……すみません」
「謝るなら、私じゃなく妹に謝ってください」
まるっきり覚えのないことで責められるのは、これで何度目だろう。親切だと思っていた相手からの厳しい視線がとても痛い。あなたの妹って誰ですかと、この空気で尋ねられる訳がないから猶更だった。
ナイアスは本当に多方面に迷惑をかけていた。それが忘れた頃に罠のように破裂する。何ともストレスだ。――しかし本を借りること自体には成功した。これで自分の身体に起きていることを探れるかもしれない。彼は本を持って寮の部屋に移動した。
それから彼が自分なりに本で調べたところによると、この世界において魔力はあまりにも身近なため、その魔力を使えないということは社会における信用度に大変なマイナスをもたらすということだった。――いや、それでは表現が生温いか。魔力を使えない人間は、この世界では深刻な差別の対象となる。ミランダが誰にも話さないほうが良いと言ったのも道理だった。
――俺が一体何したっていうんだ。
ナイアスの身体になってから色々なことに慣れつつあった彼も、流石にベッドに仰向けになって呆然と天井を見上げた。
悪役貴族ナイアス・オルティスの改心 八木周平 @YAGI_SHUHEI
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