第15話 ノルン村の虐殺

 ――え?

 全身に強い衝撃と痛みを感じたと同時に、彼は自分が見知らぬ場所に立っているのに気付いた。さっきまで自分がいた場所がどこだったかは何故か思い出せないが、人が大勢いる明るい場所から、急に暗いところに投げ込まれた感じがした。

 呆然と周囲を見回すと、何か大きな、黒くて不吉な感じのするものがそこにあった。それが夜の闇の中で見る木々であることに、彼はしばらくしてようやく気付いた。

 木々の隙間からは小規模な集落の窓の明かりが見えていた。

「ナイアス隊長、配備が完了しました」

「――……え?」

「あの村は完全に包囲しました。ご命令があれば、いつでも行けます」

「…………」

「ナイアス隊長?」

「ナイアス隊長って、俺のことか?」

「……は?」

「い、いや、何でもない。わかった。貴様も配置につけ」

 記憶が酷く混乱していた。しかし皇帝から預かった部下の手前、狼狽える無様な姿を見せる訳には行かなかった。部下の兵が走っていったあと、彼はふと己の頬に触れてみたが、そうしても何の痛みも感じなかった。革のグローブをはめた手の指先には、血の一滴すら付着していない。

 そもそも動揺する必要は何もない。ここまで計画は順調に来ている。彼自身が進言して取り入れられた作戦を上手く完遂することができれば、帝国内での評価も上がるに違いないのだ。あいつは所詮王国から寝返った裏切り者だと、帝国の騎士団内でも低く見られている状況を覆すことができる。――そのために邪魔なものは容赦なく排除しなければ。

 ――そうだ。俺は……。

 だんだんと記憶が整理できてきた。

 この森の先にあるノルンの村は、大した施設もない田舎の村に過ぎないが、これから帝国と王国の戦争が本格化していくに伴って重要な進軍経路になるはずだ。奪い合いになる前に先手を打って押さえておけば、あとあと計り知れない有利を帝国にもたらすだろう。そうすれば、その功績によって自分は出世できる。これまで散々見下してきた奴らを見返すことができる。どうだ見たかと、指を指して笑ってやることができる。

 ここまで来れば作戦は成功したようなものだった。彼が率いてきた兵の数に抵抗する戦力などあの村にはないはずだ。もし抵抗する者がいたとしたら、見せしめに殺してやればいい。単純な話だ。

 ただ心のどこかで引っ掛かるのは、「ノルン」という村の名前だ。ノルン。この作戦を思いつく前に、どこかで耳にしたことがあった気がする。こんなしけた田舎など、自分には縁もゆかりもないはずだ。なのに妙に気になる。

 ――ノルンの村……。誰かがどこかで話していたような気が……。前に誰か……。いったい誰が……。いや、何を余計なことを考えているんだ、僕は。大事な作戦の前だぞ。

 闇の中に伏せた兵たちも彼に注目していた。この兵たちも皇帝の命だからこそ自分に従っているだけで、そうでなければ誰も自分になどついては来ないに決まっている。誰も彼も心の中で自分を見下し、嗤っているに決まっている。だからこそ、弱いところを見せる訳には行かなかった。

「……よし、やれ」

 彼が命令すると、兵たちが森の各所から村の内部へと侵入していった。しばらくすると、ばたばたと扉を蹴破るような音や、女や子どもの悲鳴、何かが割れる音が響き始めた。「順調みたいだな」と彼は言った。

「僕も村に行く。逃げようとする村人がいたら、ここで止めろ」

「はっ! ……あ、あの。止めるというのは、殺してでもということでしょうか?」

「当たり前じゃないか。そんなわかり切ったことを聞くな」

「――はっ!」

 どいつもこいつもノロマな馬鹿ばかりだ。どうして一々そんなことを尋ねるのか。戦争なのだから、作戦中に敵国の国民を殺すくらいは当たり前だ。彼は既に身も心も帝国騎士になりきって、自分の故国である王国民を手に掛けることを微塵も悪いとは思っていなかった。むしろこれまで自分を認めなかった王国の人間たちに復讐できる良い機会だとすら思っていた。

 村内の騒ぎは酷くなっていく。彼の命令を受けた兵たちは各家々に踏み込み、住民の全てを広場に集めようとしているはずだ。ちょうどほとんどの家で家族が夕飯の食卓を囲んで団欒していた時間帯に、ノルンの村は襲われた。

 悲鳴がどんどんと連鎖し、数か所から争う音も響いて来た。

 村を襲撃した部隊を率いる彼は、村の中央にある教会の前の広場を目指して歩いた。そこには既に十数名の村人が無理やり家から引き出され、剣や槍を装備した兵に囲まれていた。

「どうだ?」

「はい、ナイアス隊長」

 隊長というのは悪くない響きだ。その単語に自分の名前がくっついているだけで、ある程度は傷付いた自尊心が癒される。……しかし足りない。自分を見下したやつらを見返すためには、隊長程度ではとても足りない。将軍、あるいは侯の位。そういったものでなければ、彼の心に空いた穴はとても塞げそうになかった。

 彼の部下は、彼に作戦の経過を報告した。

「概ね順調ですが、家畜小屋に立てこもって出てこない者などがいるようです」

「なら家畜と一緒に焼いてやれ」

「……え?」

「こいつら平民にとって、家畜は大事な存在らしい。たぶん自分たちも豚や牛に似てるからだろうけどな。一緒に丸焼きにしてやれば本望だろうさ」

「え……あ」

「どうした? 早くしろよ」

「は、はいっ! 了解しました!」

 あまりにも残酷で無慈悲な命令を下す彼を、広場に集められた村民たちは身を寄せ合い、戦慄した表情で見つめていた。「お前はそれでも人間か」と、誰かが怒号を発した。

「……なんだと? いま言ったやつ、前に出ろ」

「…………」

「出てこないのか? 卑怯者め」

 彼は適当な住民に目をつけると、そいつをこっちに連れて来いと部下に命じた。

「――いまからこの男を処刑する」

「な、なんで俺が⁉ いま言ったのは俺じゃない!」

「連帯責任って奴だよ」

 そう言うと、彼はおもむろに鞘から剣を抜き、兵士たちに身体を押さえられたままのその住民の身体を肩口から斬り下ろした。断末魔が鳴り響き、地面に倒れた男の死骸からどくどくと血が流れていた。男の妻子らしき女と小さな娘が、「あなた」、「お父さん」と言って泣き叫ぶ。同じころ、村の隅から火の手が上がった。家畜小屋に立てこもっていたという誰かが、豚や牛と共に生きたまま焼かれていく。まだ若い隊長の残酷な振る舞いは部下の兵たちにも伝播し、彼らの行動には歯止めがかからなくなっていった。

 これは戦争だから仕方ない。

 命令を受けただけの自分には責任はない。

 悪いのは自分たちではなく、こいつらだ。

 そういう罪の擦り付け合いの中、炎が夜空を焦がし、血と煙の臭いが辺りに漂った。

 しかしそこで、何人かの帝国兵を倒して住民の一部を村の外に脱出させようとした者がいた。その「娘」は剣を手に取り、自分自身の身体を住民の盾にして必死に戦ったが、やがて力及ばず捕らえられた。――ボロボロになった彼女は帝国兵に縄を打たれ、彼らを率いる若い隊長の元に引き出された。

「面白い。どんな奴か顔を見てやろうじゃないか」

 若い隊長はニヤニヤと笑いながらそう言ったが、その娘の地味な色の髪を見た瞬間に、彼の顔から笑いが消えた。

「やめて」

「…………」

「これ以上、酷いことをしないで」

「…………フィーネ?」

「ナイアスくん……」

 彼は剣を地面に落とした。後ずさりながら顔を覆った。

 なぜ彼女がここにいる。

 頭が酷く痛む。

 どうして自分はここにいるんだ。これはいつの出来事なんだ。

 過去に経験した出来事か。それとも未来か。

 ノルンの村。彼女とあいつの故郷。あいつと結ばれなかった彼女は学園を去って故郷に帰り、そのまま戻らなかった。そして自分が起こした虐殺に巻き込まれ、死んだ。最後まで抵抗をやめなかった彼女を、最後の最後まで俺の説得を諦めなかった彼女の胸を、俺が自分の剣で刺し貫いた。

 これはゲーム内でも重要なイベントだ。このイベントをきっかけに、主人公はフィーネのためにも平和な世界を築こうと決意するのだ。

 ……ゲーム? 何を言っているんだ。

 これがゲーム?

「ナイアスくん」

 あの嫌な煙の匂い。肌を焦がす炎の熱さ。失われていく体温。もう輝かない彼女の瞳。全て記憶の中にある。

 それがゲームってどういうことだ?

「ナイアスくん‼」

 いい加減思い出せ。

 自分の罪から目を逸らしてはならない。それこそが、何もよりも重い罪だ。

 彼女を殺したのは誰でもない。

「ナイアスくん、しっかりして‼」


 彼女を殺したのは――



  §



「ナイアスくん、大丈夫?」

 見覚えのないベッドの上で目覚めた彼の視界に最初に映ったのは、心配そうに自分を見下ろすフィーネの顔だった。「ああ、大丈夫だ」と彼は言った。少し記憶が混濁していたが、どうして自分がここに寝ているのかは概ね思い出せた。

 魔術の講義中に行われた生徒同士の対戦で、彼は対戦相手のトーマスが放った魔法にやられた。トーマスの風の魔術が直撃し、そのまま医務室送りになった。

 ――あいつ、手加減せずぶっぱなしやがって……。

 かまいたちのような旋風によって、自分の身体が切り刻まれつつ空中に舞い上がったのを覚えている。ナイアスの身体は無様に吹っ飛び、講堂の床にたたきつけられ転がった。あれで俺が死んだらトーマスはどうするつもりだったんだと思えるのは、逆にこうやって無事に生きているからこそか。

「いてて……」

 全身が痛むうえに制服はボロボロだ。特にボロボロになった上着は、フィーネが座っている椅子の傍に置いてあった。

「回復魔術をかけたけど、すぐに動かないほうがいいよ」

「それって、君が俺を治療してくれたってことか?」

「私、救護委員だから」

 こうしてフィーネと話すのは、何となく気まずく別れたあのとき以来だと彼は思った。

 医務室にはベッドが数台並んでいるが、いまこの部屋にいるのは自分と彼女だけらしい。窓の外はそろそろ夕方になりかけていた。それなりの時間、自分は気を失っていたようだ。そのあいだフィーネはずっと傍にいてくれたのだろうか。そう言えばトーマスの魔法を食らう直前、彼女の声を聴いた気がする。――いや、フィーネが自分のことを心配するなど、そんなことはあるはずがない。

「ナイアスくん、怖い夢でも見てたの? すごくうなされてたけど……」

「そんなに? 自分じゃ思い出せないけどな」

 彼のその言葉以降、二人はしばらく無言になった。

 フィーネにそう言ったように自分が夢を見ていたのかどうか、いまいち思い出せなかった。しかしやけに頭が痛かった。もしかしたら床にたたきつけられたときに後頭部でも打ったのかもしれない。

 傍にいるフィーネは、苦虫でも噛んだような微妙な表情だ。救護委員としてナイアスを介護する羽目になったものの、不本意だと思っているに違いない。彼はそう思った。

「フィーネ、もういいよ。君は寮に戻ってくれ。俺はしばらくしたら一人で帰る」

「…………」

「前も言ったけど、俺と二人でいるとこをレオナルドに見られたくないだろ」

「別にそんなこと……」

 フィーネは彼から目を逸らしたまま、右手で自分の左の二の腕をぎゅっと掴んでいた。

「そんなことなんて言うなよ、君にとっては重要なことだろ。君はレオナルドを追いかけて、わざわざ村を出てこの学園に来たんじゃないか」

 気絶から目覚めて気が緩んでいたのか、彼はつい余計なことをぽろっと言ってしまった。そうと気付いたときには、フィーネの顔は真っ赤に染まっていた。

「ナイアスくんには関係ない」

「……そうだよな」

 彼はベッドの上でうつむいた。自分はまた彼女を怒らせてしまったようだ。しかしこの際だから、前から彼女に言いたかったことを伝えた。

「これは余計なお世話だっていうのは百も承知なんだけどさ」

「…………」

「良ければ俺に、君の恋を応援させてくれないか」

「…………えっ?」

「驚くのも無理はないと思うけど、これでも真面目に言ってるんだ」

 ゲーム中で救われることが無かったフィーネが確実に救われる方法とは何か、これでも彼なりに真剣に考えた。いまはナイアスである自分が彼女たちの故郷の村で馬鹿な真似をしたりしなければ安全だと思われるが、それに加えてフィーネがレオナルドと結ばれるという、ゲームのシナリオ上では無かったルートを実現すればどうだろうか。原作のフィーネはレオナルドとの恋が叶わなかったから故郷に帰る。しかし彼女がレオナルドの恋人になれば、その必要はなくなるのだ。

 それはナイアスである自分が本来たどるはずだった道から外れて進むことができるという、彼にとっての希望にもなる。

「……えっ、あっ」

 いや、それは言い訳か。自分は単に、フィーネに幸せになってもらいたいと思ったのかもしれない。ゲームキャラである彼女に感情移入するなど馬鹿馬鹿しいのかもしれないが、なぜかその気持ちが湧いて来る。

 どうしてか、自分が生き残りたいという思いよりも切実に。

「わ、私は別にレオくんのことが好きだなんて一言も」

「じゃあなんでそんなに真っ赤になる必要があるんだ。素直に認めろよ」

「…………」

「誰も笑ったりしないさ。好きなら好きだって、堂々としてればいいじゃないか」

 ラヴィニアや他のヒロインに比べればフィーネは地味で勝ち目は薄いのかもしれない。それにレオナルドのことは正直自分も好きではない。しかしそれが彼女の願いであれば、叶うように応援してやりたい。

 フィーネはゆでだこのようになって黙ってしまったが、はっきりした返事が聞けなくてもいい。とりあえず今日は、自分が彼女を応援していると彼女自身に知って欲しかった。自己満足と言えばそうだが、妙に爽やかな気分だった。

 その爽やかな気分の最中に――。

「つっ……⁉」

 燃えている村と、血を流して地に倒れ伏している少女の幻影が見えた気がした。

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