身も心も過去もすべて受け止めて
まん
第1話 いきなり、襲われて
午前0時を過ぎると、仕事を終えた人々が飲み屋街の路地から、ちらほらと出てくる。
タクシーはそれを待ち構えていたかのように、表通りを流し始める。
そして春樹もまた、錦の外回りをなめるようにして流していた。
錦とは名古屋市の中心部にある夜の街を代表する飲み屋街の事だ。
錦3丁目、栄3丁目(住吉/プリンス通り)、栄4丁目(女子大/池田公園)と呼ばれる地域が名古屋の三大飲み屋街として息づいていた。
まぁ、夜、働く人々の大半は栄を中心に半径3km以内で生活をしている。
タクシー運賃に換算すれば1300円前後のお客さんが多いのだが、ともあれ、乗せてなんぼの世界、料金が安かろうが・・・・・高かろうが・・・・・。
乗ってもらわない事には売り上げにならない。
もしも、ネクタイ族のお客さん達が路地から出て来れば当然、タクシーはそっちにすり寄る。これは歩合制の給料なればこそのやむを得ない事情だ。
『少しでも遠くに行ってお金を稼ぎたい』つまり、繁忙期になると運転手たちは、手を上げている女性を振り切ってでも会社員を狙う。
それは乗車拒否ではあるが・・運転手の心中としては、なんともならない。
春樹が大津通りを北向きに流していると、桜通り大津の交差点に差し掛かる辺りでレースのブラウスに青いロングスカートの女性が伝馬町通の路地から出てきた。
チラッとこちらを見たが手を挙げるわけでもない。
春樹はその女性にそ~とタクシーを寄せると、目が合った瞬間にドアを開けてみた。
すると、やはりお客のようだ。女性は春樹を見ると、口のはしをわずかにゆるめ、かるく頭をさげて「いいですか」と後部座席に上体をいれてきた。
顔立ちが整っている。体型も少しふくよかで色気が漂う。ルームミラーで見ると、そう、石田ゆり子に似ていると春樹は思った。だが、なんだか少し顔がとんがって見えた。気のせいだろうか・・・・・。
「ご乗車ありがとうございます。お客様かどうか、わからなかったのですが
ドアを開けてみてよかったです。どちらまで行かれますか?」
「春日井 勝川駅までお願いします」
春日井市勝川であれば料金は4千円は出る。
春樹は胸元で小さくガッツポーズをした。顔がゆるんでくる。
すると春樹の声のトーンが少し上がった。
「はい、ありがとうございます。では、シートベルトの着用をお願いします。メーターを入れさせて頂きます。国道19号でよろしいでしょうか?」
「はい! 私も、怖い運転手さんだったらどうしようかと思ったのですが、丁度、貴方が・・・・・運転手さんに出会えてよかったです。私が手を挙げても、乗車拒否をする運転手さんが多いのでどうしようか迷っていたのです」
「ありがとうございます。そうですね!乗車拒否は多いですよね、やたら目につきます。ですが、この時期、運転手も必死ですのでどうか許してやってください。・・・・・私は目の前のお客さんを大事にしていますよ!では、メーターを入れさせていただきます」
春樹は調子のいい事を言っている自分に苦笑いをした。としても、お客に見えるわけがない。
すこし、間を開けてから春樹は話を続けた。
「今日は月曜日だけあって、人はあまり出ていませんね。錦はどうでしたか?」
どう見ても、錦のママだ。さりげなく問いかけてみる。
「そうね、今日は本当に最悪だったわ!一見さんだと思うけど、ガラの悪そうな50代くらいの男性と、一緒に来た女の子が身体をあっちこっちいじられて嫌がっていたの。なのにそのお客ときたら、女の子の肩を強く組んだまま、胸辺りをさわるものだから、女の子が泣き出しちゃって・・・・・そのうち、『やめてください』って、女の子が叫んだの!」
「じゃ、他のお客さん達もびっくりしたでしょうね」
「常連のお客さん達も振り向いて様子をうかがっていたわ、私も、このままじゃ、まずいと思って、そのお客さんに止めるよう促そうとしたら、常連客の中村さんが、『見ちゃおれん』と言って、止めに入ったんだけど、逆に殴られてしまって・・・もう大変、警察を呼んで散々だったのよ」
「その常連さん、怪我、無かったですか?」
春樹は話に夢中になり、今、通り過ぎた信号が赤だった事に気が付いた。
『ハッ』としたが、女性は気が付いていないようだ。
「中村さんの左目のコメカミあたりが赤くなっていたけど、本人は『大丈夫だ』って、言って・・・・・それより、警察の調書って云うのかしら!それにすごく時間を取られて、悪い事をしたわ」
「そうだったんですか!、それは大変でしたね!」
「その女の子も、どうやら下で声をかけられたみたいだけど、ノコノコついてくるものだから馬鹿な子・・・・・。パトカーの音を聞いたら慌てて逃げ出して行ったけど、未成年だったのかしら?お金欲しさについて来るんだろうけど――困ったもんだわ――」
「あ”――それでパトカーが3台ほど、サイレンを鳴らして錦の中に入って行ったんですね、もう、2時間くらい前の事ですよね、それで、一時、伝馬町通りが封鎖されていたんですか」
「本当に、おかげで事情聴取やら、何やらで2時間も時間を取られて・・・・・。
たまったもんじゃ無いわ」
石田ゆり子に似ている女性が険しい表情で告げた。
「本当に酒を飲みに来たのなら、もっと楽しい酒を飲めばいいのに、自分が中心で世界が回っているとでも、思ってるんですかね、あっちの方でしたか?」
「なんか、本人は医者だって言っていたけど、どうだか、調書を取るからって、警察が連れて行ったけど、テーブルのガラスもひびが入ってしまって、弁償してもらわないと・・・・・本当に困ったもんだわ。警察が居ると店もお客を入れるわけにいかないから、早めに閉めて・・・・・今日は売り上げも何もあったもんじゃないわ、はぁ~疲れた」女性のため息が重い。
「お疲れさまでした!」
春樹はその場を和ませようと、ちょっと間をおいてから、
「そうそう、嫌なお客と云えば、先日錦から八事までお送りしたお客さんなんですが、私には『ママさんを送ってから、自分は本郷へ帰る』と言われ、
スナックのママさんは送ってもらえるならと一緒に御乗車されたのですが、
八事付近に近づいてくるとその男性が、急に『部屋へあがらせろ』と迫っていたんです。ママさんには、全くその気はなく困っているようでした」
「そうよね!たまにいるのよねぇ、そういう勘違いをしている男って!」
女性は自分と重なる事があるのか、共感しているようだ。
「本当ですよね!思い込みの激しい男って、何処にでもいますもんね!
実は、私、このママさんを以前にも乗せた事がありましたので、マンションはわかっていたのですが、いつもより、少し手前でママさんが『ここで車を止めて』と、強い口調で言われましたので、これは、〃マンションが知られるのが嫌なんだ〃と思い、私は車を止めるとすぐにドアを開きました。すると、ママさんは逃げるように降りられ、男性客も慌ててタブレットで精算をしようとするのですが、私は、わざと少しずらして、あれ、まだ、タブレットに届いていませんか、おかしいな~と言いながら、ママさんが逃げて行く時間を稼いであげました。なのでお客さんがタクシーから降りた時にはもう、ママさんの姿は見えず、私は〃してやったり〃ってチョット気持ちよかったです。本当におかしなお客って、何処にでもいますね」
「貴方のような運転手さんばかりだったら、私たちも本当に助かるわ」
「はい、私たちは錦と一体ですから、陰ながら少しでもお力になれればと・・・・・」
そんな話をしていると勝川に近づいてきた。庄内川にかかる勝川橋を渡れば、そこからは勝川区域になる。
橋から下りてくる対向車のLEDライトが春樹の目を襲う。春樹は減速にして、右手で目を拭いながら勝川橋を渡った。
「お客様、勝川はどのように――」
「その眼鏡市場を右に曲がって旧道に入って302号を超えて、そう、その信号、右に曲がって・・・・・この公園のわきに止めて頂戴」
タクシーを止めるといきなり、その女性が身を乗り出して、
「ちょっと助手席に移るわ」
と言って、自分で後ろのドアを開けると助手席に移動してきた。
そして、春樹に顔を向けると目が合うや否や、突然、春樹に抱きつきキスをした。あっという間の出来事だ。春樹はびっくりして体を引くと、
「何をするんですか、なんなんですか・・・・・」
おびえる声で女性を見た。
目が合う――そのはざまの時間――すごく長く感じた。
女性は誘うように笑顔をこぼすと「いや?」と言って顔をのぞかせる。
春樹は動揺を隠せないまま・・・・・。
「い・いやじゃないけどびっくりしました。いきなり・・・・・ですから・・・・・ 」
女性の笑顔に少し施されたようだ。
女性は車のライトを消すよう、うながすと、春樹に顔を向けて「はい」とささやいて目をつむり唇を寄せた。
本能だろうか、春樹は〃抱いてもいいんだ〃と思う意識が働いた。
「本当にいいんですか・・・ほんとうに、あ””ありがとうございます」
動揺が声に表れる。
「ありがとうございます」
大きな声を上げて言うものだから、女性は一瞬、大きな声で笑いこけた。
「本当にいい人ね。キス時にありがとうって言葉、おかしい・・・・・」
春樹の肩に身を寄せると、女性は小さく笑いながら囁いた。
そして、さり気なく春樹の右手をとって、自分の胸に誘導すると、そのまま強く押し当てた。
誘導されるまま、その女性の柔らかな胸のふくらみに手が伸びる。
おのずと左手も左胸にかさねる。
すると女性は着ていたレースのブラウスのボタンをはずして前ホックのブラジャーも外した。やがて――
「そう、気持ちいい あぁ・・・・・」と、小さく声を上げたのだ。
あたりは暗く、公園の電灯は遠くでほのかに照っている。
夜中の1時ともなれば人影もなく、多少淫らになってもわからない場所だ。
春樹は前かがみになり、目の当たりにしたおっぱいにしゃぶりついた。
女性は左手を春樹の股座にあてると
「あら、硬い、ボキボキよ、ボッキボッキ、ボキボキ、ボッキボッキ」
小声で遊ぶように耳元でささやく。
そうしている時、ピピピピピ!急に女性のスマホから大きな音が鳴り出した。女性はピーピー音と共に体を起こすと、
「はい。タイムオーバー15分、1万円だけど、このメーター料金4200円でサービスしておくわ。もし、よかったらお店に来て頂戴・名刺を置いておくね」
と言って、女性は、すました顔をしてサッサとタクシーから降りて行った。
それにしても、あっという間の出来事だった。
〃何だったんだ。えぇ、どういう事、どうしたらいいんだ。す~ごく元気なんだけど・・・もう少しだったんだけど、本当にもう少しだったのに・・・・・〃
春樹の気がしずまると、今度は、〃俺、まずい事したかな?正当防衛だろ・・彼女からキスをしてきたんだし、俺、悪くないよな?しかし、凄かった。とっさの事だった。抵抗する事もできなかった。きれいな人だったな、かわいかったな、色気むんむんだったな〃
〃あ、そっか、あの時、お金を出すからって言えばよかったのかな。これからだったのに・・・・・でも、いつのまに時間設定をしていたんだろう。
――つまり15分 4200円と言う事は春日井駅で7000円だから25分
高蔵寺で10,000円 多治見で15,000円で45分
45分あればホテルに行くことになるか・・とするとホテル代が5000円だから、約20,000円か・・・彼女が多治見ならよかったのに。残念〃
わけのわからない事を呟きながら、これではとても仕事にならないと思い、その日はそのまま仕事を切り上げることにした。
通常は午前3時までの勤務だが、頭は彼女の事でいっぱいで、事務所に戻った時はまだ2時前だった。
名刺には〔スナック 茜〕小さく中西あかねと書いてある。
それにしても女性の肌に触れたのは何年ぶりだったろうか。とても神秘的だった。中西あかね、また、逢えたらいいな~、そう、心に呟いた。
会社に戻ると、早出の運転手たちが納金をしていた。わいわいがやがや、いつもどおりである。
どんな客を乗せたとか、数字ができなかったとか、何処何処へ行ったとか・・・・・勤務体系が違うので、あまり見かけない顔ばかりだ。
春樹はその中には加わらず、そ~と抜け出すように納金を済ませて家に帰った。
今日の事、考えれば考えるほど問題が多い。まず、
車内で淫らな事をした。お客から迫ってきたとしても、お客が後で〔襲われた〕と言ってきたらどうなるのか、車内にはカメラが備え付けられている。
しかし、自分がおっぱいにふれている所を見られるのは、余りにも情けない、屈辱的だ。
何も言ってこなければ、まず、カメラを調べられる事はない。
名刺をもらった。〔中西あかね〕これは店に飲みに来ないと公表するという脅しなのか?まさかと思う。
そうそう、4200円のメーター料金は、自腹だ。自問自答している自分がいた。
だからなんだ!また、会いたい!・・・・・考えれば考えるとその夜、中々眠りにつけなかった。
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