第3話 ナイアス・オルティスとしての目覚め2
その少女は、もう一度ノックするかどうか迷っていたようだが、そのタイミングでドアが余りにも勢いよく開かれたことにびっくりしたらしい。彼女は目を大きく見開いて彼を見つめていた。彼も、少女のこぼれ落ちそうなほど大きな瞳の輝きに驚いて固まっていた。
「君は……?」
先に口を開いたのは彼のほうだった。
すると少女は、暗い表情になって彼の名前を呼んだ。
「ナ、ナイアスくん」
やっぱり俺はナイアスなのか。呼ばれて思ったのはそのことだ。目が覚めたらゲームの悪役キャラになっていたなどと半信半疑だったが、自分以外の人間からその名前を呼ばれると、どうも現実らしいという考えのほうが勝ってきた。ヤケクソ気味に、「ああそうだよ、ナイアスだよ」と言ってから少女に尋ねた。
「ええっと、君は誰だっけ?」
「……フィーネ・モンペルです」
「――っ⁉」
「ナイアスくん?」
少女が名乗った途端、彼は激しい頭痛に襲われた。いくつかの映像がフラッシュバックしたあとに、彼は言った。
「そ、そうだったな。君はフィーネさんだ」
彼のこめかみには脂汗が流れていた。
彼がこれほどまでに動揺するのは理由があった。
フィーネ・モンペルは、彼がプレイしたゲームのメインキャラだ。主人公レオナルド・アーガイルと同じノルン村出身の幼馴染で、主人公を追いかける形で学園に入学した設定のキャラである。――つまりフィーネこそ、夢の中のレオナルドがナイアスに「お前が殺した」と言っていた幼馴染ヒロインという訳だ。
フィーネは作中で色々と不遇だった。主人公の幼馴染という最もメインヒロインに適した属性を持ちながら作中キャラのほとんどに用意されている個別のエンディングが用意されていないのが、その不遇の最たるものだ。しかし個別エンドが無いのもある意味仕方ない。なぜならば、彼女はシナリオ途上で必ずナイアスに殺されるのだから。エンディング時点で絶対に生存していないという点では、フィーネもナイアスと同じなのだ。
彼はあくまでナイアスの身体に乗り移っているだけで、実際にフィーネを手に掛けた訳ではない。しかし自分が「殺す予定」の少女が目の前に立っているという現実は、相当に動揺を誘うものだった。
――落ち着け、落ち着け。別に俺が彼女を殺した訳じゃない。殺したのはあくまでゲームキャラのナイアスだ。そう思ってフィーネを見ると、彼女は眉をひそめて彼の体調を心配する表情を浮かべていた。
「ごめん、大丈夫だ」
改めて眺めたフィーネの容姿は、ゲームで見た通りだった。
普通に可愛らしい親しみのある顔立ちなのだが、悪く言えば没個性だ。髪色も地味で、あまり「ヒロイン」という感じではない。他のヒロイン候補たちのほうがプレイヤーから人気があったというのもうなずける。
「そうか、君が……」
そこでふと思ったのは、どうしてフィーネがナイアスの寮の部屋を訪ねたのかということだ。ゲーム内では男子寮と女子寮は建物がわかれており、簡単に行き来できたりはしなかったはずである。
「どうして君は俺の部屋に?」
「どうしてって……私を呼び出したのはナイアスくんのほうだよ?」
「俺が? どんな理由で?」
「……やっぱり、からかってるんだね」
「ち、違う。本当に知らないんだ。ていうか忘れたんだ」
彼は慌てた。それなりにやり込んだ記憶はあるが、ゲーム内のイベントを隅々まで覚えている訳ではない。――しかしこのフィーネの様子からして、ナイアスが彼女を嫌がらせめいた理由で呼び出したのは確実だ。
ナイアスはゲーム内で散々やらかした挙句に処刑される。そのやらかしはゲーム後半の戦争パートに集中していたが、前半の学園パートでも性格の悪さの片鱗は随所に出ていた。特にナイアスの嫌がらせの対象となったのは、主人公のレオナルドと幼馴染のフィーネだった。ナイアスは貴族で、レオナルドとフィーネが平民出身だという理由による。
しかし原作のナイアスのように、主人公の不興を買って悲惨な最期を迎えるのはまっぴらごめんだった。
「せ、せめて何かヒントをくれないか? そしたらきっと思い出すから」
「……コンパクト」
「え?」
「……ナイアスくんが、私のコンパクトを拾ったって」
「――‼ わかったぞ!」
彼が猛然と部屋に引き返し家具を物色始めたのを見て、フィーネは目を丸くしていた。
「ええっと、ここか? それともこのクローゼットの中とか――」
タンスやクローゼットの中身を外に放り出しながら、彼はあるアイテムを探していた。床にナイアスの所有物らしき服やその他の品が散乱していく。そして最終的に、勉強机の引き出しの中にそれを見つけたのだった。
「――これだ‼」
それを取り出しながら彼は大声で叫んだ。そして急いでフィーネのところに戻った。
「君が言ってるのってこのコンパクトのことか⁉」
「う、うん」
「ああよかった。間違ってなかった!」
彼の右手にあるのは、丸い開閉式のコンパクトである。特に高価な品ではなく、見るからに安物だった。しかしこれは、原作中でレオナルドとフィーネの絆を象徴する重要アイテムなのだ。
フィーネは故郷のノルン村にいた頃の祭りの出店で、これをレオナルドに買ってもらった。一途にレオナルドを想い続けてきたフィーネにとって、このコンパクトは一番の宝物だった。ストーリー上でも、フィーネがこのコンパクトを大切にしている描写はしばしば登場する。そしてナイアスがフィーネからこれを取り上げ、レオナルドによって取り返されるというイベントも確かあったはずだった。
――危ない。こんなものをそのままヤバかった。
直接ではないにしろ、このコンパクトは原作のナイアスの破滅原因にかかわっていると言えなくもない。これを持っているだけで主人公に睨まれる可能性があるのだ。つまりこれは彼にとって呪いの品に等しい。
「――そう、このあいだたまたま拾ったんだよ。確かこれってフィーネさんが大事にしてたやつだよな~って。それで、君に返そうと思って呼び出したんだ」
彼はそう言い繕った。フィーネは疑いの目を向けていたが、やがて納得したようだ。彼の右手からフィーネの右手にコンパクトが受け渡された。
――ふう、やれやれ。
こんな物騒な物を持っていたんじゃ命がいくつあっても足りない。しかしどうやら助かった。原作のナイアスは何だかんだ彼女にコンパクトを返さなかった記憶があるが、俺はそんな陰湿な真似はしない。――そう彼は思った。
だが、コンパクトを開いたフィーネの顔が曇ると、文字通り雲行きが怪しくなった。
「フィーネさん、どうかした? ――あっ」
彼が上から覗き込むと、コンパクトの鏡部分が割れているのが見えた。一体どのような経緯で割れたのかわからないが、これもナイアスの仕業に違いない。
「ご、ごめんフィーネさん!」
「……え?」
「それはきっと俺が割ったんだ」
コンパクトを返却してこの件は終わりだと思ったが、困ったことになった。二人にとって大事なコンパクトを壊したということが主人公に知れたら、結局はナイアスが悪いということになるかもしれない。この場をどうしたら切り抜けられるか、彼は必死に考えた。
――丸ごと弁償……ってそれじゃ駄目だよな。
このコンパクトは、原作中のフィーネの死後はレオナルドが所持し、捨てられないアイテムとして永久に道具欄に残り続ける。買い換えて済む類の品ではない。だとしたら……。
「俺が修理して改めて返すよ。それじゃ駄目か?」
それが最も誠意ある詫び方であると彼は思った。それならフィーネも納得し、ナイアスを許してくれるのではないだろうか。
「ナイアスくんが? どうやって?」
「わ、わからないけど」
鏡にはヒビが入っており、とても素人が自力で修理できるものではない。
「鏡を作る職人とかに頼めばなんとかならないかな? 直せる人を探してみるよ」
「…………」
「代わりにお願いがあるんだ。このことをレオナルドには言わないでくれ」
何となく姑息だが仕方ない。主人公に睨まれる可能性があるというのは、ナイアスになってしまった彼にとっては大問題だった。
フィーネが無言でいるあいだ、彼はじりじりと落ち着かない気分を味わった。
「……じゃあ、頼んでもいい?」
「本当に? ああ良かった。――すぐに直して返すから! 約束するよ!」
そう言ったものの、元に戻る方法さえ見つかればそんな約束はどうでもいい。とまでは言わずとも、守れなくても仕方ないだろう。頭の奥でちらりとそう考えながら、彼はフィーネから再び受け取ったコンパクトを右手に握り締めた。
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