第10話 使い魔クロの力

「ななな、なんでここに!?」


 小声で悲鳴を上げる。

 クロはバッグから飛び降りて、前足を突き出してのびをした。


「お前一人ではろくにアプローチも出来ないと思ってにゃ。助言をくれてやるためについてきたにゃん。安心するがよいにゃ。ここは介助犬とペットの同伴可にゃあ」


 青い瞳が向いた先には、動物にも優しくしましょうの注意書きがある。


 同伴可でよかった……。

 いや、そういう問題ではないと思い直す。


 保護した黒猫を視察に連れてきたとあっては、彰人にどう思われるか!


 こっそりうかがうと、二人はこちらに背を向けて話し合っていた。

 私は、今のうちにクロを隠すため、しゃがんでバッグを大きく開く。


「とにかく! 会社の人に見られたらマズいから入って」

「嫌にゃ。そこでは、お前の想い人とやらをじっくり見られんにゃ」

「広田さんはそういうんじゃないから!」


 押し問答していたら、一歳くらいのスタイをつけた女の子がよたよたと歩み寄ってきた。

 女の子はクロが左右に振るしっぽに興味津々のようだ。

 ふくふくした指でタシッと掴み、容赦なくむんずと引っ張る。


「ギニャアアアアアア!!」


 園内に、クロの悲鳴が響き渡った。

 驚いた女の子も火がついたように泣きだしたが、保護者は近くにいないようだ。


 周りの人々は何があったのかと心配そうにこちらを見てくる。


「瑠香、どうしたの?」


 騒ぎに気づいて走ってきた麻理恵と彰人は、泣く子どもと涙目でしっぽの根元をなでるクロを交互に見て目を丸めた。


「えっと、うちで飼い始めた猫がバッグに入ってたみたいで、外に出したらその子がしっぽを引っ張っちゃって……」

「迷子かな。大丈夫?」


 彰人がかがんで優しく話しかけるが、女の子は少しも聞いてくれない。

 体の大きさから言っても、まだ言葉を話し始める前だろう。


 困り顔の彼を見ていられなくて、私はバッグを麻理恵に押し付けていた。


「ごめん、持ってて。広田さん、猫の方をお願いします」

「お願いって……」


 言葉を待たずに、女の子を抱き上げる。

 綿を掴むような力加減で、ふわっと宙に星を浮かべるように。


 いきなりの無重力感にびっくりして、彼女は黒目がちな目を開いた。


「ふえ?」

「びっくりしたね。もうだいじょうぶだからね~」


 お尻を抱えるように抱いて、背中をさすると今までのが嘘のように泣き止んだ。

 涙でうるんだ目で、きょとんと私を見つめてくる。


 彰人は感服したように肩を下げた。


「真城さんすごいね……」

「私、昔から小さい子に好かれやすいんですよ。ギャンギャン泣く赤ちゃんも、私が顔を見せたりだっこしたりすると大人しくなるんです」


 足元でクロがむにゃむにゃしゃべっている。


「魔女は動物と赤子に好かれるものにゃ」

(しーっ。クロ、今しゃべったら危ないってば)


 幸いにも、彼の話し声が聞こえなかったらしい彰人は、複雑そうな顔で見守っていた麻理恵に顔を向けた。


「いい特技だね。すごいですよね、進藤さん?」

「そうね。その子の保護者はどこにいるのかしら。迷子放送をかけてもらった方がいいかもね」


 屋台に向かって歩いていく麻理恵。クロがすっと顔を上げる。


「待つにゃ」

「え?」


 麻理恵が振り向いた途端、パンッと破裂音が響いた。

 一つ、二つ、三つ。音は鳴るごとに近くなってくる。


 ここから観覧車までの通路を歩く人々のバルーンが、奥からこちらへ、まるで道をたどって誰かが針で刺しているように割れていく。


(何が起きているの?!)


 女の子を抱えて守る私は、クロの青い瞳が光り輝いていることに気づいた。

 使い魔の魔力でバルーンを割っているのだ!


 なぜ、と思っている間に、最初に音が鳴った方から、大きなリュックを背負った若い女性が駆けてきた。


「ひなちゃんっ、ここにいたの!?」


 女の子の母親の陽だ。

 女の子が短い腕を伸ばしたので、そっと手渡す。


 母親は娘の無事を確かめるように抱きしめながら頭を下げた。


「ご迷惑をおかけしました。この子、ラビッツ君がすごく好きで、特に観覧車乗り場の絵がお気に入りなんです。いつもその前から動かないので、大丈夫だろうと少し目を離したらいなくなっていて……」


 探し回っていたら目の前のバルーンが破裂した。

 次々に割れるので追ってきたら、我が子がいたという。


 彰人は社内でよく見せているのと同じ、柔らかな笑顔を浮かべた。


「娘さんが見つかってよかったですね。お疲れでしょうから、休憩所に行きましょう。ベビーカーはいりますか?」

「折り畳みのを持ってきてるんですけど、通路に放り投げて走ってきちゃって……」


「俺が取りに行ってきます。進藤さんと真城さん、ここは頼みます」

「わかったわ。こっちで休みましょう。瑠香、これバッグね」


 押し付けたバッグを手渡して、麻理恵が母親を案内していく。

 私は、一仕事終えたとばかりに後ろ足で体をかくクロを見下ろした。


「今の、クロがやったんだよね? あんなすごいことできたんだ」


「あんなのすごいことに入らんにゃ。瑠香が魔女になれば、もっと素晴らしいことができるにゃあ。人助けもたくさんにゃ」

「そう……」


 今回はバルーンを破裂させるという荒い手法だったが、もしも魔女になればもっと穏やかな方法で母親を見つけられたかもしれない。


(おばあちゃんも魔法で人を助けていたのかな)


 魔女になれば、私も誰かの力になれるだろうか。

 仕事も恋愛もポンコツで、麻理恵のような成功者にはなれない私でも……。


 だとしても、クロの誘いに乗る勇気はまだ出ない。


 魔女の実在を信じ切れていないせいでもあるし、自分はどうせ何者にもなれないという気持ちが強すぎるせいでもある。


 ううん、私はこうやって優純不断に悩むことで、ダメな自分にしがみついているのかも。


 無能でも無名でも、あなたはそのままでいいんだよ。

 誰かにそう言ってもらえる夢を捨てきれていないのだ。たぶん。


(本当に、そんな人がいたらいいな)


『きょうりゅうバンビーノ』と比べて知名度でおとるラビッツ君にだって、ひなちゃんみたいな可愛いファンがいるんだから、私にだって。


 屋台のカウンターにいる、サンバイザーを被ったラビッツ君を見つめていると、ピンク色の折り畳みベビーカーを抱えた彰人が戻ってきた。


「女の子たちと進藤さんは?」

「先に休憩所へ。広田さん、コラボについてなんですけど」


 意を決して、彼が麻理恵と意見を交わしていた時は閉じていた口を開く。


「ラララビーランドをジャックするって話でしたよね。『きょうりゅうバンビーノ』が目立つのは当たり前ですけど、ここのキャラクターも大事にしてもらえないでしょうか。きっと、ラビッツ君たちが好きで通っている人だっていると思うんです」


 ラビッツ君たちは、老若男女さまざまな人に愛されている。

 それがまったく別のキャラクターに変わって、影も形も見えなくなってしまったら悲しむ人がいるかもしれない。


「コラボ期間はたった二か月かもしれないけれど、その間、ラビッツ君が好きなお客様に寂しい思いをさせてはいけません。プリュミエールの『可愛い商品で幸せを運ぶ』という理念からも外れます」


「キャラクターを愛する真城さんらしい意見だね。俺も同感。伝えておくよ」



 ୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧



 私の意見は対立していた両陣営に伝えられた。


 結果的に、『きょうりゅうバンビーノ』と多摩ラララビーランドのコラボは、完全ジャックではなく、ラビッツ君の村に恐竜たちがやってきたというテーマで進行されることになった。


 新規イラストを大量に描くことになった麻理恵は大変そうだけど……。


(ひなちゃんもコラボを楽しんでくれたらいいな)

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