第11話 スナック 茜で

〔うなぎの澤正〕から外へ出ると雨が降っている。そういえば、天気予報で「名古屋が梅雨入りしたとみられる」とニュースでやっていた。

二人は澤正の駐車場に止めてある車に逃げ込むように乗ると、錦へ向かった。

 伝馬町通りにある〔シャトレーヌ錦ビル〕はジャンボパーキングから東に歩いても3分もかからない場所にある。

 春樹はトランクに入れていた傘を取り出すと、あいあい傘で〔スナック茜〕に行った。〃あいあい傘なんてした事があっただろうか・・・・・〃


 仕事では毎日のようにタクシーで流している通りだ。

 ビルの前には赤い三角のカラーコーンが一角を仕切っていた。

 工事中の看板がビルの入り口を幅取っていたが、ビルの中に入れないわけでは無さそうだ。

 二人はエレベーターに乗ると、春樹がスナック茜の階数を調べている。

 すると玲香が5階のボタンを無造作に押した。春樹はぽかんとした顔をして玲香を見る。

「えぇっ、上野さん、スナック茜に来た事があるの??」


「先日、稲留さんに連れて来てもらいました」

 玲香は手を後ろに組んで体を揺らしながら答えた。


「なんだ、それならそうと言ってくれればいいのに・・・・・チェ!」

 春樹が軽く舌打ちをする。


「ごめんなさい!だって、私、泉さんがスナック茜に連れて来てくれるとは思わなかったもの!怒らないでよ!」


「怒ってなんかいない、でも、おれ!ここに来たの・・・・・って、もう、半年も前の事だし、それも、修平と一回来たきりだから・・・・・」

 春樹は自分より玲香の方がスナック茜を知っている事に釈然としなかった。

 〃おれの唯一知っているスナックなのに・・・・・玲香の方がよく知っているなんて・・・・・〃

 そんな事を言っている間にスナック茜についた。春樹は不安げにお店のドアを開ける。

 あかねはカウンターのテーブルを雑巾がけしていた。


「ママ、来ちゃったけど、本当にいいの」

 春樹が尋ねる。

「あら、いらっしゃい、ソファーに座って、ちょっと待ってて!こんな時でないとお掃除できないから・・・」

 あかねがカウンターの大きな花瓶をずらそうと手を伸ばすと

「私、手伝いましょうか」

 玲香がカウンターの花瓶をずらしながら言った。


「ありがとう、でも、すぐ終わるから、待っていて!」

 あかねは早々に掃除を切り上げると、


「れいちゃん、此間、ありがとうね。修平さん、けっこう、おちょこちょいだから、ほんと、助かったわ」

 春樹には、何の話だか全く分からない、なんで自分より、玲香の方があかねと親しいのか訳が分からないと思った。

 茜専属タクシーに玲香も加わっているとは意外だったのだ。

「どう云う事?」

 とっさに春樹が聞いたのだが、聞こえなかったのだろうか?ふたりに交わされてしまった。


 あかねが玲香に飲み物を聞いている。

「水割りでいい」

「はい、ライムでお願いします」

 あかねが修平のボトルセットをテーブルに持ってくると、玲香は自分でコップに注いだ。

「春樹は何飲むの?」

 あかねがカウンター越しに聞いている。

「ノンアルコールなら何でもいいけど・・・・・」

「今日も車なの?」

「そう、だけど 、どっちみち飲めないし・・・・・」

 めったに飲み屋などに出入りをした事の無い春樹には、飲み物って聞かれてもコーヒーくらいしか思いつかない。

 と言って、ここでコーヒーを頼むのも、場が違うような気がした。

「ここにライムがあるからライムサワーにしようか」

「ライムって何?」

 早速、むつかしい単語が宙に飛ぶ。

「ライムって、飲めばわかるわ!嫌だったら、ほかの作るから・・・・・春樹がれいちゃんをデイトに誘ったの?」

 春樹の知っているデイトとは恋愛を対象にした付き合いだ。

「えぇっ、デイト?よせやぃ!デイトなんかした事ないし・・・・・」

 玲香は確か、『いつもお世話になっているから』と言って、おれを食事に誘ってくれたはずだ。

「じゃぁ、今日は何なの!ねぇ、れいちゃん」

「私が泉さんを食事に誘ったんです」


「春樹、男が女性を誘うものでしょう。そういう時はね、たとえ、れいちゃんが誘ったにしても、俺が誘ったって云うものよ!」

 春樹はあかねとのやり取りが、なんだか、姉のように思えた。

ここは半年前に一度来ただけの店なのに・・・・・心がつぶやく。


「ハイハイ!おれが誘いました。――ねぇ、ママ、おれ達、ここに来る前に澤正に行ってきたんだ。一時間の幸せを買いに・・・・・」


「澤正って…なにやさん、一時間の幸せが売っているの?」

 あかねには何のことだか分からないらしい。

 すると、玲香がつかさず言った。

「観光ホテルの横にあるうなぎ屋さん。泉さんが美味しいからって連れてってくださったの。後味がいいから一時間は幸せになれるって言ってたけど、

もう、私、後味、消えちゃった」

 と云って玲香は二杯目の水割りを口にした。


「食べたのが19時半頃、今、20時半、もう1時間、経っているか!でも、俺はまだ、ウナギの香りがほのかに残っているよ!」


 玲香があかねに甘えるように

「ねぇ!ママ、聞いて!私、泉さんに『一時間の幸せより永遠の幸せがいい』って言ったら、なんて言ったと思う」


「なんて言ったの」

 あかねはくすくす笑って聞いている。

「じゃ、毎日、うなぎを食べに来ようか、だって!」

「だから、冗談 冗談だって、言ったのに」

  春樹は困ったような顔をした。

「ふふふふ、可笑しい、ねえ~、女性の気持ちなんて全く分からないのよ、

困った人ね」

 あかねも二杯目の水割りを飲んでいる。


 春樹は、この場から逃げようとカラオケを歌う事にした。あかねがカラオケのセットをすると春樹はマイクを手にした。奥に小さな舞台がある。そこへ行って春樹は(サザンの夏をあきらめて)を歌いだした。


 あかねと玲香は総武線がどうの、浅草がこうのと言って盛り上がっている。

 春樹は、そのあと(松山千春の大空と大地の中で)を歌って戻ってくると


「あぁ、強姦魔が帰ってきた。春樹は危ないから気を付けた方がいいわよ」

 だいぶん、あかねも酔っているようだ。

 春樹が玲香の横に座ろうとするといきなりあかねが言った。

「わたし、この人に強姦されたんだから、オッパイはもまれるし、

乳首は吸われるし、下半身まで手が伸びてくるし・・・・・」


 春樹はそれを聞いてびっくり、開いた口が塞がらない!首を横に振り続けながら違う違うの連発をした。


「ママ、ひどいよ、全然、話が違う、逆だよ! 逆。ママ、この話は誰にも言うなって、云って!自分で言っているじゃん。違うんだから、上野さん、信じて!」

 春樹はあかねをにらむと玲香に救いを求めた。

 すると、あかねは何事もなかったかのように、玲香に『もつ煮を食べるか』と聞いた。

玲香が『いただきます』

と言うと、あかねは、スタスタとカウンターの奥に入って行った。


 玲香が春樹にどういう事かと、しつこく聞いてくる。

「本当はこの話はママが誰にも内緒って、言ってたから黙っていたけど、

去年の11月頃に錦を流していたら、ママが乗ってきて勝川って言うから、

勝川まで送ったんだ」

 春樹は本当に話していいのか・・・・・あかねがどう思うか・・・・・。気になったが、あかねの顔が見えないので、そのまま、話を続けた。

「そしたら、そこの公園に寄せろって言うから寄せたら、ママが急に車から降りて、助手席に移動してきたんだ。ここで、支払をするのかなと思って、ママに、4200円です。って言ったら、いきなり・・・・・」

 ほんとうに話していいのだろうか?あかねの姿がない。


「いきなり、急に・・・・・俺の唇をめがけてキスをしてきたんだ。びっくりして、何するんですか、って怒ったら、じっと俺の顔を見て、そして顔をほころばせて、今度は『いや?』って聞くんだ。とっさに『いや、じゃないけど』って言ったら、『じゃ、いいじゃない』って言って、目を瞑ってキスのポーズをとったんだ。だから、おれはいいんだと思って、『ありがとうございます』って言ったら、ママが大笑いして・・・・・」

 その話を聞いて玲香がゲラゲラ笑いだした。だいぶん酔って来たみたいだ。

 さっきまでの玲香じゃない、妙に近い!春樹の横で肩を寄せて話す。

「馬鹿じゃない、そんな時にありがとうって言う」

 もう、笑いが止まらないようだ。玲香の肩がなんども、春樹の肩に当たった。玲香は笑いを抑えると――。

「わかったわ、今の話、よく分からないから、現場検証しましょう」

 春樹が戸惑う、どういう事?って顔をした。


「最初に、ママが・・・ 」と言ったとたん、春樹は玲香にキスをされた。

 玲香はくすくす笑いながら唇を春樹の唇に押し付けている、時間が長く感じた。

 玲香が姿勢を戻すと

「キスをした後、ママはどうしたの」

春樹は降参したように素直に玲香に従った。春樹の目があかねを探す。


「そしたら、ママが俺の手を取って・・・・・」

「どっちの手」

「右手だったかな」

 玲香は春樹の右手を掴むと

「どうしたの」

「ママが自分の胸に俺の手を押し付けた」

「 どっちの胸」

「えぇと、おれの右手をママの右胸に押し付けた」

「こう!」と言って、玲香は自分の胸に春樹の手を押し付けた。

「それから・・・・」 玲香の甘い声が春樹をそそる


春樹はあの時の事を思い出しながら

「それから、ママが来ている服のボタンを外してオッパイをもめって言いだした」

玲香はTシャツだったので、Tシャツをまくって上にあげるとブラジャーも一緒に上にあげた。大きなオッパイが顔を出す。

そして、

「揉んで・・・左側も・・・・・」しばらくそうしていると、春樹は玲香のオッパイに食いついた。


 その時、あかねが熱々のもつ煮を持ってきて、

「あら、ラブラブね、私も混ぜてもらおうかな」

 って言うのだ。春樹はびっくりして――

「待って・待って・待って・・・・・これ、ただ、あの時の現場検証していただけだから、違うんだから・・・・・ママがいらん事を言うから、こんな事になったんだよ」

 春樹は青ざめた顔をして言った。あかねと玲香は目を合わせて大笑いだ。

その後も、春樹は ライムサワーを飲んだ。


 実はライムサワーにはウイスキーが少し落としてあった。あかねは、春樹を少し酔わせて玲香との距離を近づけようとしていたらしい。


 あかねは玲香に春樹が好きなら、もっと強引にいった方がいいと言って、

この現場検証をたくらんだようだ。

 とはいうものの、あかねは玲香の行動に仰 天した。

流石、この子やるわ、ただものじゃないと思ったようだ。


 あかねが玲香に言った。

「どう、この子、いい子でしょう、れいちゃんにあげるわ」

「えぇ、もらってもいいんですか」

「特別だからね、大事にしてよ」


「良かったね、春樹、れいちゃんがもらってくれるって!」


「ちょっと、待ってよ、あげるとか、もらうとか、おれ、ママのものじゃないし、それ、変だよ、おかしいよ、おれは俺だから」


「あら、玲香がもらってくれるって言ってるのに、あんた、いやなの」

 あかねの顔が迫ってくる。


「いやじゃないけど・・・・・」

 春樹は追い込まれると、すぐに口癖の、いやじゃないけど、になるのだ。


 あかねは急に優しい言葉で玲香に言った。

「いやじゃないそうよ、もらってほしいって言ってるわ」

「大事にしてね」

 そう言って、春樹をつまみにして飲んでいると、春樹が4杯目のライムサワーを口にした時、気持ち悪いと言い出した。


 春樹はトイレに走る。トイレから春樹の「ウエェ~」って云う嘔吐が聞こえる。

 春樹が苦しんでいると玲香が心配そうにトイレのドアを半開きにして

「大丈夫」って声をかけて来た。

 春樹は地べたに腰を下ろしてダウンしていると、それを見た玲香がドアを開いて春樹の背中をさすった。

 春樹は二人に担がれてソファーに横たわると、あかねの声がうっすら聞こえた。

「ちょっと飲ませすぎたかしら・・・・・そんなに飲ませていないんだけどね、やっぱり、肝臓が弱いのかしら・・・・・修平さんが春樹は肝臓が弱いからとは、言っていたけれど、ちょっと様子を見てダメだったら救急車を呼ぼうか」

 あかねが不安そうに言った。


 10分ほど経った頃、玲香の膝に頭を下ろして寝ていた春樹が、

「水、下さい」と言って体を起こした。


「大丈夫?」玲香が言った。


 あかねがスポーツドリンクをコップに注いで持ってきた。

「ゆっくりでいいから、これ飲みなさい、少しは楽になるはずよ」


 しばらく、そうしていると、春樹は帰ると言い出した。


 玲香が送って行くと言う。玲香があかねにお勘定を聞くと、あかねは今日は休みだから商売じゃないと言った。

 今度は玲香が修平さんのボトル開けちゃったから、それはダメだと言うのだ。

 結局、玲香は2万円を置いて外へ出た。修平に送ってもらおうとメールを入れると、遠くなので無理の返事が返ってきた。

 春樹はあかねと玲香の肩を借りて流しのタクシーに乗り込む。当然、玲香も一緒に乗る。あかねは玲香に「ありがとう」とお礼を言って見送った。


 玲香は運転手に言った。

「運転手さん、この人、たくさん嘔吐した後だから・・・大丈夫だと思うけど、もし、万が一、車内を汚したらこの1万円で許して下さい。料金は別に払います。一応、袋も持っているので、私、しっかり抱えていますのでよろしくお願いします」

 と言って、1万円を運転手に手渡した。

 運転手は最初、困惑していたが、玲香の話を聞くと態度が急変して、愛想良く守山区苗代に向かった。

 アパートに着くと、玲香は運転手に先に春樹を降ろすので、少し待つようにと言った。春樹の部屋は一階の一番手前だ。

 玲香の肩を借りて、春樹の部屋に向かおうとするが危なっかしい。それを見ていた運転手が見ておれないと言って肩を貸してくれた。

 春樹のポケットを探ってカギを取り出すとドアを開けて春樹を部屋の中に押し込んだ。

 玲香は運転手にお礼を言うと、

「何処も汚していないと思うのですが どうですか」と尋ねる。

 運転手も確認して、

「料金は3700円頂きます。この1万円から頂きますね」

と言って釣銭を用意している。


 玲香は助けて下さったのでこの1万円を受け取って下さいと言って、運転手にお礼を言うと、いそいで中に入った。

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