【解釈小説】Tender Rain
蓬葉 yomoginoha
Tender Rain (上)
昨晩は、ひどい豪雨だった。
西日本では川が氾濫したり、土砂崩れが起きたり、誰かの大切な人を奪っていったり、災害級の大雨だったらしい。テレビは警報を矢継ぎ早に伝えていた。
雨は苦手だ。どんなにいいことがあっても雨が降ると憂いが生まれて嫌になってしまう。気持ちを、洗い去ってしまう。そのくせ、嫌なことは連れていってくれない。それどころか、嫌な気持ちにべったりと張り付いて離さない。
いっそ、また豪雨ならよかったのに。豪雨なら息もできないのに。
今日は、そんな豪雨の降り残しのような、やわらかな雨が降っていた。
10年も続いた仲だった。それなのに、豪雨の中、歴史は終わりを告げた。
「わたしのことを、見てくれてないって、ずっと思ってた」
彼女は、泣いていた。けれど、それが豪雨だったかどうかはわからない。
僕は、彼女の顔を見られなかった。
高校生のときから今までずっと続いてきた。けんかもしたけれど、ずっといた。いつまでも続くと思っていたその時間がこんな形で終わるのが惜しくて悔しくて、そんな損得論を考えてしまう自分のみにくさが嫌で、僕は、彼女が黙っても、ずっとうつむいていた。
ベッドシーツは純白で無味乾燥。ただただ外から聞こえる雨音だけが響く。
「ほら」
彼女はあざけるように笑って、僕に涙を向けた。
そして、頬に触れて、小首をかたむけた。
「何も言ってくれない」
はっと僕は息を吸い込んだ。何か、のどにひっかかっている気がした。
彼女は、僕を愛してくれていた。だから、失望して、雨に濡れて、たえられなくなった。
僕は、彼女を、愛していたんだろうか。
雨は降り続いている。
朝起きてから、なんども寝て起きてを繰り返して、もう夕方だ。曇っているせいもあるのだろう。やけに暗い。車はもうライトをつけて進み、人々も駅からこちらに歩いてくる人の方が多い。さした折り畳み傘からはみ出た肩に雨水がしたたる。
生まれてからずっと暮らしてきた街なのに、景色が色落ちしてしまったように感じる。夜が近いせいもあるのだろうけれど、たぶん、昨日までここにあった何かが失われたからでもあるだろう。
息を吸い込んでみる。蒸した空気がからみついて、息が詰まる。やっぱり何かひっかかっている。
胸のふさがりに眉をひそめながら歩いていくうち、町はずれの住宅街に来ていた。
「あっ……」
そこで、ふと足を止める。というより、そこで足が動かなくなった。
「つぶれたのか」
中学の時通っていた塾が、コインランドリーになっていた。
当時の僕は勉強などきらいで、ただ親が行けというから通っていただけだった。家からも遠いし、億劫だったが、友達も通っていたので、遊びに行く感覚だった。
だから、別段大した思い出もないのだけれど、かつて自分が存在した場所が失われるのは、悲しい。
気づいたら、向かいの店のシャッターが下りていた。ときたま通る人の顔すら暗くてもう見えない。笑い声が聞こえて、はっと通りを見ても、表情は見えずにただ誰かが通り過ぎるだけだ。
夜だった。
店の中に入るわけでもなく、僕は外に立っていた。折り畳み傘をしまって、立っていた。
自分でももう、自分がわからなかった。雨が嫌いなのにどうしてこんなに長い時間雨に濡れていたのだろう。まさか期待しているのだろうか。雨が、すべて、流してくれるんじゃないかと。あさましい。
また、眠ろう。とっくに夕方のチャイムは鳴った。もう、休日も終わる。
こつん、こつん、こつん。
ばらばらと雨が地面をつつく音の中、リズムが響いた。
「うあっ」
そのリズムが、とたんに早くなって、消えた。ぱしゃりと水玉がはねる。
ピンクのハイヒールが歩道に投げ出されている。
一瞬立ち止まった僕は見て見ぬふりをした。今は他人のことなんか、と自分に言い聞かせて。でも多分、こんな気持ちじゃなくても誰かを思いやることなんてしなかった気がした。
(わたしのことを、見てくれてないって、ずっと思ってた)
鈍痛が蘇る。
「はあっ」
息を吐いて、立ち去ろうとする。それと、黒い傘が立ち上がるのは同時だった。
「いてて」
「……」
傘からのぞいた顔。そらしかけた僕の瞳は、動かなくなった。
「あれっ」
「……」
「あれっ!? 宮下じゃない?」
彼女は丸い瞳をぱっと輝かせた。その瞬間、記憶が蘇ってきた。
のどの奥にひっかかっているものの正体。
そうか。
あのときにも、こんな雨が降っていた。
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