第4話 ナイアス・オルティスとしての目覚め3
主人公レオナルドを始めとするメインキャラたちが在籍する学園の名称は、正式にはユルスト王立騎士魔法養成学園という。騎士の養成校をうたってはいるものの生徒たちの卒業後の進路は様々で、宮廷魔道士や聖職者、官僚、商人になったりする者もいる。そう言えばそういう設定だったなと、寮内を歩き回っているうちにだんだんと思い出してきた。寮の建物は一つだが、男子がいるエリアと女子のエリアは渡り廊下のような通路で隔てられており、基本的に行き来は禁じられている。そういうことを考えると、昨日フィーネがナイアスの部屋を訪れたのは、彼女にとってはリスクのあることだったのだ。ナイアスはそうと知りながら、フィーネを困らせて楽しもうとしていたのかもしれない。
――つくづく最低な野郎だな。
学園に在籍する生徒たちは出身地や身分にかかわらず平等。それは表向きの話で、平民出身のフィーネは貴族のナイアスより立場が下だ。そしてそもそもフィーネはあまり気の強い性格ではない。レオナルドがいないところでは、ナイアス以外の貴族生徒にいびられて彼女が嫌な思いをするというイベントもあったはずである。そういう娘の大事なものを奪ってからかいの対象にするナイアスの気持ちが、彼にはどうにも理解できなかった。
昨日はフィーネが尋ねてきたあと部屋から出ずに過ごし、一晩ベッドで眠ってみたが、依然として元には戻れていない。しかしほぼ丸一日が経過して、混乱していた思考もようやく落ち着いて来た。
――元に戻る方法はおいおい探すとして、それまであまりメインキャラたちのヘイトを買わないように振る舞おう。特にレオナルドには気をつけよう。
それが、彼の採用したこれからの行動の指針だ。
すべての人から恨みを買って処刑されたナイアスも、現時点では一学生に過ぎない。少なくとも学園にいるあいだは殺されたりなんだのの物騒な話とは無縁だろう。だから学園生活を真面目に過ごし、人から恨みを買わないように気を付けていさえすれば、斧で首を落とされるあの最期を迎えることだけは最悪避けられるはずだ。むやみやたらと怯える必要はない。――そこまで考えを整理して、ようやく部屋から出る気になった。
あと、ずっと部屋の中でやり過ごそうにも、腹が減り過ぎてどうしようもなかったという事情もある。
――確かこっちのほうに食堂があるはずだよな。
一日何も食べなかったせいで、既に空腹は限界に達していた。ゲーム通りなら、食事は朝と昼と夜の決まった時間に食堂で摂れるはずだ。
ちなみにゲーム内では主人公レオナルド視点で話が進み、講義が無い時間はかなり自由な行動が可能だった。午前と午後のスケジュールの後に放課後の自由時間があって、夜になると寮内で活動することになる。そうやってレオナルドのステータスを育てつつ、メインキャラたちとの交流を深めていくのが学園パートの基本的な流れだ。
「それにしても、大きな建物だな」
寮の廊下を歩きながら、彼はそう言った。
ゲーム内ではもっと小さかった気がするが、あれは容量が限られたゲームゆえの簡略化した表現だったのだろうか。数階建ての建物の廊下脇には、生徒たちの部屋のドアがいくつも並んでいる。フロアごとにトイレが設置されているのはゲームの通りだとして、ベッドシーツや制服を洗濯してもらうための洗濯室があったり、細かいところでゲームをプレイしたときの記憶との齟齬が見られる。
窓の外に見える木々は緑の葉を茂らせている。ナイアスの部屋にあったスケジュール帳によれば、いまは一年目の後期に入ったところらしい。ゲーム的にはようやく序盤が終わったところだ。学園の在籍期間は三年。そのうち最終学年は、王国と帝国の戦争が始まり色々と台無しになる。そのあいだをどう過ごすかが、ナイアスが生き残ることができるかどうかの鍵だろう。
――おっ?
階段を降り、一階のトイレ前に差し掛かったところで、彼は廊下の向こうから歩いて来る人の姿を見た。その男子は彼が遭遇を恐れているレオナルドではなかったが、確かメインキャラの一人だった。
制服を着崩したその男子は、ナイアスの姿を認識するなり、眉間に深い皺を寄せて舌打ちした。
「チッ、お前か……」
「や、やあ、おはよう」
「は? 何がおはようだ。白々しいにもほどがあるぜ」
――挨拶だけでこの反応かよ。
できるだけフレンドリーに挨拶したつもりだったが、その男子は余計に忌々しそうな顔になった。ここまで取り付く島もないとは、主人公レオナルドだけでなく、ナイアスはどれだけのキャラからどれほどのヘイトを買っているというのだろう。
「相変わらず嫌味なツラしやがって。何企んでやがる?」
「いや何も企んでなんか――」
「いいぜ? 喧嘩がお望みならここで相手してやるよ」
「そんなこと言ってない」
目の前にいるのは学園内でもいわゆる不良扱いされているキャラだが、明らかにナイアスのことを「敵」と認識している。拳をパキパキと鳴らして、いますぐにでもファイティングポーズをとってきそうな雰囲気だ。
――さしずめ、初めから好感度マイナス100って感じだな。
ここは辛抱が肝心である。ナイアスがこれまでの己の非を認めて改心したことをアピールすれば、争いは避けられるはずだ。
彼が両手を上げて降参のポーズをとると、シャツの胸元の開いてネクタイをゆるめたヤンキー生徒は、不意を突かれた顔になった。
「……んだよ、その態度は」
「降参ってことだよ。頼むから勘弁してほしい」
「は? どうしたお前、なんか妙なもんでも食ったのか? それともアタマでも打ったか。そういや昨日はどこにもツラ見なかったよな」
「そういう訳じゃなくて、単にいままでのことを反省して、これからはみんなに好かれるように努力したいって思ったんだ。これまで俺は嫌な奴だったと思うけど、いつまでもそんなんじゃ駄目だってね」
彼は爽やかにそう言ったつもりだったが、相手からは、ナイアスが陰険な目つきでにやりと笑ったようにしか見えなかったらしい。
「……気味わりぃな。やっぱりなんか企んでるだろ」
「企んでない! まあ、急にそう言われても信じられないのはわかる。俺が本気だってことは、これから行動で証明するから見ててくれ」
彼はそう言って、己の胸を右手の親指で指し示した。ヤンキー生徒は「気味わりぃ」と、微塵も疑いを捨てていない様子で繰り返した。――だが、この場で彼に喧嘩をふっかける気持ちは失ったようだ。
ズボンのポケットに手を入れたヤンキー生徒は肩を怒らせて歩き、彼とすれ違った。そのとき身体がぶつかりそうになって、彼は廊下の端に避けた。
――一応、なんとかやりすごせたか?
トイレ前でヤンキー生徒の後ろ姿を見送ってから、彼はほっと息をついた。
あの男子生徒は、このゲームの舞台である剣と魔法の世界にあって、拳での近接戦闘を主軸とする「モンク」職への適性が高いキャラである。それと素手で殴り合って勝ち目など無いし、誰からもヘイトを買わず、波風を立てずに過ごすという方針を初日からおじゃんにする訳には行かない。
――それにしても、流石は嫌われ者のナイアスだ。
レオナルドが学生時代に出会うキャラの大半が気の良い性格で、敵対する者がいてもそれはそのキャラなりの譲れない信念を持っているからなのに対し、ナイアスはとことん私欲のために行動する。そんなナイアスがプレイヤーからもキャラクターからも徹底的に嫌われるのは至極当然の成り行きだった。
――他のキャラからもこういう扱いだとしたら……ちょっと気が滅入るな。
これから向かおうとしていた食堂には、きっと他にも多くの生徒がいることだろう。部屋に引き返すべきかと思ったとき、彼の腹の虫が大きな声を立てた。
「……まあなるようになるさ。取りあえず腹ごしらえだ」
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