第16話 呼び出し1
その日の早朝、寮の裏手の森の中で素振りをしていた男子に、あとから来た金髪の女子生徒が話しかけた。
「聞いたわよ? トーマスにかなり容赦のない目に遭わされたらしいわね」
「事実だけど、そんな楽しそうな顔で言う台詞じゃないな、ラヴィニア。……それより、本当に来たんだな」
と言って彼は彼女の姿を観察した。確かにラヴィニアにこれから一緒に剣の稽古をしようとは言われたが、まさか本気だったとは思わなかった。ちなみに彼がトーマスの風の魔術で吹っ飛ばされたのは三日前の話だ。それから今日までラヴィニアの姿は学園内のどこでも見かけることがなかった。
「でも残念だったわ。私もあなたたちの対戦を見てみたかったのに」
「この二、三日どこに行ってたんだ?」
「ここじゃない町よ。実家の用事があったの」
「君の実家――……帝国の?」
「お父さまからの使いが来たから会っていたのだけど、次の長期休暇のときには家に帰ってこいって、それだけの話だったわ」
「ふーん……」
「ねえ、それより試合をしましょうよ」
「俺はついこないだ大怪我したばかりなんだけど……」
「それはもうフィーネに治してもらったんでしょう?」
ラヴィニアの口からフィーネの名前が出てきて、彼は少し驚いた。「女子寮であの子からあなたたちの対戦のことを聞いたの」とラヴィニアは言った。
「でもあの子も優しいわよね……。あなたなんかの怪我を治してあげるなんて。あなたはこれまで、レオや彼女が嫌がることばかりしていたでしょう?」
「その通りだよ」
彼は同意した。原作でナイアスがしてきたことを考えれば、彼がちょっとやそっと改心した様子を見せたところで、怪我しても放っておくというのがむしろ普通だ。わざわざ治療魔法を使って介抱してくれたのは、優しさと言うほかない。
しかしラヴィニアにまでこの話が伝わっているということは、レオナルドにも伝わっているということだろうか。レオナルドは、自分の嫌っている男を幼馴染のフィーネが介抱したことをどう捉えただろう。
――変な勘違いされてなきゃいいんだが……。
と彼は思った。フィーネの恋路を応援してやろうと決めた自分が、彼女の不利になることをしたくはなかった。そういう彼の思いをよそに、ラヴィニアはさっさと剣の手合わせ稽古を始めたそうにしていた。
――……フィーネ以外のレオナルドのヒロイン候補は何人もいるけど、ラヴィニアはいま、あいつとどれくらいの仲なんだ?
ゲーム内ではステータス画面で主人公とメインキャラたちのおおよその関係性を見ることができたが、いまの彼にそんな能力はない。ラヴィニアがレオナルドを実のところどう思っているかなどは、彼女の言動から推測するしかなかった。
レオナルドのヒロインが誰になるかは、学園パートの最後の方に発生するとあるイベントで最終的に確定する。聖母降誕祭。この世界で一般的な宗教の祭りだ。そこでレオナルドが誰と過ごすかがカギになっている。原作で個別ルートが存在しないフィーネは、レオナルドの選択肢の中にも入ってこない。そのイベントと前後して、フィーネは学園を去って故郷の村に戻っている。
フィーネにレオナルドを諦めさせないようにしつつ、レオナルドに彼女を選ばせる。そうすれば彼女は学園を去らず、凄惨な事件に巻き込まれる可能性もない。
もしラヴィニアや他のヒロインが現時点でレオナルドのことを好きになっているなら申し訳ない気もするが、何しろフィーネにとっては生き死ににもかかわる話だ。それに、故郷の村にいたころから一途にレオナルドのことを想い続けていた彼女の恋心を叶えてやっても、それは悪い話ではないだろう。
だからすまないが、ヒロインの座はフィーネに譲ってやってくれ。彼はそう思ってラヴィニアを見た。
「どうしたの? 早くしましょ」
「……まあこの感じだと、ラヴィニアはまだレオナルドに恋してるって感じじゃなさそうだけどもな……」
「ぶつぶつ言ってないで早く」
「そんなに急かさないでくれ。わかったよ」
「まず三本ね」
それから彼はラヴィニアの稽古に付き合わされた。二人にはかなりの実力差があり、彼はラヴィニアにいいように打ち込まれるだけだった。
しかしそれはそれで彼自身の剣の訓練にもなっていた。あの魔術概論の授業のあと、彼は剣術の授業にも出席したが、この学園に在籍している以上は魔法も剣も腕を磨かなければならないということがよくわかった。こればかりは実際に訓練して鍛えなければ周囲に追いつけない。トーマスにやられたように一方的に吹っ飛ばされるのは、できれば二度とごめんだった。
「あらもうこんな時間?」
二人が何本も実戦形式で試合をしていると、いつの間にか早朝と呼べる時間ではなくなっていた。ふいと空を見上げてつぶやいたラヴィニアの表情は涼しかった。
「――はぁっ、はぁ、はぁ、はぁっ」
一方で彼は四つん這いになって喘いでいる。心臓が荒れ狂い、顎先からは汗が地面に滴り落ち、口を閉じることすらできないでいた。
「ナイアス、何してるの?」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、何してる、じゃないよ――……ああ、なんて化け物だ」
「化け物って私のこと?」
ラヴィニアは心外な顔をしているが、彼女は彼が彼なりに渾身の力で打ち込んだ攻撃を全ていなして息も乱していない。元からゲームでも最強格の彼女に敵うとは思っていなかったが、男として女子にこうまで手も足も出ないのは少しプライドが傷付く。
「人を化け物なんて呼ぶ前に反省しなさい。あなた、前より弱くなったんじゃない?」
「やっぱりそうなのか」
「やっぱりってどういう意味かしら?」
「昨日は剣術の授業があったんだけど、そこでも先生にそう言われた」
「それは言われても仕方のないことね。――色々と改善の余地があるけれど、とりあえず、そんなふうにがむしゃらに攻撃するだけじゃ通じないわよ」
「…………」
自分は本来のナイアスが身に着けていた剣術の技能などをほとんど失ってしまっている。それを元の水準に戻すだけでも道は遠そうだ。だがしかし、焦ることはない。こうやって鍛えていればいつか――。彼がそう考えたのを読み取ったかのようにラヴィニアは言った。
「焦ったほうがいいと思うけれど」
「えっ?」
「何驚いた顔してるのよ。それじゃ定期試験に合格しないでしょう」
「あああ……そう言えばそんなものがあるんだった」
目の前の授業を乗り切るのに精いっぱいで忘れていた。この学園では学期ごとに中間試験と期末試験があり、それをパスしないと各授業の単位を取り逃す。ゲーム内でもプレイヤーが主人公の育成を怠っていると、試験で低い成績を取り補習を受けたりする羽目になる。そんなふうに補習を受けているようでは、フィーネの世話を焼くどころではない。
彼が嘆いていると、ラヴィニアは「仕方ないわね」と言った。
「試験で合格できるように、私があなたを鍛え直してあげるわ」
「それは正直ありがたい……けど、なんでそんなにしてくれるんだ」
「どうしてかしら」
いかに彼女がバトルマニアだからとは言え、自分よりずっと弱いナイアスにこれだけ付き合ってやる意味が、どうにも掴めない。と思っていたら、彼女は彼が納得できる理由を口にした。
「そうね、強いて言えばレオが……」
「レオナルドが?」
「彼はこの学園に来てからたくさんの成果を上げたけど、それで彼に調子に乗って欲しくはないのよね」
「…………」
「私は彼にもっと成長してほしいの。そのためには、彼と競い合うことができる対等なライバルが必要よ」
「俺にそのライバルってやつになれと?」
「例えばトーマスには、あまりレオと競うつもりがないみたいなのよね」
「悪いけど、俺も君のそのご期待に添えられそうにないよ」
ラヴィニアの言葉を聞いても落胆はしなかった。この世界はやはり主人公レオナルドのために回っているのだと思っただけだ。
恋愛感情云々は置いておいて、ラヴィニアはレオナルドのことを非常に高く評価している。原作中の描写でも、ラヴィニアは帝国貴族の娘でありながらレオナルドを自分の傍に引き込もうとしていた。目的のために手段を問わないところがあるラヴィニアは、ナイアスを、自分が見初めたレオナルドの当て馬として育成しようとしているのだ。
ラヴィニアが自分に目をつけたきっかけは何かわからないが、自分がナイアスになって、少しずつメインキャラたちの行動にも変化が起きているのかもしれないと彼は思った。
§
ラヴィニアとの早朝の稽古を終えた彼は、着替えと朝食のためにいったん寮に戻った。そしてその移動の途中で、男子寮のラウンジにいるロドリックを見かけた。
学園の寮の各部屋には質素な家具しか置かれていないが、ラウンジにはソファや本棚なども置かれている。放課後から夜の時間帯にそこで談笑したり、ボードゲームやカードゲームに興じたりしている生徒たちの姿はこれまでにも見た。しかしどの生徒もナイアスが傍を通っただけで嫌な顔になり、露骨に近付いてくるなという雰囲気を出す。彼は敢えて彼らの楽しい空気をぶち壊すこともないだろうと、ラウンジの傍を通り過ぎることはあっても話に交ざろうとはしてこなかった。
そのときロドリックは友人らしき男子と立ち話をしていた。ロドリックは、前にナイアスに無理やり朝食に誘われたときとは大違いのフランクな笑顔で相手と接していた。
やはりこのときも、彼はロドリックたちの邪魔をしないように声をかけずに通り過ぎようとした。
「――あ、オルティスくん」
しかしナイアスの姿に気付いたロドリックは、遠慮がちに声をかけてきた。向こうから声をかけられたからには、無視するのは逆に感じが悪い。
「やあ、おはようロドリック」
「うん、おはよう。……ええっと、先生から君に呼び出しがかかってたよ」
「呼び出し?」
「うん。あとで掲示板を見てみなよ」
「掲示板……ああ、あれのことか。わかったよ。わざわざ教えてくれてありがとう」
「どういたしまして」
ロドリックはそう言うと友人との会話に戻った。ロドリックの友人は、なぜわざわざナイアスなどに話しかけたのかとロドリックを責めていた。
「あいつはあのナイアスだぜ。……ていうかこないだは傑作だったよな。普段あれだけデカいツラしてるくせに、トーマスくんに普通に魔術でボコられてたし。『僕はお前ら平民とは違う』んじゃないのか?」
ラウンジを離れて彼が向かったのは寮内にある掲示板だ。ここには休講の情報やその他の知らせなどが載っている。その中に、確かに自分を呼び出す貼り紙があるのを彼は見つけた。呼び出し主の名前には心当たりがないと思ったが、少し考えて気付いた。
――このミランダ・ルーネフェルトって、あの魔術教師の名前か。
彼は魔術概論を受け持っていた黒い目隠しの女の姿を思い浮かべた。
剣と魔法の学園にあってもあの姿はなかなか異様だったが、人に教えるほどの魔術師ともなればああいうのも普通なのかもしれないと納得していたあの女だ。
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