第3話 スナック茜に行く
2023年11月13日、その日はとても良く晴れていた。春樹は青いカローラに修平を乗せると錦に向かった。今日は予定通り、スナック茜へ――様子を見に行く。修平が車の中で・・・・・。
「春樹!昨日さ――、航空自衛隊の航空祭があったの知ってるか?」
「航空祭って?」
「岐阜の各務原市にある航空自衛隊って、知らないかな~」
「そう言えば、あったね!それがどうかしたの?」
「『ブルーインパルス』って、ボデイが白で青のラインが入っている戦闘機なんだが、6機が揃ってアクロバット飛行をするんだ。それがすごく迫力があって、もう一度見たかったのに・・・・・会社が今日は人が足りないから無理だと言って有給を使わせてもらえなかった。今思うと、本当に悔しい」
修平が各務原へ行けなかった事をぼやいている。
どうやら、昨日、航空自衛隊岐阜基地でアクロバット飛行が行われていたようだ。
修平はカメラが趣味で休みの日は大概1人で色んな所へ撮影に出かけていた。被写体は鳥や動物、あとは風景だろうか。いつも、撮って来た写真を見せてくれる。
そんな話をしていると錦に着いた。伝馬町通のジャンボパーキングに車を入れると、春樹と修平はスナック茜に向かった。
この辺りは仕事上、タクシーで頻繫に流している地域なので、ビル名さえわかれば大体わかる。
キャッチ〔客引き〕が寄って来た。キャッチが「いい店がある」と云っているが二人は目も合わさずに名刺に書いてあるシャトレーヌ錦ビルを探した。
キャッチとは自分達と提携している店にお客を連れて行くと、お客1人に対して1000円の紹介料が入るようだ。つまり、5人の団体客を連れて行けば、それだけで10,000円の実入になる。
そんなキャッチはタクシー運転手にとって目ざわりな存在でもある。車が来ても退こうともしない。それどころかタクシー運転手を馬鹿にしている。
以前、錦の中を流していると男が手を挙げた。お客だと思ってドアを開けると、その男は乗ってくるなり10,000円を崩してくれと言う。
「どちらまでですか」って聞くと、
「おい、メーターを入れるなよ。はよ、崩してくれよ」って言うのだ。
春樹はその言い草で、やっとキャッチだと気が付いた。
「両替はできません」ときっぱり断ると、男は「チェッ」っと舌鼓をしながら後ろのタクシーに移動した。
これがキャッチである。当然、後ろのタクシーも断っていた。
タクシー運転手がお金など持っているわけがない、給料だって20万やっとだ、そこから自腹で釣り銭を用意している。
だから、給料前ともなれば釣り銭も使っちゃうわけでお金などあるわけがない。
まして10,000円を崩してくれる所などコンビニだって、何かを買わないと無理だ。それを、キャッチは平然と崩せと言って寄ってくる。
春樹も修平もそんなキャッチを相手にしないで店に向かった。
青の看板に白の文字、スナック茜はすぐに目についた。
〔マリオットビル〕は、お客がタクシーに乗ってくると
「マリオットビル、行ってくれ」って云うので、タクシー運転手であれば誰でも知っているビルだ。その東隣が〔シャトレーヌ錦ビル〕だった。〔シャインシグマ〕はその隣だ。
2人がスナック茜に着いたのは19時頃だった。
「月曜日だから、きっとお客さんは少ないよね、なんか、いやだな。どんな顔をして入ればいいのかな」
動揺を隠せないまま春樹と修平はエレベーターに乗る。
「大丈夫だろ、何も気にすることはないって、私たちはお客なんだから、
ママの顔を拝んだら、すぐに帰るからさ、カラオケあるかな、まぁな
2,3曲歌って帰ろうぜ」と言いながら、修平がスナック茜のドアを開いた。
「いらっしゃい」奥からかわいい女の子が出てきて席を案内してくれる。
若いとは言え、女性の年齢は分かりにくい。20歳以上~25未満だろうか。
お店はカウンター15席 テーブルが3台、テーブル席の壁側のソファーは長く一つに繋がっている。全部で30席くらいはありそうだ。
カウンター席には40~50代の客が5人並んで座っていた。みんな常連のようだ。
3人のお客がこっちを見て〃お前たちは誰だ〃って顔をしている。カウンター内には女の子が2人いるが、ママの姿が見当たらない。
案内してくれた女の子がおしぼりを手渡してくれると、
「お飲み物は何にされますか?」
初めて見る顔とでも言いたそうだ。
「そうだね!ビールを下さい。こいつは車なので、コーラでいいか?」
「あぁ、コーラをください」
すると、カウンターの裏からママが顔を出した。奥のお客に料理を2皿持ってきたようだ。なにやら、お客と盛り上がっている。
どうやら、2人組と3人組の客らしい。奥の2人はネクタイをしている、中央にいる3人客はラフな格好だ。
すると、小田和正の〔ラブストーリーは突然に〕カラオケがなりだした。
曲が始まると、縦縞のネクタイをしているサラリーマンが舞台に立って歌い始めた。
今まで、少し動揺していた春樹が言う。
「あの人、うまいね、歌いなれているよね。そういえばママさん、おれに気が付いていないみたい、そりゃそうだよね、あんな暗い所で、ちょっと一緒に居ただけだから顔なんか覚えていないよね。良かった!」
春樹はママが気がつかないので良かったと思ったが、内心、味気ない気もした。説明の付かない想いだ。
「だから、気にするなって言っただろ。でも、あのママがあんな事、本当にしたのか~?けっこう、美人だぞ!んん、確かに横顔が石田ゆり子に似ているか」修平がママを意識しているようだ。
ママが春樹の方へやってきた。白いノースリーブワンピースが華麗に見える。修平の顔に目を移すと、
「いらっしゃいませ、あかねです、よろしく!」
ママが置いてあったビールを注ごうとすると殆んど入って無かった。
「ビールでよろしいの?」 修平に尋ねる。
「今日はね、こいつの付き添いで来たんだ」と言って春樹の顔を見た。
ママが意味ありげに春樹に顔を突き出して小さな声で言った。
「あら、コーラかしら、本当に来てくれたのね・・・・・まさか、本当に来るとは思わなかったわ!そちらの方は同僚の方?」
春樹はビクッとした。
「知っていたんですか」
「入って来た時から、気が付いていたわよ・・・・・。いい事、あの事は絶対に内緒よ――お願いだから忘れてよ!わかった!」
あかねの目がとんがって来た。この目できつく念押しをされるとさずがに怖い。
〔中西あかね〕ママの名前だ。すると修平があかねに言った。
「春樹が、名刺をもらったから行かないと、会社にチクられるかもしれないってビクビクしているもんだから、じゃ、行こうって、来たんです」
修平がカバーに入ってくれる。
「あら、ビクビクしていたの?私もビクビクしていたわ!本当に、ちょっと、私、後悔していたのよ」
春樹はあかねの射るような視線を感じた。
「酔っ払い・・・・・っていやね、勢いだけで、なんでも・・・・・ごめんなさいね・・・・・あの時の事は本当に水に流してね」
と言うと覚悟を決めたように、
「わかったわ、もう、お詫びにボトルを一本いれてあげるから」
そして、春樹にあかねが聞いてきた。
「何がいいかしら 焼酎 ウイスキー?」
「俺、酒が飲めないし」
「あら`飲めないの!そう、じゃ、そちらの方は、何がいいかしら」
「いいんですか、頂いても・・・・・」
「今日だけよ、その代わり、絶対、誰にも言わないでね」
「じゃ、角、いいですか」
カウンター席のお客たちは店の子とデュエットして盛り上がっている。
「ごめんなさいね、音がうるさくて聞きづらいから、ボックス席に移りましょうか」
そして自分もそこに座ると、女の子に角ボトルと氷を持って来させた。
マジックペンを修平に渡すとボトルに名前を入れるように言った。
「稲留って名字、下のお名前は?」
「修平です」
「それも書いといて、私、すぐに忘れるから・・・・・」
あかねは修平を遠い目で見るようにして
「修平さん!あなた、ちょっと、知ってた人に似ているわ」
「ママさんの昔の彼氏かな~」
あかねは修平の問いには答えず、
「イ ズ ミ ハ ル キ」
春樹が書いている文字を一字一字読みあげた。
「修平さんと春樹ね !そう呼んでいいかしら」
「さんは取り払ってください、柵を張るほどのバリケードはないので・・・・・」
修平が毅然として言う。
「さすが、修平さん、うまい事を言うわね、だけど、やっぱり修平さんは修平さんだわ、風格があるもの、呼び捨てにはできないわ、ねぇ、春樹」
春樹が愚痴った。
「なにそれ、修平には風格があるけど、おれには無いって事?」
「あら、あるの?」
「無い」即答だった。
風格なんてない事はわかっている。しかし、それを露骨に言われると辛い。
たしかに修平に存在感があるのはわかっているが・・・・・。
「でしょう。じゃ、ひがむ事は無いじゃない」
三人は大笑いだ。
「でも、どうして、修平はサンづけで、おれには呼び捨てなの?」
すると、あかねは春樹の顔に顔を近づけて言った。ただ、ひとこと、
「いやなの」 強い口調である。
「いやじゃないけど」春樹は戸惑いながら返事をした。
「じゃ、いいじゃない」あかねは開き直ったように言う。
「いいけど」その言い方に抵抗できなかった。
そこでまた、修平とあかねが笑っている。
「どう、お仕事は忙しい?」
あかねが修平の顔を見て話をしている。
「錦と一緒ですよ 、コロナ以来、客足が早くなっちゃって、19時~23時頃まではお客はいるんですが、公共交通機関がなくなる頃には人もほとんど居なくなります。2割増の稼ぎ時になる頃にはお客さんはバッタリです」
修平は水割りを口にしながら言った。
「本当、そうよね、錦も飲み屋の入れ替わりが激しくて大変みたい。
うちはほとんど常連さんでもっているから、なんとかなっているけどね、
とは、言っても、いつどうなってもおかしくない世の中だわ、ねぇ!
そうそう、2人ともTEL教えてくれない、タクシーを拾おうとしても女性はすぐに避けられるし、タクシーも以前より少ないのかしら」
「そうですね!一時は私も転職を考えましたが、今はようやく七割がた戻ってきています」
春樹と修平はあかねとLINE交換をした。
あかねがカウンターの中央に座っている男性3人に、
「村井さん、この人たち、タクシーの運転手さんだって、0時頃は中々
タクシーつかまらないものね、電話番号を聞いたから、もう、大丈夫よ」
「それは良かった、よろしく頼むよ!月3、4回は使うからね。いや、助かるよ」
「村井さんが瀬戸でした?井沢さんが印場で、山口さんが一社ですよね」
「ママ、よく覚えているね!そうそう、運転手さんたち、愛のタクシーチケットって使えるかな」 村井さんが修平と春樹に尋ねた。
「はい、使えます、お医者さんですか」修平が問う。3人が驚いて言った。
「すごいね、チケットで職業までわかるんだ」
「そうですね、多少の事はわかりますけどね」修平が答える
「瀬戸まで行ったら10,000円超えですよね」 春樹が3人に問う
「うん、いつも、15,000円くらいはいくかな」
「じゃ、穴田とか中水野とか、そのあたりですか」
春樹にとって長久手、尾張旭、瀬戸は得意のエリアだ。
以前は藤が丘を中心に流していたので、地理はしっかり頭の中にある。
「すごい、よくわかるね、そう、中水野駅のすぐそばだよ」
「大体わかりました。水野川を超えた所ですね」
「ママ、この人たち凄いわ、プロ中のプロだね、何年くらいタクシーしているんですか」
「稲留さんが13年で、僕は15年ほどですね」
「それだけやっていれば、名古屋は殆んどわかるよね、そりゃ安心だわ、
そんな運転手さんたちに、もっと早くめぐり合いたかったな」
それを聞いていた、奥の二人も、
「運転手さん、わしらも近くだけど、これから頼むわ、俺が大曽根で沢田が荒畑なんだけど、いいかな」
「喜んで! 私たちも暇で困っていますので、助かります。近くても、何処へでも行きますので呼んでやってください。お願いします」
修平がみんなに聞こえるように大きな声で言うと、5人の中の誰かが軽く拍手をしながら言った。
「じゃ、あかね専属のタクシーになるか」
「それ、いいですね よろしくお願いします」 春樹が答えた。
するとあかねが強い口調で言う。
「いいこと、あかね専属って事は、私はタダで帰れるって事よ。い~い、わかったわね」
「こわあっ!」春樹はすくんで見せた。みんな大笑いをしている。
それから、30分も居ただろうか、カラオケを2曲ほど歌うと修平が、
「帰ろうか」と、耳打ちをした。
春樹はアルコールは飲んでいないから問題はないが、修平は明日、朝9時から仕事だ。
会社へ行って、アルコール検査に引っかかると仕事ができなくなる。
今なら、朝にはアルコールが抜けるからと言って帰る事にした。
あかねが下まで見送りに出てくる。
「こないだは、ごめんね、あんな事、本当に初めてだったの、きっと、飲みすぎて狂っちゃったのね。悪かったわ、本当に、どうか、あの事は水に流してね」と春樹に体を寄せて耳打ちした。
「修平さん、また、遊びに来てください。お待ちしています」
春樹たちが見えなくなるまであかねはお辞儀をして見送っていた。
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