第2話 ナイアス・オルティスとしての目覚め1
――何だったんだ、あの夢は。
目覚めた彼の頭に残っていたのは、妙に鮮明な夢の記憶だった。夢なのにやたらと生々しく、そこであったことを細部まで詳しく思い出せる。こんなことは初めてだった。
――死刑になる夢なんて縁起でもない。
目を開いてもすぐに起き上がるつもりになれなかったのは、夢の中で自分が大声で喚いていた疲れが身体に残っていたからだった。夢の中でナイアス・オルティスという名前の青年となっていた彼は、みっともなく命乞いをした末に斧で首をはねられたのだ。仰向けに寝たまま首筋を撫でると、首の裏に冷たい刃が当たった感触まで残っているような気がした。
「……うわ、汗びっしょりじゃないか。道理で気持ち悪いはずだよ。――ふう」
やれやれと上半身を起こしたが、まだ意識がぼんやりとしている。それでも、夢の中に登場したナイアス・オルティスとアーガイルという二人の青年の名前がどういう意味を持つものだったか、もう少し考えれば思い出せそうな気がした。
「あ、そうだ。ナイアスってあいつじゃないか」
彼はぽんと手を打った。ナイアス・オルティスというのは、彼がかつてプレイしたことのあるゲームの中の登場人物だ。プレイヤーのヘイトを集めるための典型的な悪役で、主人公に事あるごとに突っかかっては最終的に無残な最期を迎える。その処刑シーンがやたらと印象に残るものだったために、こうして夢に出てきたのだろう。疑問が解決したことで、「なんだそうだったのか」と彼は笑った。
――懐かしいな。あれは……いつ頃やったゲームだっけ?
そのゲームはいわゆるシミュレーションRPGで、ファンタジー学園戦記モノとでも呼べばいいだろうか。育成をメインとする学園パートと、後半の戦争パートにわかれていた。主人公のレオナルド・アーガイルを操作して仲間たちと交流する学園パートがほのぼのとしたファンタジー風味なのに、後半はやけに殺伐とした空気になるのが特徴のシナリオだった。その中でナイアス・オルティスは主人公のレオナルドにやたらと楯突き、戦争が始まると、自分たちの出身地である王国から敵対する帝国側に寝返るのだ。
しかも戦時中のナイアスの外道っぷりは凄まじく、主人公レオナルドと幼馴染の村を焼き、場合によっては幼馴染ヒロインの命を自分の手で奪ってしまう。夢の中の赤毛の青年がレオナルドで、処刑されたのがナイアスだ。レオナルドがナイアスに「彼女を殺した」と言っていたのは、その幼馴染ヒロインのことに違いない。
――ははは、自分で殺しておいて「誰のことだ?」はないよなあ。そりゃ主人公だって怒るに決まってるよ。
ナイアスは徹底的にヘイトを買って死ぬのが役目だ。だから仕方ないとも言えるが、死を前にしてのあの空気の読めなさは凄い。きっとレオナルドを始め、ナイアス以外のあの場にいた全員が胸糞の悪さを感じていたことだろう。――だがそれはあくまでもゲームの話だ。自分には関係ないと彼はベッドを降りた。寝汗でぐっしょり湿った寝間着を早く着替えてしまいたかった。
「え~っと、タンスはどこだ? ……あれ、おかしいな。俺の部屋ってこんなんだっけ? ……え、マジでどこだここ?」
ようやく夢が記憶から遠ざかっていく中で、彼は自分がいる部屋を見回した。最初はホテルかどこかに泊まっていたのかと思ったが違う。みすぼらしいベッドが二つある部屋は、年季の入った寮のように見えた。そこにある家具は最低限でどれも古めかしいデザインだ。――きょろきょろと頭と目を動かしていた彼の目に、あるものが止まった。
「――剣?」
そう、それは鞘に収まった一振りの剣だった。
「なんで剣なんかがここに?」
ゲームじゃあるまいし、と彼はつぶやき、その剣を手に取った。鞘を左手に持って右手で柄を握り、力を込めて引き抜いてみた。
「…………うん。どう見ても真剣だな」
金属の刃が鋭い光を放つ長剣は、何かで試してみるまでもなく本物だとわかった。右手にずしりと重みを感じる。まだ夢の続きにいるとも思えない。
彼がしげしげと刃を見つめていると、そこに見慣れぬ顔が映っていることに気付いた。
「……?」
煌めく刃に映っているのは、やけに目つきの悪い青年――いや少年か。どちらで呼んでも当てはまりそうな年頃の男子である。一見して目つきが悪いように見えるが、本当に悪い。性格の悪さがにじみ出ているような顔だなと彼は思った。俺なら絶対にこいつと友達になりたくない。頼まれたとしても願い下げだ。
それにしてもこの顔は――。
「こいつ、ナイアスにそっくりだな。……ていうかナイアスそのものじゃないか! ど、どういうことだ⁉ 俺がナイアスになったってことか⁉」
紛れもない。この顔には確かに見覚えがあった。そして彼が喋るのに連動して刃に映るナイアスも口を動かす。自分がゲームの中の悪役キャラになってしまったと彼が悟るのに、さして時間はかからなかった。
「ど、どうして俺が⁉」
彼は己の記憶をたどろうと試みたが、昨夜眠る前の記憶が、まるで頭に濃い霧がかかったようにはっきりとしない。自分の名前すら思い出せない。わかるのは、自分がゲームの中のナイアス・オルティスの身体に憑依しているという一点だけだった。この部屋に鏡はなく、剣の刃に映してみる以外に己の顔を見る方法は無かったが、何度試してみてもナイアスの顔は彼の意思にあわせて動いていた。
「マジかよ……。いや、いやいやいや、落ち着け。そんなはずない。有り得ないだろ」
いきなりゲームの登場人物になってしまうことなど考えられない。そう言いつつ、当てもなく周囲を見回してみた。
壁に立てかけられていた剣以外にこの部屋で目立つのは、壁際に設置された二台の質素なベッドだ。しかしいま彼が寝ていたほうしか使用された痕跡はなかった。次にクローゼットが目に入り、彼はその扉を開けた。中にあったのは、どこか見覚えのあるデザインの制服だった。
「おいおい……。これって、あのゲームで主人公が通ってた学園の制服だよな……? え、マジか……。じゃあ俺は本当にナイアスに? それとも、まだ夢を見てんのか?」
試しに自分の頬をつねってみたが、しっかりと痛かった。
「ど、どうしよう。どうしたらもとに戻れるんだ?」
彼は焦り始めた。
例えゲームキャラにしても、ナイアスだけは勘弁してくれと思った。
あの夢の中でも言われていたが、ナイアス・オルティスというキャラは、ストーリー中で散々に非道な真似を働いた挙句に最期は処刑されるという運命を背負っている。作中人物からもプレイヤーからも最も嫌われていたキャラだ。
――なんで俺が? ていうかゲームのキャラになるなら、せめて主人公のレオナルドにしてくれ……。そう考えながら両手で顔を覆うと、鈍い頭痛と共に、あの生々しい処刑シーンがまぶたの裏に浮かんだ。
「――っ!」
顔から手を離し、頭を振ってあの光景を打ち消そうとするも、あそこで味わった「死」の感覚と、群衆から向けられた憎悪の視線のイメージがなかなか消えなかった。
彼は唇を噛んだ。
自分がこうなってしまった理由については「わからない」と言いたいところだが、確かに夢の中で、処刑されるナイアスが憐れだと思ってしまった記憶がある。こいつにチャンスをくれてやってくれと自分が言うと、それならやってみろと誰かが答えた気がする。
――でも、まさかそれくらいで?
そう思ったが、他にどんな解釈ができるだろう。いまこうして自分がナイアスの身体の中にいるのは紛れもない現実なのだ。
「と、とりあえず狼狽えてても仕方ない。ええっと……」
何をして良いか思い浮かばなかった彼は、「まずは着替えよう」と口にした。
寝汗でびっしょりの寝間着を脱いでクローゼットの中の制服に袖を通すと、ますますゲームの中で見た記憶のある学生時代のナイアスが出来上がった。それから彼はベッドに腰かけ、心を落ち着けて改めて状況を整理しようとした。
まず、彼の記憶が確かであれば、ここはゲームの中に出てきた学生寮だ。主人公のレオナルドやヒロインたちが在籍していた学園は、王国内外の優秀な子女が集う全寮制の騎士・魔道士・官僚その他の養成校という設定だったはずだ。主人公レオナルドは講義を受けながら級友キャラたちと交流し、親睦を深めていく。時にはヒロイン候補のキャラとの恋愛関係を築いたりもする。だが卒業を目前にして王国と帝国の戦争が勃発し、そこからゲームは学園編から戦争編に突入する。レオナルドは、かつて机を並べた友と戦いながらも、王国軍内で頭角を現し戦争を終結に導いていく、という感じの流れだった。
――確か、どのヒロインを選ぶかによって主人公の運命が変わるんだったよな。
ルートは何パターンか用意されているが、重要なのはヒロインの選択だ。それによって主人公の立ち位置とエンディングの内容がだいぶ変わる。王国の王女をヒロインに選べば、最終的には国王に即位したりもする。
そんな主人公とは対照的に、ナイアスはシナリオの途中で必ず無残な死を迎えるのだ。
――この姿のままでいたら……俺もあんなふうに死ぬってことか?
それは絶対に嫌だ。
あの夢の中でナイアスが感じていた恐怖と孤独は、トラウマとなるほど彼にも伝わっていた。百歩譲ってゲームキャラになったのが本当だとして、自分は決してあんなふうな末路を味わいたくない。
彼が膝の上で拳を固めてそう思っていると、不意に部屋のドアがノックされた。
「……っ」
どうかすると聞き逃してしまいそうな控え目な音だったが、確かに聞こえた。このタイミングでナイアスの部屋を訪ねてくるのは、いったい誰だろうか。
ナイアスとして応対するべきなのだろうか。だが、こんなに頭が混乱している状況で上手く応対できるだろうか。
迷っていると、再びノックの音が響いた。
彼はベッドから立ち上がり、ドアに近付いた。案外このドアを開けば、全ては幻のように霧散して本当の現実に戻るという可能性もある。できればそうであってほしい。そう念じながら、ひとつ息を吸った。
「――っ!」
なるようになれ。彼がドアノブをひねると、ドアの向こうには一人の少女が立っていた。
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