第5話 学園一の嫌われ者1

「ねえ君、そこにいられたら食堂に入れないんだけど……」

 食堂までやってきた彼は、入口のところから慎重に顔だけ出して様子をうかがっていた。

 ユルスト王立騎士魔法養成学園の食堂は男女共用である。寮の男子棟からも女子棟からも移動できる場所にあって、入口は何か所かある。食堂内にはテーブルが並び、中央の配膳所のカウンターで食事を注文する仕組みだ。メニューはA定食B定食という感じで何種類かあり、どの食事を選ぶかによってステータスにかかるバフが違う……というものである。キャラごとに好物や嫌いな物の設定もあった。

 ナイアスに憑依した彼が恐れていたのは、食堂内で主人公のレオナルドに遭遇することだった。さっきもメインキャラの一人に喧嘩を売られかけたが、ああいう事態を避けるためには、そもそもメインキャラに会わないようにするのが一番だ。そう考え、食堂内にいる生徒たちの様子をここから観察していた。

 朝食にしては早めの時間帯だったためか、食堂内にいる生徒はまばらだった。その中にメインキャラらしき人物は見当たらなかった。それを確認したところで、背後からさっきの声をかけられた。

「あ、悪い。すぐ退くよ」

「食堂の様子を覗いてみたいだけど、誰か探してる人でもいるの?」

「まあそんな感じかな」

「誰かと待ち合わせしてるなら話は別だけど、もうすぐ混み始めるし、できれば早く食べちゃったほうが良いよ」

「アドバイスありがとう。じゃあそうするか。……えっと、君の名前は?」

「ロドリック。そういう君は……」

 その男子生徒は、そこでようやく自分が誰と会話しているのか気付いたらしい。何か言いかけたまま口を開けた状態で固まった。

「お、オルティスくん」

「えっと、俺たちって前にも話したことあるか?」

「な、無いよ」

「そうか。じゃあ初めましてだな」

 彼が握手を求めて右手を差し出すと、ロドリックは仰天していた。学内で悪い意味で有名なナイアス・オルティスに、彼がそうだと知らずに話しかけてしまったばかりか、このような態度を取られるとは想定していなかったらしい。

 彼のほうは、ロドリックがこのような反応を示すことを予想していた。ロドリックが怯えた様子を見せてもめげず、可能な限り親しみの持てる態度で接しようと試みた。

 ロドリックはナイアスから差し出された手を握るかどうかしばらく逡巡していた。出来ればスルーしたい様子がありありと見えたが、握手を断っても後で何か言われるかもしれないと考えたらしい。やがておずおずと手を差し出した。

「よろしく、ロドリック」

 ロドリックの手を握った彼は、力強く手を振った。

 ――よしよし、今度は上手く行ったぞ。

 ロドリックという生徒がメインキャラにいた記憶はない。恐らくゲーム中ではその他大勢のモブとして表現されていた生徒の一人のはずだ。ゲームが現実化したことで、そういった部分も詳細に描かれるようになったのだろう。メインキャラでないロドリックが向こうから話しかけて来てくれたのは、色々な意味で幸いだった。

「う、うん。よろしく」

「提案なんだが、良かったら俺と一緒に朝食を食べないか?」

「ええっ⁉」

 食堂のシステムは大体わかるが、傍で実演してくれる者がいるならこれ以上ありがたいことはない。一緒に食事をすればこの世界についての情報収集も可能だろう。――そういう思惑で彼に誘われたロドリックは、流石に断りたそうにしていた。

 しかし、気弱そうなロドリックの右手はナイアスに握られたままである。さっきからナイアスが浮かべている何を考えているかわからない笑みも不気味だ。

「いまってそんなに混んでないよね……」

「ああ、そうだな」

「じゃあすぐに食べ終わればアーガイルくんたちに見られたりはしないかな……」

「ロドリック、どうした?」

「わかった。一緒に食べるから、そろそろ手を離してくれないかな」

「おっと、そうだった」

 彼はロドリックの手を離したが、どうやらまともに友好を築けそうな生徒に会えた喜びに、顔のにやけが止まらなかった。「これから仲良くしてくれると嬉しい」と言いながら食堂に足を踏み入れた彼の背後で、ロドリックは深刻そうに溜め息をついていた。


  §


「ええっと、まずカウンターでメニューを注文するんだ。すぐに出来上がってくるから、それまでカウンターの前で待つ。トレーを受け取って好きなテーブルで食事する。水はあそこの水差しから勝手にコップに汲む。――基本的にはそれくらいだよ」

「なるほど、簡単だな」

「オルティスくんだっていつも食堂を利用してるでしょ? どうしていちいち僕の説明を聞く必要があるのさ?」

「まあ細かいことはいいじゃないか。――で、食べ終わったらどうすればいい?」

「あそこにトレーを返却して」

 ロドリックが指したカウンターの端には、トレーと食器の返却口があった。なるほど簡単だなと、彼はもう一度心の中で思った。目立たないようにさっさと食べてさっさと出れば、いくらこの身体が嫌われ者の悪役ナイアスのものだとしても、トラブルが入り込む余地はないだろう。

 ――おっ、これが今朝のメニューのサンプルか? いい感じじゃないか。

 今朝はメインを厚いベーコンと卵焼き、あるいは焼き魚から選ぶことができるようだ。そこにパンとサラダとスープがつく。ちょうど良い焼き色がついたベーコンと魚を見ているだけで生唾が溢れ出てくる。そのうえ厨房のほうから漂ってくる良い匂いがたまらない。

 ――さてどっちを選ぶ? 見た目的には焼き魚が美味そうかな。あの上にかかってるソース、どんな味がするんだろう。食ってみたいな。……けどベーコンには卵焼きがつくんだろ? そっちも捨てがたいな。

「……う~ん」

「オルティスくん、まだ決まらないの?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。――良し、決めた」

 既に焼き魚の定食が乗ったトレーを受け取っていたロドリックに続き、彼はカウンター越しに注文した。厨房には白いエプロンに白帽子の、恰幅の良い髭面のシェフがいたが、彼はその背中に声をかけた。

「このベーコンと卵焼きの定食でお願いします」

「…………」

「――あの?」

 シェフから返事がないので聞こえないのかと思ったが、しばらくすると問題なく定食が出てきた。若干、乱暴にトレーを置かれた気がしたが。

「……あ、ありがとうございます」

「…………」

 シェフは彼に背を向けたまま目を合わせようともしない。

 まさかここでもナイアスは何かやらかしたのかと思ったとき、ロドリックが言った。

「オルティスくん、行こう」

 二人が座ったのは食堂の端のテーブルだ。まだ生徒の数は少なく、彼らのテーブルの周囲に座っている者はいなかった。しかしちらちらと視線を感じる。

 ――……気のせいだよな。

 と彼は己に言い聞かせ、「いただきます」と言って食事を始めた。すると正面のロドリックがフォークを持ったまま目を丸くしたが、その理由は彼にもわかった。

 ――食事の挨拶くらいで驚かれるのがナイアスってことか。

 周囲の生徒からの視線も気のせいではない。恐らくは、傲慢で嫌味なナイアスが誰かと一緒に食事をしていることが奇妙だと思われているのだろう。

 ――無理やり誘ったのは、こいつに悪かったかもしれない。

 と彼は後悔した。自分のせいでロドリックが他の生徒に目をつけられることになれば、それはあまりに申し訳ないことだ。所詮はフィクションであるゲームのキャラにそんな気持ちを抱くのは妙な話であるが。最初は色々とロドリックから情報を得るつもりだったものの、だんだんとその気持ちが失せてきた。

 しかしそう思っていた彼に、ロドリックのほうが遠慮しがちに質問してきた。

「あの、オルティスくん。どうして僕を食事に誘ったの?」

「いや、深い理由はなかったんだ。強いて言うなら、君が俺に話しかけてくれたからかな」

 ならば話しかけなければ良かったとロドリックは思ったことだろう。

「……直接話したことはなかったけど、君の噂は前から色々と聞いてるよ」

「どんな感じの?」

「アーガイルくんにたびたび勝負――っていうか喧嘩を吹っ掛けてるって話とか。僕も君とアーガイルくんが講義中に決闘しているとこを見たことがあるし」

「君はレオナルドの友人か?」

「まさか、僕なんかがアーガイルくんの友達だなんて。でも彼は本当に凄いよね」

 そこからロドリックは、レオナルドに関するいくつかのエピソードを披露した。本来なら入学が認められないはずだったところを学園長に才能を見込まれて特別入学したことに始まって、平民出身にもかかわらず貴族生徒をしのぐ抜群の剣の技量と統率力を発揮し、どんどんと頭角を現していったことを。

 それだけではない。学園に在籍している王女を誘拐するため忍び込んだ怪しい一団を撃退するなど、既に正騎士なみの功績を上げていることを。――確かにゲーム中にそんなイベントがあったなと思いつつ、彼はロドリックが熱っぽく語るのを聞いていた。

「…………」

「……あっ、オルティスくんの前で話すことじゃなかったよね」

「どうして? 君がレオナルドを褒めたら、俺が怒るとでも?」

「そうなんじゃないの?」

「…………」

「どうしてオルティスくんは、そこまでアーガイルくんのことが嫌いなの?」

「それは俺が聞きたいくらいさ」

「え?」

「いや。……本当にどうしてなんだろうな?」

 と彼は首を傾げた。原作のナイアスは自分が貴族であることにプライドを持つキャラだった。そのプライドが強すぎるせいで平民出身の生徒を見下していた。ナイアスがレオナルドに突っかかった最初のきっかけは単純に言えばそういうことになるが、それが最終的にレオナルドとフィーネの故郷の村を焼くほどの憎しみに育つとは。自分は誰かに対してそれほど強い憎しみを抱いたことがないから、ナイアスの気持ちを想像もできなかった。

 そんなふうに誰かを憎まず、ごく普通に生きれば良いのにと。

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