悪役貴族ナイアス・オルティスの改心

八木周平

第1話 プロローグ

 ユルスト王国のとある町の処刑場で、何日も雨が降っていないせいで乾燥した地面を、太陽の日差しがギラギラと照りつけていた。

 その処刑場を囲む柵の周囲には槍を手にした兵士たちが配置され、群衆が刑場内に侵入するのを防いでいた。これだけの数の見学が訪れているにもかかわらず、今日ここで処刑される予定の罪人は一人だけだった。

 その人物は相当の罪を犯したに違いない。見学の人々の目には憎しみが宿っており、早く始めろと怒号を飛ばして兵士に制止される者もいた。

 処刑場の中央にある台の上には、刑の執行を見届ける監督官と、斧を手にした処刑人と、立ち合いの司祭が立っている。黒いローブの司祭は聖典を胸に抱えており、処刑人の斧は嫌に生々しく輝いていた。

「これより、帝国騎士ナイアス・オルティスの公開処刑を開始する!」

 どこからか声が響き、処刑場に隣接する建物の扉が開かれた。そしてそこから一人の青年が引きずり出されてきた。群衆の目はその一点に集中した。

「――くそっ、やめろ! 貴様らのような奴らが、汚い手で僕に触るな!」

 両手を後ろで縛られた青年が、己の肩を掴む兵士たちを罵っている。何日も身体を洗っていないらしく青年の髪はボサボサで全体的に薄汚れていたが、良く見るとその鎧は立派なものだ。そこに刻まれているグリフォンの紋章は、青年が帝国の騎士であることを示している。

「やめろと言ってるだろうが!」

 青年はどうにか抗おうとしていた。しかし彼がどんなに身体をよじろうとも、兵士たちの手から逃れようともがいても、処刑台までの距離はだんだんと短くなっていった。

 王国と帝国は二年前から戦争を続けている。青年が帝国の騎士なのであれば、捕虜が処刑されることがあっても不思議ではない。だがそれにしても、今日の群衆の雰囲気は異常だった。これだけの数の人間がいるならば、青年に同情を抱く者が一人くらいはいても良いはずなのに、男も女も全ての者が彼に恨みの目を向けているのだ。

 刑が始まるまではざわついていた人々も静まり返り、ただ青年が抗う声だけが処刑場に響いていた。

「や、やめろ!」

 埃だらけのブーツで青年が踏ん張ろうにもどうにもならない。単に彼が引きずられたあと、処刑場の地面に二本の轍ができるだけだ。

 青年の声は徐々に悲壮感を帯びていった。

「た、助けてくれ! 頼む!」

 しかし誰も、一切手を差し伸べてはくれない。

「どうすればいい⁉ 金か⁉ 金が欲しいならくれてやるぞ⁉ 貴様ら平民が見たこともない額の金だ!」

 青年は処刑場を囲む柵の向こうに救いを求めた。しかし彼と目が合った一人の男は、いい気味だと彼のことを嗤っていた。

「う……っ」

 お前がしたことを考えれば、これくらいの罰があって当然なのだ。いや、本当なら首を斬る程度で済むはずがない。お前は地獄の業火に永久に焼かれてしかるべきだ。せめて少しでも俺たちの留飲を下げるために、そのまま無様に引きずられていけ。

「そ、そんな……。い、嫌だ! 死にたくない! 僕はまだ死にたくないんだ! 誰か!」

 青年は別の者に視線を向けたが、どの瞳も同じようなことを彼に言っていた。

 絶望した青年は不意に大人しくなり、じたばたするのをやめて処刑台に引き上げられた。手を縛られたまま跪かされた彼の前に、聖典を抱えた司祭が立った。司祭は短い祈りを唱えたが、その声は青年の耳に入っていないようだった。司祭が祈りを唱えているあいだ、青年は首を垂れたままぶつぶつと何かをつぶやいていた。

「ナイアス・オルティス」

 処刑台から降り、次に監督官が青年の前に立った。

 巻物上の書簡を拡げた監督官は、まず青年の名前を呼び、それから彼の処刑理由である罪状を列挙していった。

「貴様は王国の生まれであるにもかかわらず、祖国を裏切り、帝国に機密情報を売り渡した。そしてその功績によって帝国貴族に取り立てられた。それだけではない。ノルンの村の虐殺に加担し、その後も非道の限りを尽くした。……よって国王代理たる王女様の命で貴様を斬首し、貴様のために尊い命を絶たれた人々の無念をわずかにでも晴らす」

「…………」

「最期に何か言い残すことがあるか?」

「…………」

「なんだ? 言いたいことがあるならはっきりと言え」

「な、何かの間違いだ……。だって、そんなことくらいで、どうして僕が死ななきゃならないんだ? 少しばかり平民の奴らを殺しただけじゃないか。そんな些細なことで、なんで僕が? こんな理不尽なことが有っていいはずがない……」

「貴様……っ」

 青年のつぶやきを聞いた厳格な監督官の表情が怒りに歪んだ。監督官は自分自身の剣で青年の首を落としてやりたそうにしていたが、法の手続きを優先して怒りを内側にしまい込んだ。そして――。

「ナイアス・オルティス」

「…………」

「貴様の処刑に、どうしても立ち合いたいと希望されているお方がいる」

「……?」

 顔を上げた青年は、監督官が顎をしゃくって示した方向を見た。青年はしばらくぼんやりしていたが、やがてその目が見開かれた。

「あ……お、お前は……」

 処刑場の端から処刑台に近付いて来るのは、彼と同年代の赤毛の青年だった。赤毛の青年は、これから処刑される彼とは対照的に、清潔感のある王国騎士の装束姿だった。赤毛の青年は処刑される彼とは違った意味で有名らしく、兵士たちは彼に敬意を示すかのように直立し、群衆たちも目を輝かせて囁き合っていた。

 ただ一人、処刑直前の彼だけが、赤毛の青年を睨みつけた。

「アーガイルゥ……ッ!」

 誰かをそれほど憎むことができるのかと思わせるような、顔中に皺の寄った酷い顔で、彼は赤毛の青年の名を呼んだ。はたから見ただけではわからないが、二人は同じ学園で多くの時を過ごした級友とも言える関係のはずなのに、どうしてここまで。

「……久しぶりだな、ナイアス」

「気安く僕を呼ぶなアーガイル! 何をしに来た!」

「決まってるだろう。お前の最期を見届けに来たんだ」

「最期だと?」

 彼はハッと気付いたようにつぶやいた。

 そして同時に、どこか悪夢を見ているようだったいまの状況が、紛れもない現実として心に押し寄せてきたようだった。

 赤毛の青年は、ガタガタと震えだした彼のことを無表情に見つめていた。

「た、助けてくれアーガイル。お前ならこの僕を助けられるだろう?」

「…………」

「死にたくないんだ、僕は」

「…………」

「帝国側についたのだって、あいつらに騙されたからなんだ。本当は王国を裏切るつもりなんてなかったんだ。なあ、信じてくれアーガイル!」

「お前がそんなふうに俺に助けを求めるのは初めてだよな、ナイアス」

 赤毛の青年はしみじみと懐かしそうに言った。

「学園にいたときのお前は、事あるごとに俺に突っかかってきたのにな。……なあ、あれはどうしてだったんだ? いまでも理由がわからないんだ」

「何をごちゃごちゃ下らないことを言ってるんだ! そんなことを言ってる場合か⁉ 僕は助けてくれって言ってるんだよ! 聞こえないのか⁉ この程度の言葉の意味も理解できないのか⁉」

「無理だ」

「…………無理? ……あ、アーガイル?」

「だって、俺もお前に死んでほしいと思っているんだから。……だから悲しいけど、お前のことは助けられない」

「アーガイル‼ アーガイル‼」

 彼は赤毛の青年に縋りつこうとしていたが、縛られている腕では不可能だった。そんな彼の姿は、地面で蠢く芋虫のようにも見えた。彼は悲痛な声で、「どうして僕を見捨てるんだ」と言った。

「……どうしてだって? まだ、わからないんだな」

「頼むアーガイル! 僕を死なせないでくれ! 僕はまだ死にたくないんだよ!」

「……お前はそうやって、いつも自分のことばかりだ。彼女を殺したことも、お前は全く後悔していないんだな」

「彼女?」

「…………」

「彼女って……誰のことだ?」

「…………」

「アーガイル? どこに行くんだ? 行かないでくれよ……。このままじゃ、僕が死んじゃうじゃないか……。なあ、おい! アーガイル‼」

 赤毛の青年が背を向けて去っていく。その背中に、彼は呪いの言葉を投げかけた。その後ろで監督官が頷き、処刑人が斧を大きく振りかぶっていた。

 ――あいつはあのまま、自分がみんなに憎まれている理由も知らないまま死ぬのだろうか? この光景を見ていた俺はそう思った。せめて一度くらい、あいつにチャンスを与えてやってもいいんじゃないか? 俺はやつが何をしたのか知らないが、罪を自覚して償う機会を与えてやってもいいじゃないかと。

 何も知らないなら、余計な口を挟むな。そう言われた気がした。

 でも――。

「アーガイル‼」

 でもこのままじゃ誰も救われない。そんなのは嫌だ。

 わかった。そこまで言うならやってみろ。

 俺がその声を聴いた瞬間、処刑人の斧が閃いて、ナイアスの視界は真っ暗になった。

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