第三章 偽・乙女恋戦鎮魂曲

第三章 偽・乙女恋戦鎮魂曲 その一



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 超喫茶エウロパといえば、二人のメイドさんが切り盛りする木造二階建ての趣ある喫茶店のことですが、自分の隠し事を文字通り隠したままにしておきたかった僕は、もう二度とその喫茶店には近づかないでおこうと心に決めていました。


 いつの日からか、女々しい僕は周囲からメメというあだ名で呼ばれるようになり、それだけならまだしも、日頃のストレスの捌け口に困っていた僕はとうとう妹のセーラー服に手を出し、偽りの女子生徒の姿でこの街を徘徊してしまいました。超喫茶エウロパの看板メイド・ライムさんは僕の正体にこそ気付いていませんが、女装した僕を恋敵として、それから、本物の僕をその恋敵の実兄と勘違いしてしまい、初対面のはずの僕に向かって、明らかに敵意剥き出しで八つ当たりをしてきました。きっとあの日、女装した僕がウエディングドレスを着ていたことが原因なのでしょう。週末の月ノ下商店街で、僕は坊君から必死に逃げ回っていましたが、彼女にはそれが意中の相手と泥棒猫による恋のランデブーに見えてしまったのです。


 誤解のないように表明しておきます。僕は普通に女の子が好きです。背が高くて、ちょっぴり勝気だけど、それ以上に優しくて、抱きつくと甘い匂いがして、何がとは言いませんが、大きくて、柔らかくて……自転車を押しながら週末の商店街を散歩していそうな女の子が、その、好みのタイプです。赤髪のメイド・イチゴさんは僕の理想に限りなく近い女性ですが、僕が女神様と称する彼女とはやはりどこか違います。その違いは言葉で説明することが難しくて……もちろん、彼女は素敵な方だと思います。僕の女神様と違って、礼節を重んじる立ち居振る舞いはまるで本物のメイドさんみたいで惚れ惚れします。メイド喫茶で働いている以上、本物も偽物もないのかもしれませんが。


 ですが、その完璧過ぎるイチゴさんの所作や言動は、一周回ってどこか無機質で、例えばファッションビルに飾られたマネキンのような、そんな偽りを感じずにはいられないのです。まるで付け入る隙のない彼女の徹底ぶりは、彼女が何か重大な秘密を隠していることを邪推させるほどでしたが、そんな僕の推測など所詮取るに足らないものですから、きっと彼女は完璧なメイドを演じるために生まれてきた人なのだろうと――僕は、以前来店した時と同じ窓際の席で、イチゴさんが配膳した完璧なコーヒーにフウフウと息を吹きかけるのでした。


「あなた、猫舌なのね」


 看板メイドのライムさんはなぜか僕の隣の席を陣取っていました。その理由は、僕と会話をするためではありません。彼女は僕に睨みを利かせた後、正面に座る意中の相手に熱視線を送り始めました。


「しかし、メメの方から相談事とは……ようやく俺もメメに恩を返す時が来たようだ」


 腕組みをする坊君は感慨深そうに言葉を噛み締めました。


「アハハ……ですけど、なぜ集合場所をこの喫茶店にしたんですか?」


「メメの相談事を立ち話で済ませるわけにはいかない。何かを語らうのに、この喫茶店は打ってつけの場所だとは思わないか?」


 僕が「……はあ」と相槌を打とうとした矢先、隣のライムさんが「そうですよね!」と激しく同意してみせました。


「メメさんは坊お兄ちゃんが毎日来店できるように、常に悩み事を抱えながら生きてください」


 ライムさんの強迫じみた台詞に苦笑いする僕は、ようやく話の本題に入ることにしました。


「相談事というのは、ほかでもない僕のことなんですけど――」


 僕は情けない前置きをした後、鞄から一枚の紙切れを取り出しました。


「今朝、この紙が僕の靴箱の中に入っていたんです」


 僕がその紙切れを机上に置くと、席に座る二人と、トレーを抱えるイチゴさんは揃ってそこに書かれた文字を覗き込みました。


「『五月某日、お前に地獄を見せる。総体はアキラメロ』……やけに汚い文字だな」


 坊君は眉間に皺を寄せます。


「ここに書かれている『総体』というのは、いわゆる運動部の大会のことだな?」


「はい。今年は五月初めの連休中に高校総体の地区予選が開催される予定です。僕は陸上部で短距離走を走っていて、一応、競技には出場することになっているんですが……」


「四月も終わりごろになって、こうして脅迫状が届いたというわけか」


 坊君の言葉に、僕は黙って頷きました。


「この『流星のヘッド』というのは、差出人のことでしょうか」


 イチゴさんは脅迫文に書かれた最後の文字を指差しました。


「流星のヘッドといえば、流星高校の不良のことじゃない?」


 ライムさんは続けて話します。


「その不良なら、この商店街で何度か見かけたことがあるわ。リーゼント頭の男で、いつも取り巻き二人を連れて歩いているの……それにしても、そんな奴に目を付けられるなんて、あなたいったい何をしたのよ」


「……僕はその人とは面識がないですし、恨みを買う理由に心当たりはありませんけど」


 僕が考え込んでいると、坊君が言います。


「リーゼント頭の不良というと、この前ゲームセンターで会った奴ではないか? ほら、メメが格闘ゲームで遊んでいる時に絡まれた相手だ」


「……僕ですか?」


「俺たちが温泉街に向かう前日のことだ。つい先週のことではないか」


 坊君は「何だ、覚えてないのか?」と少し不思議そうな顔で言いました。ゲームセンター、温泉街……どちらも身に覚えがありません。彼は、何か記憶違いをしているのではないでしょうか。


「まあ、つまらん奴のことだ。忘れてしまった方が賢明だろう」


 坊君はそう言うと、机上の脅迫状を手に取ります。


「この脅迫状、少しの間、預かっても構わないか?」


「ええ、それは構わないですけど……いったい何に使うつもりですか?」


「同輩の一人に情報通がいるのだ。おそらくあいつなら、流星のヘッドについて何か知っているに違いない」


 坊君は脅迫状をブレザーの胸ポケットにしまいました。


「ところで――」


 そして、僕の相談事が一段落したところで、坊君はイチゴさんに聞きました。


「赤髪の君は席に座らないのか? 俺の隣が空いているぞ」


「絶対に嫌です」


 イチゴさんは真顔で即答しました。まるで反抗期の妹みたいな態度ですが、つい先日、坊君から恋路の手伝いを強要されたばかりですから、心象が最悪なのは当然のことかもしれません。


「……そうか」


 どこか寂しそうな坊君はコーヒーを一息に飲み干し、それが今日の集会を解散する合図となりました。

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