第14話 魔法の力2

 魔術概論の講義が行われる場所は、いつもの教室ではなく広い講堂のような施設内だった。これまで彼が出席してきた他の講義と違い、出席者も多かった。他の生徒たちの会話に耳を澄ませていると、魔術概論は進級に必要な必修単位だかららしい。

「やばいよ……前期の試験で成績最悪だったから、どうにかして巻き返さないと。このままだと留年しちゃうよ」

「それっていつも勉強サボって街で遊び歩いてるからでしょ? 自業自得」

「俺、攻撃魔術ならある程度自信あるんだけど、補助と回復は自信ないんだよな~」

「性格じゃない? 個人の性格は得意な魔術の傾向にも反映されるって先生も言ってたし。あんた大雑把な性格だから」

 制服姿の少年少女が、いかにも学生という感じの会話をしていた。この中にはレオナルドやフィーネもいるかもしれないが、レオナルドと目を合わせたらナイアスの感情が暴走しそうになることを知っている彼は、敢えて彼らの姿を探そうとはしなかった。

 授業開始の鐘が鳴ってからしばらくすると、黒いローブの妖艶な美女が生徒たちの前に現れた。彼女の両目が黒い布で覆われているのを見て、彼はぎょっとした。

 ローブの美女はこう言った。

「今日は一対一の対戦形式の実習を行います」

 その言葉を聞いた生徒たちの中にざわめきが起こった。

「えっ、いきなり? 予告も無しに? そんな乱暴なことってある?」

「前回みたいに先生の実演を見るだけかと……」

 半分以上の生徒が驚いていたが、驚いたのはナイアスの中にいる彼もだ。実際に魔法を使う機会が、これほど早く訪れるとは思わなかった。しかも対戦形式とは。ローブの美女は生徒たちのざわめきに耳を貸さず、音量は小さいがやけに通る声で続けた。

「自由に二人組を作りなさい」

 その言葉と同時に彼は胸にものが詰まったような顔をした。

 自由に二人組を作れ。ナイアスの身体になってから彼が最も恐れていた言葉と言っても過言ではない。いや、過言か。

 唐突に実習を宣言されて戸惑っていた生徒たちも、気を取り直して続々とパートナーを作り始めていたが、彼はもちろんその波に乗り遅れた。ただでさえ嫌われているナイアスに「俺と組にならないか?」と誘われて応じてくれる奇特な生徒に心当たりなどなかった。

 ――ま、まずいぞ、このままだと間違いなく余る……!

 そしたら皆にクスクスと笑われるに違いない。そしてあの女教師から憐れみを込めて「オルティスくんには友達がいないのかしら? 仕方ないから先生と組みましょうか」と言われるのだ。

 ――まあそれはそれで悪い気はしないけどな。あの目隠しはともかく、めちゃくちゃ美人な先生だし。――じゃなくて! そんな下らないこと考えてる場合じゃないだろ。駄目もとで誰かに声をかけてみよう。

 彼は手近な生徒に声をかけまくった。しかし予想通り、誰も彼も声をかけてきたのが学園内で悪名高いナイアス・オルティスだと知ると難色を示した。遠慮がちに断られるのはまだ良いほうで、露骨に無視されたり舌打ちされたりもした。

 そんな中、一度食堂で朝食を共にしたことがあるロドリックの姿を見つけたが、彼は既に友人らしき男子生徒と組になっていた。

 ――ああ、こりゃ無理だ……。

 こうなればなるようになれだ。彼は諦め、流れに身を任せることにした。

「オルティスくん、パートナーを見つけられなかったのかしら?」

 女教師は黒い目隠しの下からそう言った。目隠ししていても彼女には見えているらしい。彼はできるだけ惨めにならないよう、せめて堂々と「はい」と答えた。すると生徒たちの中から嘲笑う声が聞こえた。

「仕方ないわね。誰かオルティスくんと組になってくれる人はいる?」

「…………」

「誰もいないのかしら?」

「先生、なんだったら俺は一人でも大丈夫です」

「対戦形式の実習よ? そういう訳にはいかないわ」

 目隠しの奥で女教師が眉間に皺を寄せた。それはそうだ。彼女は「そうね……」と悩んでから、彼らを取り囲んで成り行きを見守っていた生徒たちの一方を見た。

「じゃあシュナイダーくん」

「俺? ですか?」

「あなたがオルティスくんとペアになって頂戴」

 シュナイダーというのはレオナルドの親友、眼鏡のトーマスの姓である。面食らうトーマスの隣には、きっちりとレオナルドもいた。

 ――なんでこうなる。

 と彼は思った。どうにかしてこいつらと関わらないようにしたいと思っているのに、まるで引力でも働いているように遭遇する。しかしそれは向こうも同じことを思っているのかもしれない。

 彼は可能な限りレオナルドを視界に入れないよう奇妙に首をひねったまま、トーマスに向けて言った。

「先生の指示なんだ。……嫌かもしれないがよろしく頼むよ、トーマス」

「どうしてお前にそんな馴れ馴れしく呼ばれないといけないんだ?」

 ――馴れ馴れしいか。トーマスはレオナルドのストッパー役だから、まだ冷静に話ができるかもしれないと思ったんだけどな。……こいつもナイアスに対してはかなり好戦的みたいだな。

 彼はそう思いつつ、「すまないシュナイダー」と言い換えた。

 トーマスも目隠しの女魔術教師からの指示に逆らう気まではなかったらしく、眼鏡の角度を指で整えると、人垣から前に出てきた。

「あなたたちは基本もできているし、みんなのお手本にはちょうどいいわね。試合するところを見せてあげて頂戴」

 生徒たちのあいだに漂う不穏なムードが読み取れないのか、女教師は適当な調子でそう言った。あるいは、生徒たちにあまり関心がないのかもしれない。彼女は自分が手本を見せる手間が省けたと思っている様子だった。

「この足元の円の中からお互いに出ては駄目よ」

 女教師がそう言うと、ナイアスとトーマスの足元に光で魔法陣が描かれた。その魔法陣は肩幅の倍くらいの直径で、ナイアスとトーマスのあいだにはそのさらに十倍ほどの距離がある。

「そこから魔術だけ使用して、相手に参ったを言わせるか円の外に追い出した方が勝ちよ」

 ラヴィニアといい、この学園は生徒にやたら物騒なことをさせる。しかしここは実際に戦場で戦う騎士や魔道士を養成しているのだから、それも当然か。――結局魔法の使い方に関しては本で得た知識だけで練習する機会が無かったが、こうなればぶっつけ本番で行くしかないだろう。

 彼は内心不安で一杯だったが、トーマスにはナイアスを負かす自信があるらしく、平気な表情をしている。四角い眼鏡をかけた理知的な顔には汗一つ浮かんでいない。

 原作通りならトーマスは水属性と風属性の魔法を使う。出自が平民でも比較的魔法が得意なキャラがいるが、トーマスはその一人だ。理詰めで物事を進めるタイプで、実家は裕福な商人の家系らしい。その財産を背景にトーマスの父親は息子と貴族の娘――あのポニーテールのボクっ子、マーガレットの婚約を取り決めた。というのがゲーム内のプロフィールだったはずだ。

 主人公レオナルドは入学直後にトーマスと出会い、すぐ友人同士になった。フィーネを除けば学園内でレオナルドとの付き合いが最も長いのがトーマスだ。そしてその次に初期からレオナルドに絡んで来たのがナイアスである。ナイアスは初対面の時は一瞬だけレオナルドたちに友好的だったが、彼らが平民であると知るや否や態度を変えた。

「まさか俺たちがやりあうことになるなんてな、オルティス」

「……お手柔らかに頼むよ」

「ああ、さっさと終わらせよう」

「――‼」

 魔術教師の「はじめなさい」の声がしたと同時に、トーマスの右手が動いた。眼鏡の奥の目つきが鋭くなり、練られた魔力が風の矢となってナイアスめがけて疾った。

「……どうして避けない?」

 風の矢がナイアスの頬を裂き、そこからじわりと血がにじんだ。トーマスは訝しんだが、ナイアスの中にいる彼は避けなかったのではなかった。純粋にトーマスが放った魔術の軌跡が見えなかったのだ。トーマスは最初から本気で当てるつもりはなかったのだろう。一撃目はナイアスに回避させ、ナイアスが慌てる様を見ようとしたに違いない。

 でなければ、きっといまの一撃で彼は死んでいた。

 彼は目を見開いたまま己の頬に指で触れた。すると鈍い痛みが走った。眺めてみた指先には、ほんのりと赤い色がついていた。

 ――…………血? ……俺の? ほ、本物か?

 ラヴィニアと森の中で手合わせしたときは、二人とも使っていたのは殺傷能力の低いただの木の棒だった。ラヴィニアも彼に対して極力手加減をしていた。しかしいまのトーマスはナイアスに加減するなど微塵もない。日ごろのナイアスの悪行の報いをここで与えてやろうと考えている。それは正当な理由のある怒りかもしれないが、つい数日前にナイアスの身体に入った彼にとっては全く身に覚えのないことだ。

 もちろんトーマスはナイアスを殺してやろうとまで考えていたのではないだろう。普通、授業内で行われる生徒同士の魔術を用いた対戦では、万が一の事故が起こらないように配慮がなされる。彼らの足元に描かれている魔法陣がそれだ。これにより、その中にいる人間が放つ魔術は相手の命を奪えないくらいには威力が弱められる。――だが。

「……?」

 このときナイアスの異変に気付いていたのは、例の目隠しをした魔術教師と、生徒の中ではほんの数人だけだった。魔術の基礎を身に着けているはずのナイアスが、まず何よりも優先して己の身体に張り巡らせるべき防御魔術を何も施していない。しっかりと魔力の被膜を自分の周囲に張っているトーマスとは対照的だった。

 しかもナイアスは、自分の手を見つめたまま、反撃の用意をしようともせずに呆然と固まっている。

 いくら減衰の魔法陣の上にいるとは言え、そんな無防備な状態で攻撃魔術を受ければどうなるか。彼女は咄嗟に「やめなさい」と口にして、次の魔術を用意するトーマスを止めようとした。

 意外なことに、あれほどナイアスを嫌っているはずのトーマスの友人レオナルドも「やめろトーマス」と叫ぼうとした。

 しかしそれらの声を全て塗りつぶす勢いで、ある女子の叫び声が講堂中に響き渡った。

「避けてナイアスくん‼」

 誰も彼女がそんな声で叫ぶのを聞いたことがなかった。

 その場の大半の視線が彼女――フィーネに集まったが、そんなことは関係なく、トーマスの魔術は彼の手を離れてナイアスに向かっていった。

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