signal red



 もう、嫌だ。何もかも、どうでもいい。そんな投げやりなことを心の中で叫びながら、あてもなく、周りも見ずに走り続けているうち。


「きゃ……!」


 足がもつれて、地面に倒れ込んでいた。来たことも通ったこともない、小さな公園。もはや立ち上がる気力もなく、半分やけになって、寝そべるように横たわった。生暖かい湿った土が、頬に触れる。


 このまま、誰の目にも触れないうちに体が溶けて、なくなっちゃわないかなあ。想子のいる家になんか帰りたくないし、明日から、また学校に行くのもきつい。


 もちろん、そんなわけにはいかないって、わかってはいるけれど。でも、あんな気まずい思いをさせちゃって、一ノ瀬くんに合わせる顔なんてないし、この精神状態では、想子にも……と、不意に。


「死んでんの?」


 どこからともなく、聞こえてきた声。なんだか、現実味もなかったから、特に反応も示さないで、動かずにいると。


「おい」


「…………!」


 今の脇腹に受けた衝撃は、何? もしかして、足で蹴飛ばされた?


「ちょっと、何なの?」


 思わず、声を荒げながら、顔を上げた。


「なんだ。生きてるのか」


 わたしと同じ歳くらいの男子の声。


「いきなり、何するのよ?」


 信じられない。仮にも女であるわたしを、足蹴にするなんて。いくら、他人だからといっても……。


「あ? いきなり? 声かけたよな?」


「…………」


 その非道な足の持ち主の顔を確認して、わたしは息をのんだ。


「動かないから、足で転がしてみただけだけど。警察か救急車、どっちか呼んでやろうと思って」


「あなた、誰?」


 不自然に明るい、赤茶色の髪。そして、見るからに人を小馬鹿にした、すれきった表情。なのに、どうして? どうして、一ノ瀬くんと同じ顔なの?


「待って……!」


 わたしが起き上がったのを見届けたことで気が済んだのか、質問を無視して、早々と歩き出す、一ノ瀬くんと同じ顔の失礼な人。


 本人じゃないことだけは、わかる。髪の色も制服も、しゃべり方だって違うし。でも、どう考えても、その顔は他人の空似というレベルじゃない。


「待ってってば」


 追いかけているわたしの声が聞こえていないわけないのに、憎らしいことに、一向に立ち止まる気配がない。


「ちゃんと、謝って。そして……」


 と、その人物に続いて、横断歩道を渡りきろうとしたときだった。


「…………!」


 いきなり、右足に走った激痛。右ふくらはぎを押さえて、その場にしゃがみ込まずにはいられなかった。よりによって、こんなときに、こんなところで、足がつるなんて。


「あ……」


 前方の青信号がチカチカと点灯して、赤に変わる。目の前の車に何度も鳴らされるクラクション。どうしよう? とてもじゃないけど、今は立てるような状態じゃないし。今日一日、踏んだり蹴ったりで、何が何だかわからない。と、その瞬間。


「面倒な女だな」


「えっ?」


 舌打ちの音と共に、わたしの体が持ち上げられた。


 …………。


 この状況。これって、世に言う、お姫様抱っこっていうやつじゃないの? そして、このわたしを抱きかかえて、優しさのかけらもない表情で、すたすたと歩いているのは ————— 。


「ねえ、何するの? 下ろしてよ」


 やっぱり、どの角度から見ても、顔だけは一ノ瀬くんにしか見えない。なおさら、気が動転して、足をばたつかせると。


「なんだ。足、普通に動くんじゃん」


「きゃ!」


 突き放すように、下ろされた。


「そんな乱暴に扱わないで」


「こんな面倒で可愛いげのない女、丁寧に扱う理由ないし」


「そう、かもしれないけど」


 そんな、もっともなことを冷たく言い放つ、憎らしい顔を凝視する。


「ああ。さっきから、いやに人の顔見てると思ったら」


 ちらりと、制服のスカートの柄に目を向けられた。


「智と同じ学校だったっけ」


「じゃあ、あなた、一ノ瀬くんの……」


 弟? それとも、お兄さん?


「そうだ。名字と名前、教えろよ」


「はい?」


 あまりに唐突に聞いてくるから、面食らう。


「借りくらい、返せ。重かったんだから。早く」


「あ……相原。相原 夢子」


 なぜか、スマホにメモまでしてる。意味がわからないまま、相手のペース。


「変な名前」


「…………!」


 いくら、一ノ瀬くんの兄弟でも、いちいちひどい。我慢できずに、言い返そうと、肩に力を入れたとき。


「これ」


「え……?」


 手渡された、一枚の小さな紙切れ。


「来週だから。絶対、来いよ」


「…………?」


 何? これ。よくわからないけれど、怪しげなイベントのチケット? いぶかしく思いながら、その紙切れをじっとながめているうち。


「あ、ちょっと!」


 どうやら、普通に急いでいたっぽい。今度は、追いかけるスキも与えずに、去っていってしまった。とにかく、さっきから、思考回路が麻痺まひしてる。


「チャージフリー……ツードリンク、1500円?」


 別れ際に耳にしたとおり、右端に記載されてるのは、一週間後の日付。いったい、わたしの身に何が起こったんだろう? それに、結局、あれは誰だったの? しばらくの間、一ノ瀬くんとの恥ずかしすぎる記憶すら、頭から抜けていた。


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