第10話 楽しい学園生活2
――にしても、また新しいメインキャラに会ったな。マルグレーテか。……そう言えば、あの娘も一応はヒロイン候補なんだよな。
彼は気を紛らわすためにそのことについて考えた。
好感度の上げ方やイベントによって、最終的にレオナルドが個別エンドを迎える相手は変わってくる。その個別エンドは、ほとんど全てのキャラに用意されていた。あのボクっ子のマルグレーテはトーマスの婚約者だが、レオナルドが彼女と結ばれるルートもあったはずだ。――つまりレオナルドは場合によっては親友の婚約者を寝取る訳だが、そのときもトーマスには特に怒られない。レオナルドとマルグレーテの仲が決定的になっても、相変わらず味方ユニットとしてトーマスを使用することができる。
そんなトーマスはレオナルドが誰とも結ばれない場合のいわゆる「友情エンド」にも出てくるキャラなうえに、婚約者がレオナルドとくっついても平気な顔をしているので、「こいつホモなんじゃないか?」とプレイヤーから疑われていたくらいだ。
「――ははっ」
下らないことを考えて幾分か気がまぎれた。さて寮に戻ろうとした彼は、足を一歩前に踏み出してからくるりと振り返った。
太陽は学園の煉瓦造りの建物と建物のあいだに消え、ほとんど夜と変わらない明るさになっていた。フィーネはもう部屋に戻ったかもしれないが、念のため確かめるだけ確かめておこうと思った。
先ほど彼女に会った木立の中の道に向かっているうち、彼はいつしか小走りになっていた。ギリギリ完全に暗くなる前にさっきの地点に到達すると、フィーネはまだそこにいた。彼女はさっきよりもうつむいていた。
「フィーネ」
走って乱れた息を整え終わらないうちに彼が声をかけると、フィーネはハッと顔を上げた。自分に声をかけたのがレオナルドだと思ったのか、顔を上げたときの彼女の瞳は輝いていたが、それはすぐに失望の色に染まった。
「暗くなる前に寮に戻れって言ったろ。近くまで送るから、行こう」
「…………」
「……フィーネ? ……なんで泣くんだよ」
「泣いてないよ」
「強がるなよ。泣いてるだろ」
「そうだったとしても、あなたには関係ない」
確かにその通りだ。嫌になるほど彼女が正しい。
ナイアス本人ですら彼女を労わる資格がないのに、単にナイアスの身体を借りているに過ぎない自分が、どんな理屈で彼女を慰めようというのか。そもそも、フィクションでしかないゲームキャラに感情移入することになんの意味があるのか。
しかしどうしてか放っておけないのだ。レオナルドに対する憎悪の感情が湧き起こってくるのと同じように、ナイアスの身体になって初めて見た時からフィーネのことが気にかかる。彼女に突き放された以上はこの場を大人しく立ち去るべきなのに、どうしても足が動かなかった。
――……本当に?
――本当に、俺がこの子を殺すのか?
――本当にそんなことを?
彼女に一目惚れした訳ではなく、そのことが頭から離れない。
ナイアスが処刑されたときにレオナルドに投げかけられた言葉が。ゲームの中で見たあの出来事が、油断すると脳内にフラッシュバックしそうになる。
悲鳴と血と炎。
煙の匂い。
剣で貫いた肉の感触。
処刑されたときのナイアスは覚えていないと言っていたが、この身体は忘れていない。
この娘が死んだときの顔と、口にした言葉を。
「……フィーネ、戻ろう。戻るぞ。このまま夜になると危ないから」
「嫌。どうしてあなたに命令されないといけないの?」
「意地になるなよ。俺がレオナルドじゃないからって」
「だから、あなたには関係ない!」
彼が引き下がらないでいると、フィーネは激昂して立ち上がった。
「ずっと――ずっと私のことを田舎者の平民って見下して馬鹿にしてきたくせに、いまさら心配なんてしないで‼」
「う……」
それはナイアス本人ではない自分には身に覚えのない、関係のない話だとは言えなかった。彼女の目に映る自分はナイアス・オルティス以外の何者でもないのだから。入学以来、彼女はずっと自分から辛い仕打ちを受けてきたのだろう。レオナルドが彼女以外の連中と仲良くするとか以前に、そちらのほうが遥かにフィーネを傷つけたのだ。
そうした積み重ねが、上っ面の言葉だけでどうにかなるだろうか。
「……わかった」
「…………」
「見ててくれ、フィーネ」
「……え?」
「俺は変わったんだ。これまで君やレオナルドにしてきたことも悪いと思ってる。……そう言ったって、君は信じてくれないだろ? だから、ちゃんと行動で証明するよ。俺がまともになれたかどうか、君の目で見ていて欲しい」
「…………」
「そのときに、もう一度君に謝るよ」
ナイアスの身体でいるのは、元の姿に戻るまでの一時的な仮の話であると考える前に、彼はそう口走っていた。
「だからとりあえず、いまは寮に戻ってくれないか。俺と歩くのが嫌なら、一人で行ってくれて構わないから。そのあいだ、俺はここにいるよ」
「…………」
「約束する」
§
「や、約束って……」
フィーネは、彼の真っ直ぐな視線に狼狽えていた。本来ならば、この視線は彼女の幼馴染の少年のものだったはずだ。そもそも彼は一度ここを通り過ぎて寮に帰ったはずなのに、わざわざ自分を心配して迎えに戻ってきたのかと、改めて思った。
そう言えば、寮の彼の部屋に大事なコンパクトを返してもらいに行ったときも、何をされるか怯えていたにもかかわらず、別に何もされなかった。割れたコンパクトを修理するまで預からせてくれと彼が言ったのもその場しのぎの嘘ではなく、本心から出た言葉のようだった。
そのコンパクトに関して、フィーネは彼に一つ嘘をついていた。
彼は自分がコンパクトの鏡を割ってしまったと言ったが、あれはもともと割れていたのだ。――彼とは何の関係もない場所で、単にフィーネの不注意で床に落として割った。あのコンパクトをプレゼントしてくれたレオナルドには、それをずっと言い出しかねていたのだ。割ったと言えば、幻滅されると思ったから。この学園に来てからは、彼の周囲には自分よりずっと綺麗で才能も身分もある娘たちがいて、地味でなんの取り柄もない自分は、このまま彼の視界から消えていくのかもしれないと恐怖を感じていたときだったからなおさらだった。
もし仮にレオナルドにコンパクトを割ったと正直に告白したとしよう。それで彼から「フィーネは相変わらずドジだな」と返されて終わりになるのも嫌だった。あのコンパクトは、所詮は彼らが子供の頃に夜店でフィーネがねだった玩具に過ぎない。そんなものを思い出と共に大事に抱えているのは自分だけで、レオナルドにとっては、とっくになんの意味もないものになっているかもしれない。そのときこそ、自分は彼にとって単なる幼馴染に過ぎないのだと認めることになる。
――……そうだ。レオくんには、ナイアスくんに盗られちゃったって言おう。返して欲しいって言っても返してくれなかったって――。
そのときだ。フィーネの心に邪な感情が芽生えたのは。普段の心優しい彼女からは考えられないその姑息な発想は、まさに魔がさしたとしか言いようがない。
――そうすれば、レオくんならきっと私のことを心配してくれるはずだから……。
ナイアスにコンパクトを預けたままにすると彼女が決めたときも、彼女の中でそういう打算が働いていなかったと言えるだろうか。レオナルドがコンパクトを盗んだナイアスを怒れば、それは自分のために怒ってくれているということになるはずだと。――そう考えるということは、この大切な想い出の品が、既にフィーネ自身にとっても捨てたい重荷になりつつあった可能性も、ほんのわずかに有るのではないか。
取るに足らない、みすぼらしい玩具。
単なるフィーネの感傷の道具。
ナイアスはそんなものを、必ず直して彼女の手に返すと宣言した。
「ど、どうして……?」
「レオナルドに、俺と一緒にいるところを見られたくないだろ」
ナイアスは、フィーネの問いかけの意味を誤解したらしい。そう答えた。彼は自分がフィーネからもレオナルドからも嫌われていると自覚してそう言っている。確かにレオナルドはナイアスについて「顔も見たくない」と言っていたし、フィーネもそう思っていた。そう思われるだけのことを、ナイアスは彼らにしてきたのだ。入学以来、フィーネはナイアスに本気で傷付くような言葉を幾度となくかけられた。
その度にフィーネは、やはり地味で平凡な自分が無理をしてこんなところに入学するんじゃなかったと、寮のルームメイトに隠れて枕を濡らしていた。
「わかんないよ……。私には、ナイアスくんのことがわかんない」
ナイアスが豹変した理由が掴めなかったフィーネは、逃げるようにその場を去った。まだ足元が見えるうちに寮に戻ったフィーネは、男女共用のスペースのところでレオナルドに会った。
「フィーネ! こんな暗くなるまでどこに行ってたんだ?」
まさかあの木立の中のベンチで、約束もしていないのにあなたのことを待っていたとは言えない。彼が嫌いなナイアスが自分を迎えに来たとも言えない。結果としてフィーネは、自分が大好きな幼馴染の前で、曖昧な誤魔化し笑いを浮かべるしかなかった。
そしてその翌日、フィーネはナイアスが寮の門限に遅れて、寮監の生徒に叱られたという話を耳にしたのだった。
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