第11話 帝国貴族の令嬢1
「コンパクトだって? ああ、あの汚いゴミのことか。お前が持ってるとこを見たことがあるよ。どうして捨てて新しいのを買わないのかって、毎回疑問に思ってた」
性格の悪さが表に出ているような陰険な目つきの少年は、自分の寮の部屋を訪ねてきた少女に対して半笑いを浮かべながらそう言った。
「まあ貧しい平民のことだから、あんなゴミすら買い替える金がないんだろうな。この学園で生活するだけでも、それなりに金がかかるもんなあ。ははっ、憐れなもんだよ。身の程知らずに無理して田舎から出てくるからそんな目に遭う。――で、そのコンパクトがどうしたって?」
少年に悪態をつかれた少女は悲しそうな目をしていたが、それでも彼に「あなたが拾った私のコンパクトを返して欲しい」と懇願した。
「返して欲しい? 僕がそれを持ってるって、どこで聞いた? ……ふうん、まあいいさ。確かに僕が拾ったよ。あとで焼却所に持って行こうと思ってたんだ。平民の臭い匂いは、燃やしたところでどうにかなるとは思えないけどな」
卑屈な猜疑心の塊のような少年は、ドアの隙間から身体の一部だけをのぞかせている。しっかりとドアノブを握り締めるその姿は、少女が部屋に立ち入ることを拒んでいるように見える。
「ていうか、さっきからその言葉遣いはなんなんだ? それもあの無礼な赤毛の幼馴染の影響か? 平民が貴族の僕と同等の口を利くなよ」
少女は丁寧な言葉に改め、「すみませんでした。返してください」と何度も言った。彼女にとって、それは余程大切なものなのだ。
「…………ふん」
しかし彼女が必死になればなるほど、少年は頑なになった。涙を浮かべ声を震わせる少女を見下ろしながら、少年は言った。
「そこまで返して欲しいなら、誠意ってやつを見せてみろよ」
「……誠意?」
「そこで土下座しろ」
「え……っ」
「田舎の平民は土下座も知らないのか? そんなことないよな? 地元じゃ何度もやる機会があったろ? 犬みたいに這いつくばって、床に額を擦り付けてこう言うんだ。『オルティス様、私の大切なゴミをお返しください』ってな」
「…………」
「早くしろよ。こうしてるだけでお前の臭い匂いが鼻に漂ってきてムカムカするんだ」
少年の頭の奥で、誰かが言っている。「やめろ」と。どうしてお前はそんな酷いことをするんだと。単にたまたま拾ったものを返すだけでいいのに。彼女にとってのかけがえのない想い出の品を、ただその手に握らせてやるだけで十分なのに。なぜだ。どうしてお前はそこまで性根が曲がっているんだ。
「知るもんか」
少年は思わずそんな言葉をつぶやいた。
「……なんだ? 僕の顔に何かついてるか? ――はははっ、そうだ。いいことを思いついたぞ。土下座が嫌なら別の選択肢を与えてやる。僕とキスしろ。光栄だろ? 平民が貴族の僕とキスできるんだ。喜べよ。キスのあとは部屋に入れてやる。ベッドの上で僕に奉仕したら、あのゴミは返してやるから――」
少年の言葉が終わらないうちに、少女は寮の廊下を涙と共に駆け去った。物音を聞きつけた数名の生徒が、様子を見に部屋から出て来ていた。――この調子だと、彼女の幼馴染に報告が行くことは間違いない。そうして彼は、また例の赤毛の少年といがみ合うことになるのだ。
だがそのいがみ合いに、果たして彼女まで巻き込む必要はあっただろうか。
「……ふん」
もう一度「知るもんか」とつぶやいて、少年は部屋のドアを閉じた。
§
「――おい、待てよナイアス!」
がばりと跳ね起きた彼の手が空を切る。そこに誰かがいる訳ではなく、ひねくれた少年の襟首を掴み、彼女に無理やり謝らせてやろうという試みは無駄に終わる。
彼はきょろきょろと周囲を見回して、いまのが夢であったことを悟った。
「もしかして、これもナイアスの記憶か……?」
ナイアスの処刑シーンを体験したときよりは心に来るダメージが少なかったが、見たくもない嫌な場面を、誰かに頭を強引に押さえつけられながら見せられたような感覚が、まだ彼の中に残っていた。彼は「ああくそ」とつぶやいてベッドを降りた。
「コンパクトを返して欲しかったら土下座しろとかキスしろとか……女子相手に、良くあんな酷いことを言えるもんだよ」
フィーネがコンパクトを取り返しにきたとき、彼でないオリジナルのナイアスは、彼女にああいう対応をしたのだろう。ベッドで奉仕しろとかいう下世話な台詞はゲームで見た記憶がないが、そんなところまで詳細に描写すると何かの規制に引っ掛かるため省かれたのかもしれない。
不快な気分から逃げるように、彼は寝間着を脱いで制服に袖を通した。まだ朝食には早い時刻だが、どうせ今日は早起きする予定だったからちょうどいい。――そう考えるくらいしか、いまの気分を紛らわす方法がなかった。
昨晩はフィーネを見送ってから寮に戻ったため寮の門限に遅刻し、寮監の生徒に怒られることとなった。そう言えば門限などというものがゲーム中にも設定されていたなと思いつつ、全く意識から外れていた。フィーネに対し、あれだけはっきりこれからの俺を見ていてくれと宣言した直後のこれは、いくらなんでも格好がつかなすぎる。その恥ずかしい気持ちも、今日この夢を見た原因かもしれない。
ゲーム内では、主人公が門限等の規則を破った場合には、全キャラからの評価が微妙に下がるというペナルティがあった。ということは、フィーネの耳にもナイアスが門限を破ったという話は届くのかもしれない。
――……やっぱりナイアスの言葉は嘘っぱちで信用に値しないって彼女に思われなきゃいいけど。
不安になりながら着替えを終えた彼は、部屋の隅に立てかけてある剣に目を向けた。
昨晩、寮監生徒に怒られたあと、彼は罰として寮の風呂掃除を命じられた。男子たち全員が使っている共用の浴場は広く、使用時間が終了したあとにデッキブラシですべてのタイルを磨くのには相当の時間がかかった。
そのあとようやく部屋に戻った彼は、ベッドに倒れ込む前に勉強机とセットになっている椅子に座った。ナイアス本人が残した手帳に目を通すためだった。
その手帳は、彼がナイアスの部屋の机の引き出しの中から発見したものである。そこにはナイアスがこの学園で取っている講義や、今後の予定などがカレンダーに書いてあった。その中で特に彼の目を惹いたのは、ナイアスが毎日こなしていたらしい授業外での自習と訓練のスケジュールだ。
――こいつは本当にこれを毎日こなしてたのか?
そう疑ってしまうほど、オリジナルのナイアスは努力していた。消灯までの夜の時間は自習と筋トレに費やして、早朝からは走り込みと剣の素振り。主人公レオナルドが他キャラとの交流に勤しんでいる時間も、ナイアスはひたすら自分を鍛えていたようだ。
それを認識してから改めてナイアスの手のひらを見ると、やけにゴツゴツしている。そこには無数の豆やタコを潰した痕があり、皮膚はなめし皮のようになっていた。一朝一夕でこんな手になるはずがない。手帳の訓練メニューが嘘ではないことを、この手が雄弁に物語っていた。作中でも抜きん出た才能を持つ主人公に追いすがるために、ナイアスはこれだけの努力をしていたということか。
正直、ゲーム内に登場するナイアスは雑魚に毛が生えた程度の悪役でしかなかった。主人公レオナルドのライバルや、手強いボスと言える存在は他にいくらでも出てくる。単に主人公に嫌な思いをさせるために登場しては退場を繰り返すナイアスの存在を、ウザいと思っていたプレイヤーは多いだろう。
――どうしてこんな努力ができるのに、こいつは……。
あそこまでレオナルドに執着する必要があったのか。改めて疑問に思わざるを得ない。この努力がレオナルドに対する嫉妬を原動力としていたのだとしたら、むしろ憐れに感じてしまう。
――でもだからって、それをフィーネにまで向ける必要はなかったよな? どうしようもない馬鹿だよ、お前は。
彼はナイアスを罵ったが、いまは彼自身がそのナイアスなのが皮肉な話だ。
とにかく、心を入れ替えて変わると宣言した以上は、元のナイアスがこなしていた努力程度は継続してみせる必要があるのではないか。彼はそう考えた。そこで今朝は、まず素振りから初めてみるつもりだったのだ。
だが、この部屋の中で剣を振り回すのは、あちこちぶつかる可能性があって危険だった。ここは二人部屋だが、それをナイアスが一人で使っているのは、恐らくナイアスと同室になることを他の生徒たちが嫌がったためだろう。室内には質素なベッドが二台と勉強机と椅子が二つずつある。タンスとクローゼットも置かれているせいで、動き回る余地は少ない。素振りしたいなら、どこか外でやるべきだろう。
しばらくして、部屋に置いてあった剣を手にこそこそと寮を抜け出す彼の姿があった。彼は素振りに適切な場所を探した結果、寮の裏手にある森の中が良いのではないかという結論に達した。それにしても敷地内に森まであるとは、なんと広い学園だろう。早朝の森は、外よりもひんやりとした空気と静寂に包まれており、まだ小鳥も鳴いてはいなかった。
「だいぶ奥まで来たし、この辺りでいいか」
森の中の開けた場所を見つけると、彼は周囲をきょろきょろ見回してから支度にかかった。といっても、今日は素振りだけナイアスが定めた回数をこなすつもりだった。
剣の柄を握り鞘から抜くと、すらりと金属質な音がした。早朝の弱い光を鋼の刀身が跳ね返した。
「剣のことはよくわからないけど……これって……」
何か由緒のある剣なのだろうかと彼は思った。部屋の中でも、この剣は何かナイアスにとって重要な意味を持っているような置かれ方だった。
記憶をたどってみると、主人公レオナルドを操作していたときに敵として出てくるナイアスは、確か「ナイアスの剣」という武器を装備していた。ナイアスは常にイベントキャラとして登場するため、その剣を破壊したり盗んだりすることは不可能だった。しかし、敵として出てくるナイアスが、そこまで手強い相手だったかというとそうではない。順当にレベルを上げていれば蹴散らせる程度だった。あの攻撃力からして、剣が特別な性能を持っていたとは思えない。
「ふーん……」
いずれにせよ、本物の剣の輝きというのは妙に目を惹くものがある。彼は素振りに来たのを忘れて、しばしそれに見入っていた。
「どうしたのかしら? 剣を眺めているだけで何もしないの?」
という声が背後から聞こえたのはそのときだ。咄嗟に振り向くと、明らかにメインキャラだとわかるオーラを放つ金髪の女生徒が軽く腕組みして立っていた。
「君は……――ラヴィニアか」
「そうよ。まるで初めて会ったような顔をするのね」
帝国貴族の令嬢ラヴィニア。唐突に現れたのは、作中でもメインヒロインと言って良い扱いを受けていたキャラだ。主人公レオナルドのヒロイン候補としては、この国の王女と並んで双璧である。ラヴィニアの誰がどう見てもヒロインだとわかる目立つ容姿は、個別ルートすら用意されていないフィーネとは、こう言ってはなんだが大違いだった。立ち姿も堂々としていて、自信のようなものが溢れている。
「俺になんの用だ」
彼の声には多少の険が混じっていたが、それもそのはず、彼はラヴィニアのことを初めから警戒していた。何故かというと、作中でナイアスが処刑された理由の一つに、王国を裏切って帝国の騎士となったことが挙げられていたからだ。ナイアスはレオナルドより出世するためにその道を選んだ訳だが、ナイアスが祖国を売って寝返った帝国の貴族であるラヴィニアは、彼を処刑に導く存在のように目に映った。
しかしそれは言いがかりというものか。ラヴィニアも、現時点では王国と帝国が近い未来に戦争を始めるということを知らないのだ。
彼が色々と考えていると、ラヴィニアは金糸の髪をかき上げながら言った。
「あなたが剣を持って寮を出るのが窓から見えたから」
「それで後をつけてきたって?」
「私がいつも使っている場所を取ったのはあなたよ。私、この時間にはここで素振りすることにしているの」
そう言えばラヴィニアも剣を持っている。ただ、彼女の剣は練習用の模造品とすぐわかる見た目をしている。
「学園の敷地内で、許可なく本物の武器を使用するのは規則違反よ」
「そうだったのか」
「常識でしょう?」
「ついうっかりしてたんだ」
「あなたはそういう細かいことは熟知しているタイプだと思っていたけれど」
「君は俺のことを知ってるのか」
「あなたは有名だもの」
ラヴィニアは笑った。フィーネも可愛らしい見た目をしているはずだが、ラヴィニアには否応なく人の目を惹きつける引力のようなものがある。本当に高貴な家に生まれたものの持つ、カリスマ性とでも表現したら良いか。
だがそれにしても。
――……どうしてラヴィニアがわざわざナイアスに話しかける必要があるんだ? こいつはレオナルドのことが好きなんじゃないのか?
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