第7話 学園一の嫌われ者3
――どうして俺は主人公にあんな態度を取ったんだ? あんなことしたって目をつけられるだけで何のメリットも無いのに。
ナイアスの部屋に戻って制服のままベッドに倒れ込んだ彼は、猛烈な後悔と共に顔を覆った。
他のキャラたちの前では冷静に振る舞えていたはずだ。しかし主人公のレオナルドの声を耳にした瞬間から身体が言うことを聞かなくなった。レオナルドに対する嫌悪の感情で頭の中がいっぱいになり、ついつい攻撃的な態度を取ってしまった。レオナルドに挑発されたとは言え、これでは計画が台無しではないか。
「あああ……俺の馬鹿野郎」
ナイアスの身体でいるうちは波風を立てず学園生活を送る。そうすれば万が一この世界で戦争が始まってからも処刑エンドを迎えることはないだろう。そう思ったのに、自分の中にいる本来のナイアスの精神が邪魔をする。もう一度彼が「馬鹿野郎」と罵ったのはナイアスに対してだった。
「……なあ、お前だってああいう死に方をするのは嫌だろ? だったらレオナルドには逆らうんじゃない」
わかったなと口に出して言ったが、当然誰からも返事はない。あれほど凄まじかった衝動もいまは嘘のように消え去っていた。
「こんなんでやっていけるのかよ……。いや、愚痴を言ったって仕方ない。これからはとにかくレオナルドと鉢合わせるのを避けて過ごそう」
食事の時間ももっと早い時間か遅い時間にずらすべきだ。レオナルドの気配がしたらダッシュでその場を後にして、声も聞かないよう耳を塞ぐべきだろう。
「いっそ耳栓でも調達するか……?」
笑えない冗談をつぶやいたところで、寮内に時刻を告げる鐘の音が鳴った。昨日から何度か聞いているこの音は、ナイアスの部屋の窓からも見える学園内にある時計塔から響いて来るようだ。
「……講義の時間か」
気が進まないが、出席するのは決めたことだ。
彼はベッドから降り机の上に並んでいる参考書とノートに手を伸ばした。
§
この学園の講義は単位制だ。ゲームでは、主人公のどのステータスを伸ばしどういうスキルを取りたいかによってプレイヤーが学期ごとに講義を選択するシステムになっていた。キャラによって好みの講義が異なるため、どのキャラの友好度を上げたいかも講義を選ぶ際の判断要素となる。
ではこの世界におけるレオナルドはどの講義を選択しているのだろうか。もしレオナルドと教室で鉢合わせたら、朝のようにナイアスの感情が暴走する可能性は高い。
――けど、確かナイアスとは特定の講義以外では会わなかった気がするんだよな。
学内でレオナルドにしょっちゅう突っかかってくる悪役キャラのナイアスだが、どこでも現れた訳ではない。それだとプレイヤーがうんざりする。ナイアスがレオナルドに絡んでくるのはいくつかの講義に限られたはずだ。
ナイアスは意外と几帳面な性格だったらしく、寮の部屋の机に色々とメモした手帳を残していた。その中に自分が取っている講義のカレンダーもあった。これは勘だが、あれだけレオナルドのことを憎んでいるナイアスが、積極的にレオナルドと同じ講義を取っていたとは思えない。ある程度は避けてスケジュールを組んでいるのではないだろうか。
この勘が外れていてもしレオナルドを教室で見かけたら、その瞬間迷いなく引き返す。彼はそう決めて講義へと向かった。学園の敷地はやたら広く、途中何度か迷いかけたが、ナイアスの姿を見つけると一般生徒はそれとなく回避するから道を尋ねる訳にもいかない。どうにか案内の表示を頼りに教室を見つけ出した。
各教室は階段状になっていて、座席は特に定められていないようだ。彼は目立たないよう、かつレオナルドが来てもすぐ逃げられるよう、一番後ろの列に陣取った。
――よし。一限目の講義は戦史か。
この世界の戦争の歴史を聞いても理解できるかわからないが、とりあえず今日は出席が目標だ。実技でなく座学なら気配を消して座っていれば何とかなるだろう。
――それにしても、参考書に書いてある文字や、ナイアスが残したメモは普通に読めるんだよな。あまり気にしてなかったけど他のキャラと会話もできるし。どういう仕組みなんだろう。
そこは少し疑問だったが、さしずめナイアスの記憶が作用しているのだろうと考えて納得することにした。
――にしても、参考書とノートの書き込みがマジで凄いな。
戦史の参考書には、細かい字で書かれた本文の他に戦場の状況を示した図版などが載っているのだが、それらの隙間に執拗に手書きのメモが記されている。何気なくぺらぺらとページをめくってみたが、その書き込みは最終頁まで続いていた。
ノートのほうは参考書の中身をナイアスが簡略化してまとめたもののようで、むしろ参考書よりもわかりやすい。こうして読んでいてもするする頭の中に入ってくる。ナイアスがオリジナルで考案したらしい戦術のアイデアまで書いてあった。
参考書もノートも表紙やページの端がボロボロだが、ここまで使い込めばそうなって当たり前だろう。
――う~ん……。
彼は首を傾げた。これだけ真面目に勉強する人間がレオナルドにこだわった意味が、ますます分からない。
――まあ、原作のナイアスはめちゃくちゃひねくれた奴だったからな。
彼が参考書とノートから顔を上げると、ちょうど戦史の担当らしき老齢の教師が教室の前の入口から入ってきた。講義の開始時刻にもかかわらず教室内はまばらだ。きっと戦史は生徒に人気が無いのだろう。
「では今日の講義を始める……」
老齢の教師の声は小さく、最後列にいた彼は思わず身を乗り出した。教師はそんなことは構わない様子で黒板に向かい、ぶつぶつ喋りながらチョークで文字を書き始めた。
――おいおい、なんて言ってるんだ? もうちょっと大きな声でしゃべってくれよ!
自分以外の生徒はこの声の小ささが気にならないのかと思ったら、あくびを噛み殺しているのはまだいいほうで、机に突っ伏して眠りこけたり、私語をしたりしている者が大半だった。学園内で行われているどの講義もこんな感じだとは思わないが、やる気の無さが教室中に蔓延していた。
初めはどうにか教師の声を聞き取ろうとしていたものの、前のほうにいる男子二人の私語のほうが音量が大きく、授業内容を把握するどころではない。
「――え? マジで?」
「マジマジ。ヤバいと思わねえ?」
「それはマジでヤバい」
「はははは! マジかよ! ――あっすいません。気にしないで続けてください。――おい笑わせんなよ。ふふっ」
「んだよ、言わせるお前が悪いんだろ?」
一瞬振り向いた老齢の教師も、彼らの私語を止めようとはしなかった。
――……なんだよこいつら。やる気あんのか?
なんだか謎に腹が立ってきた。しかし注意して波風を立てることはない。食堂でやらかしてきたばかりなのだから、慎重にならなければ。そう思っていると、私語をしていた男子たちは互いの脇腹を肘で小突き合い始め、彼らが座っている椅子がガタガタと鳴った。
「…………」
我慢しろ、我慢しろ、我慢しろ。
あいつらが騒ごうが俺には関係ない。
大人しくこの場をやり過ごせ。
――ふうううう……――よし。
彼は深呼吸して気持ちを落ち着けた。
そして次の瞬間、机の天板を手でバンと叩いて立ち上がった。最後列にいたナイアスが急に立ち上がったのを見て、教室内の全員が固まった。
「うるさいぞ、貴様ら」
「…………」
「講義の邪魔をするなら、いますぐ教室から出て行け」
彼は階段状の教室の最後列から全体を見下ろしていた。居眠りしていた生徒たちもいまの声を聴いて目覚め、教室内はしんと静まり返っていた。
「……ふん」
と鼻を鳴らして着席した彼の心臓がバクバクと鳴り響く音は、彼だけに聞こえていた。
――おいいい! だから何をやってんだ俺は! ていうか「貴様ら」ってなんだよ「貴様ら」って! あの偉そうな言い方、あれじゃまんまナイアスじゃないか!
レオナルドと遭遇したときのようにナイアスの感情が暴走した訳ではなく、純粋に自分が我慢できなくなって注意してしまった。それにしたところで、もう少し柔らかい言い方ができなかったものだろうか。「つい」としか言いようがない。
こうなったらこの講義中は開き直ってしまおうと、彼はわざと腕を組み不機嫌な顔をして言った。
「先生、講義を続けてください」
「わ、わかりました、オルティスくん。ええと、つまりここで王国軍が用いた戦術は――」
彼が怒鳴ってから、老齢の教師の声は心なしか大きくなった。注意した男子たちがちらちらと自分を見て何か言い交わしているのは彼にも見えていた。「なんだよオルティスのやつ」とか「偉そうにしやがって」というふうに唇が動いていたように思えたのは、きっと気のせいではないだろう。
ただ波風を立てずに過ごすというのがこれほどまでに難しいのか。彼は授業が終わるまで、大きく溜め息をつきたくなるのを必死にこらえていた。
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