第12話 帝国貴族の令嬢2
ラヴィニアとナイアスは、ゲーム中でもほとんど絡みが無い。ナイアスが持っていた弱点、それは、自分より明らかに格上の存在に対して全く強く出られないということだった。ラヴィニアとこの国の王女という二大ヒロインに対しては、ナイアスは完全に無力になる。得意の嫌味も影をひそめて大人しくなる。
そうであるから、ラヴィニアとナイアスの会話はゲーム前半の学園パートではほぼ見られなかった。たまにラヴィニアがナイアスに言及することがあっても、主人公に対して姑息な振る舞いを続ける卑怯者を憐れむような台詞しかなかったはずだ。そして、ナイアスが王国を裏切ったあとも彼女は――。
原作の二人は、間違ってもこんな世間話をする間柄ではない。
彼女との距離を測りかねて、彼はこんな質問をした。
「君が興味を持っているのは、俺じゃなくてレオナルドだろ?」
「みんな同じようなことを言うのね。私と彼はなんでもないのよ」
どうやらそれは本当のようだと彼は思った。ラヴィニアが既にレオナルドとの恋愛ルートに入っているなら、いまのように余裕のある反応は返ってこないはずだからだ。――ただしそれはあくまでも「いまのところは」の話に過ぎない。これからのレオナルドの行動如何によって、物語がどんなルートに進むかはいくらでも変わる余地がある。
「そういうことにしておくよ」
と言ってから、彼はこの場を引き上げようとした。するとラヴィニアが「どこに行くの」と言ってきた。
「どこって、寮に戻るんだよ」
「剣の練習をしにきたんじゃないの?」
「許可なしで真剣を振り回すのはルール違反なんだろ」
「私とあなたが誰にも言わなければ問題にならないわ。それとも、規則を破って怒られるのが怖いのかしら」
「もしかして、俺は君に挑発されてるのか?」
ラヴィニアが再び笑う。さっきよりも、いまのが彼女の素に近い笑いのような気がした。
「俺に何をして欲しいんだ?」
「せっかく二人とも剣を持っているのだもの、勝負しましょ」
「勝負って、そんな急に? それ以前に、俺が君に敵う訳ないだろ」
「やる前から弱音を吐くのは感心しないわね。レオなら絶対そんなこと言わないわよ?」
「レオナルドを引き合いに出したら、俺が怒るって思わないでくれ」
彼がそう言うと、ラヴィニアは驚いたように笑いを消し、やがて「ごめんなさい」と謝った。
「いまのはあなたに対して失礼だったわ」
「……いや。これまでの俺を見られていたのたら、君がそう考えるのは当然だ。けど俺は変わったんだ。変わるって決めたんだ」
フィーネに宣言したことを、彼はラヴィニアの前でも強い口調で宣言した。
「弱い立場の人間に嫌がらせしたり、当たり散らしたりするのはもうやめだ。代わりに、少しでも人に信頼されるよう努力したい」
「驚いたわね……どういう心境の変化かしら。いったいあなたに何があったの?」
「きっかけなんてどうでもいい。とにかくそういうことだ」
「…………」
「疑いたいなら疑ってくれ」
「いいえ、応援するわ」
学園中の人間から冷たい扱いを受ける中、いささかヤケになって口にした部分もある言葉だったが、意外にもラヴィニアはそう言った。
「本気で変わろうとしている人を突き放すことはできないわ」
「…………」
「それじゃ、話も終わったし勝負しましょうか」
「――え? ちょっ、待ってくれ。どうしてそういう流れになるんだ?」
「だってせっかく二人とも剣を持っているのよ? 勝負しないなんて有り得ないでしょう」
――そうだ思い出したぞと彼は思った。このラヴィニアという女子は、帝国の高貴な家に生まれた貴族令嬢でありながら、やたらと剣術の勝負が好きなバトルマニアだった。「弱い男に興味はないわ」と、ゲーム中で初対面の主人公に言い放っていた記憶がある。いままでの会話も、単にナイアスをこの場に引き止めて勝負に誘うためのものだったのかもしれない。
だが――。
「残念だけど、俺は君のご希望に添えるほどの腕前じゃないよ」
彼がそう言うとラヴィニアはむくれた。帝国の五大貴族だか三大貴族だかの家に生まれたとは、とても思えない表情だ。しかしラヴィニアが不満がろうとも、彼が彼女に剣で勝てる道理などなかった。いや正確には、この学園内で彼女に勝てる者が一握りしかいないと言ったほうがいい。
何しろラヴィニアはレオナルドの味方になり得るキャラの中でも最強の呼び声が高い。ヒロインとしてのラヴィニアの魅力以前に、そういう理由で彼女が仲間になるルートをプレイヤーが選択することもあるほどだった。圧倒的攻撃力と行動速度で次々と敵ユニットを撃破していくラヴィニアの雄姿は、「もうこいつ一人でいいんじゃないか?」と言われていたものだ。そんなラヴィニアをレオナルドが正ヒロインとして選ぶため――いわゆるフラグを立てるためには、学園パートで彼女と戦う機会に全て引き分け以上にならなければならないのだから、いささか矛盾している。
とにかく、教師を除けば最強格の腕前を持つラヴィニアに、所詮やられキャラでしかないナイアスが勝てるだろうか。しかもいまはナイアスの身体を自分が操っているのだ。無理に決まっている。躊躇する彼にラヴィニアは言った。
「あなた、レオにどうしても勝ちたいんでしょう?」
「俺は変わったんだって言ったろ? そういう勝った負けたはもうどうでもいいんだ」
「つまらないわね……」
「小声で言ったつもりなんだろうけど聞こえてるぞ」
「一回だけ。少し打ち合うだけだから。ちゃんと手加減するし。それならいいでしょ? ね? ね? お願い」
「意外にしつこいな」
どれだけ「いいえ」の選択肢を選んでも同じ質問が繰り返されているような気分だ。
「……やれやれ、仕方ない」
と彼が言うと、ラヴィニアは露骨に顔を輝かせた。
「少しだけだぞ? それで満足してくれよ?」
「もちろん。――朝は稽古に付き合ってくれる人がいなかったから退屈してたのよね。ふふっ、嬉しいわ」
どれだけ剣術が好きなんだ、と思いつつ彼はラヴィニアに質問した。
「それにしたって、こっちが真剣なのはまずいだろ。もし万が一身体に当たて、君に怪我させるようなことでもあったら――」
「その心配は無用よ。……けど一理あるわね。それであなたの切っ先が鈍ってしまったら元も子もないもの。じゃあ、お互い武器はこれにしましょうか」
と言ってラヴィニアが地面から拾ったのは二本の棒きれだ。ここは森の中である。そんなものは探そうとせずともそこら中に落ちていた。
「あなたはどっちの棒がいい?」
「どっちも同じだろ」
「そうでもないわ。こちらのほうが真っ直ぐよ。でもこっちのほうが重くて威力がありそうね。私は選べないからあなたが選んで」
まるでわんぱく少年のようなこだわりを見せる帝国貴族の令嬢を前にして、彼は彼女が握っている棒の片方を指し、じゃあこっちでと言った。
互いに木の棒を装備した二人は少し離れて向かい合った。単に素振りするつもりで来たはずが、妙な展開になった。
「棒だし、寸止めじゃなくてもいいでしょ? 審判はいないけど、先に身体に当てられたほうが負けね?」
彼は剣に見立てた棒を身体の正面に握って構えた。
ラヴィニアは構えなかった。単に剣を握った右手を身体の横に下げているだけだった。
「いつでもかかってきていいわよ」
さっきからのラヴィニアの言動は、自分がナイアスに後れを取ることなど欠片も想像していない者のそれだった。それは彼我の実力差を考えれば事実なのかもしれない。だが一応彼にもプライドはある。あまり侮っていたらどうなるか、目にもの見せてやるとまではいかなくとも、少しは思い知らせてやりたいという気持ちが、ちょっぴりと湧いた。
そんな彼の感情を読み取ったのか、ラヴィニアの口の端に笑みが浮かんだ。「そうこなくちゃ」と言われているようだった。
「――ッ!」
彼は前に踏み込みながら振り上げた棒を、ラヴィニアの肩に打ちおろそうとした。いくら挑発されたとしても、女子の顔面を攻撃することはできなかった。
ラヴィニアはあくまで動かず、彼女の右肩に彼の打ち込みが吸い込まれて行きそうになった。「寸止めしなければ」と思って彼が手に力を込めようとしたとき、視界からラヴィニアの姿が消え、代わりに空が映った
「――ぐふっ⁉」
視界がひっくり返り、森の景色ではなく青い空が見えたと思った次の瞬間、背中から衝撃が来た。何をどうされたのかすらわからなかったが、彼はラヴィニアによって地面にたたきつけられたのだ。受け身を取ることもできなかった彼の呼吸は止まり、芋虫のように倒れたまま身をよじった。その首筋に、ラヴィニアの棒が突き付けられた。
「私の勝ちでいいかしら?」
「ぐ――、ごほっ、ごほっ」
「私の勝ちでいいかって聞いてるのよ」
「ごほ――……咳してるのに答えられる訳ないだろ!」
「あら、そう」
「全く……いま俺は君に何をされたんだ?」
「あなたの攻撃の力を利用して投げただけよ。……それにしても、受け身くらいは取ると思ったのだけれど。攻撃の仕方にも工夫が感じられなかったし」
「弱すぎて失望したかい?」
棒を支えに身体を起こしながら、彼はそう言った。まぐれでもラヴィニアに勝つ可能性があると考えたのは、やはり身の程知らずだったようだ。
「そんなことないわ。剣筋はまあまあ鋭かったわよ」
「まあまあか……」
人を容赦なく地面にたたきつけておいて、ラヴィニアはえらく上機嫌に見えた。彼女は原作通りのバトルマニアらしい。ナイアスが負けたとは言え、勝負に応じたことで幾分かは好感度が上昇したようにも見えた。
――それにしても……
いまの勝負は勝負と呼べるほどのものでもなかったが、振り返ってみると、剣に見立てた棒を振ったとき、彼はそれほど違和感を覚えなかった。自分は剣など握ったこともないはずなのに、ナイアスの肉体がどのように剣を振れば良いかを記憶しているようだった。――大げさな表現かもしれないが、積み重ねた努力は決して無にならない、ということなのかもしれない。その努力が自分自身のものでなく、ナイアスの努力を横取りしているに過ぎないことに多少の違和感は覚えるが、それはナイアスのせいで自分がかけられている苦労と相殺してもらいたいと思った。
「負けたよ、ラヴィニア」
「あなたなりに手応えはあったかしら?」
「手応えって呼べるほどのものじゃないかもしれないけどな。まあ、頑張って訓練しようとは思ったよ。少なくとも、もし次に君と手合わせする機会があったら、こんなあっさり負けないようにするさ」
「応援するわ」
半分は冗談で言った言葉だったが、ラヴィニアは真剣な顔で「応援するわ」と言った。そのとき彼はふと思った。
「君はもしかして、俺に発破をかけるためにあんな勝負を持ちかけたのか?」
「どうかしら。でも、迷っていることがある時は身体を動かすのが一番よ」
とラヴィニアは言った。確かに、この姿になってから感じていたもやもやが、彼女に投げ飛ばされて幾らか吹き飛んだ気はした。
――……このラヴィニアが彼女のライバルなのか。
レオナルドを慕うフィーネにとって、ヒロインの中でも1・2を争う人気のラヴィニアは強力なライバルだった。実際にラヴィニアかこの国の王女が、レオナルドと結ばれるメインヒロインの二択と言って良い存在だ。確かにこうして少し接しただけで、ラヴィニアという少女の印象は自分の中にも強烈に残った。見た目も性格も良く言って控え目、悪く言えば地味なフィーネはどうしてもヒロインレースにおいて不利だろう。
だからどうしようと思った訳ではないが、どうしてか彼の頭に、木立の中のベンチで一人寂しくレオナルドを待っていたフィーネの姿が浮かんだ。
原作のフィーネは、どんなルートをたどろうが、一途にずっと慕ってきた幼馴染と結ばれることもなく、戦禍に巻き込まれて儚く命を散らす運命だった。
「どうしたの、ナイアス」
「あ、いや……」
「ねえ、良かったらまたこうして一緒に訓練しましょう」
「ああうん、わかった」
フィーネのことを思い浮かべていた彼は、ラヴィニアの誘いに対して生返事をしてしまった。すぐにそれと気づいて「なんだって?」と聞き返したが、そのときには既に、ラヴィニアが言質を取ったという表情をしていた。
「承諾してもらえて嬉しいわ。約束よ」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ。いまのはつい勢いで――」
と彼が言うと、ラヴィニアはこれ見よがしに溜め息をついた。
「な、なんだよ」
「私はここに、皇帝陛下とお父様のご命令で留学してるの。この国のことを学んで、帝国と王国の架け橋になるために」
「そう……らしいな」
彼は知っていた。その二つの国は、やがて凄惨な殺し合いを繰り広げることとなる。この学園に在籍する生徒たちも、否応なくその争いに巻き込まれる。レオナルドもトーマスも、フィーネも、食堂で一緒に朝食を食ったロドリックも、そしてこのラヴィニアも。
フィーネだけでなく、場合によっては全員に死の可能性がある。
ラヴィニアは胸の下で腕組みした状態で彼に近付いた。至近距離で彼を睨みつけ、こんなふうに問いかけた。
「ナイアス、あなたは王国の貴族よね? 貴族として、ここで騎士を目指しているんでしょう?」
「だから、それとこれとなんの関係があるんだ?」
「誇り高い王国の貴族が、一度交わした約束を違えるつもりなのかしら?」
前言撤回は無しよとラヴィニアは言った。
「それじゃあ、また明日の朝ここで会いましょう」
ラヴィニアは振り向いた。
――貴族とか騎士とか……。
そんなものはナイアスの設定であって、俺には関係ない。彼は遠ざかるラヴィニアの背中にそう反論しようとしたが、その言葉は誰かに強い力で押しとどめられたように、どうしても口から出て来ようとはしなかった。
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