第2話「一番星」
国の中心に
その天辺に吊るされた鐘が、
冥界から誘われているような低い音が、空いっぱいに広がる。
「俺たちの新たな門出に、相応しい音だな。」
「こ、この音、少し怖いです……。」
「そう怯えるな。これは新たな一歩への祝福を湛えた鐘の音だ。」
「そ、そうなんですか……?」
「そうだ。……さて、そろそろ行くか。」
「も、もう……!?」
不安を隠せない様子のセリーニが、震える足でついてくる。
「……聖域はここまでだ。この橋から一歩でも外へ出れば、星々がいる『本物の夜』が待っている。」
「は、はわ……ぁわわわ……。」
少し脅かしすぎたのか、一人だけ震源地に立たされたように震え出すセリーニ。
またスーツケースに詰めて持っていってもいいが、記念すべき第一歩だ。こいつも自分の足でこの土を踏みしめたいだろう。
俺はセリーニの前に立ち、ばさりとローブをはためかせた。
「怖いならローブの裾でも握っていろ。お前は俺の後ろについてくるだけでいい。」
セリーニは、驚いた顔で少し固まったあと、ぎゅっとローブの裾を握ると俯き気味だった顔を上げて見せた。
「い、いいえ!イリオスさんと一緒に、外に出ると決めたんです!後ろではなく、イリオスさんの隣に立ちたいんです……!」
「!」
俺はこの少女を少し見くびりすぎていたようだ。存外、度胸があるらしい。
「よく言った。それくらいでなければ今後生き残れはしないだろう。では、行くぞ。」
「あ、あのっ、イリオスさん!」
前に進もうとする俺を、セリーニは非力に引き止める。
「どうした。」
「わ、私、ずっと一人ぼっちだったから、誰かと一緒に何かをすることが無かったんですけど……その、やってみたいことがあるんです……!」
──────セリーニたっての希望により、俺とセリーニは、「せーの」で一歩を踏み出すことになった。
「よし。心の準備はいいか、セリーニ。」
「は、はぃぃ……!」
「行くぞ。」
『せーのっ……』
──────タンッ
聖域の外から出たその空には、大きな丸い真珠が浮かんでいた。
「……あれは……。」
「…………きれい…ですねぇ。」
聖域では見られなかったそれは、柔らかな光を放ち、道を優しく照らしていた。
その情景に見蕩れていると、ローブの中に違和感を感じ、我に返る。
「────……おい。」
「は、ははは、はぃぃ……。」
「隣に立ちたいんじゃなかったか。」
ローブの中に潜り込み、もぞもぞと蠢いているセリーニの襟首を掴んで引っ張り出す。
「す、すみません!でも、やっぱり怖くて……!あの、きれいで大きい、まあるいのは、一体何なんでしょうか……っ、ま、まさか、あ、ぁああ、あれが星……!?」
「……いや。あれは恐らく『月』だ。」
「え!?よ、夜の悪魔って言われていた、あ、あの!?」
「……月は、殆どの書物で『美しい女』や『大きな兎』として描かれている。しかし、ある一説では『大きな光る目』と記されていた。夜の世界では、あの目から逃れることはできないらしい。」
「そ、そんな……!じゃあ、どうすれば……!」
「安心しろ。月が人間に直接干渉することはまず無い。見詰めてくるだけなんだそうだ。それどころか、足元を照らしてくれている。有り難いことだ。この光を頼りに移動するぞ。」
「えっ……ええっ、ど、どこに行くかは決まっているんですか?」
「ああ。目指すは隣国、海の国『タラッサ』だ。」
「タラッサ……。」
俺たちは月明かりを頼りに、潮風の吹いてくる方角へと歩を進めた。
「────はあ、はあ……。」
「……大丈夫か、お前。」
「は、はぃぃ……、なんだか、目の前がくらくらするけれど、元気です……。」
「それを人は元気じゃないって言うんだよ。……さっきから山がちな地形のせいで坂ばかり歩いていたからな。少し休むか。」
「う、うう、すみません……私、体力がなくて……!」
「いい。なんならまた入るか。」
俺は持っていたスーツケースを開いて見せた。
「うっ……!で、できればもう、その中には……!」
「なんだ、狭かったか。」
「い、いえ、狭かったというか、揺れたというか、気持ち悪かったというか……。」
どうやらセリーニは揺れただけでも体調を崩すらしい。繊細な奴は大変だな。
そう考えながら休めそうな場所を探していると、大木のそばに小さな洞窟があるのを見つけた。
「セリーニ、あそこなら比較的安全に休めるかも知れない。」
「あそこって……ええ!あの穴のことですか!? い、いかにも何かいそうですけど……。」
「大丈夫だ。居たとしても獣か虫だろ。」
「ちっとも大丈夫じゃないですぅ……。」
「熊だったら昔、城に迷い込んだ奴を退治したことがある。だから心配するな。」
「く、熊さんを!?すごい!私、イリオスさんを信じます……!」
…………まあ、子熊だったがな。
セリーナが放つ尊敬の眼差しを横目に、すたすたと洞窟の方へ歩いていく。マッチで松明に火をつけると、辺りに柔らかい明かりが広がった。
洞窟の入口を抜けると、内部は思ったよりも広く、奥まで続いている。壁は何かで磨かれたように滑らかで、ところどころ美しく輝いていた。
「わあ、なんだかふしぎな洞穴ですね。」
「……ああ。特にこのきらきらと光る部分、これは一体…。」
輝きを放つ部分に松明を近づけ、仔細に眺めてみると壁に何かが埋まっているのがわかる。もしかすると、鉱物のようなものかもしれない。
「セリーニ、この松明を持っていろ。」
「は、はい!」
セリーニに松明を手渡すと、スーツケースの中に入れていた工具箱から小さめのピッケルを取り出す。それを壁に何度か突き立てると、鉱物のようなものは簡単に削り出せた。
手に取ると、それは丁度手のひらほどの大きさで、扇のような形をしている。その表面は美しい白金色の光を反射し、思わず見入ってしまった。厚みは思ったよりも薄く、少し透けて見えるほどである。しかし、ピッケルで削り出した後だというのに傷一つついていない。かなりの硬度なのだろう。
視界の端でぴょこぴょこと飛び跳ねているセリーニは、どうやらこれが気になるらしい。
「おい、あまり激しく動くな。その松明は小さい。火が消えてしまうだろう。」
「はっ、す、すみません!どうしても気になってしまって……。」
「……ほら、これをやるから落ち着け。」
俺は手に持っていた鉱物をセリーニに渡した。
「えっ……い、いいんですか⁉」
「いい。こんなに沢山あるんだ。採り放題だしな。」
「これを、沢山集めるのですか?」
「俺たちは旅人だ。自給自足にも限界がある。立ち寄った国で売れそうなものがあれば、集めておくべきだろう。こんなに美しければ装飾品などに使えるはずだ。それも頑丈ときた。きっと高値で売れるぞ。」
「さ、さすがイリオスさん!そんなことまで考えて……!すごい、すごいです……!」
セリーニは感動に打ち震えながら瞳を輝かせる。
「わ、私も頑張って手伝いま……あびゃ!」
意気衝天といった様子で一歩踏み出したセリーニだったが、何もない場所で滑り、転倒した。
セリーニの手から投げ出された松明を、俺が素早く受け止める。
「ううう、痛い……!痛いです……!これが労働するということの大変さなのですね…!」
「お前はまだ何もしとらんだろう。」
いいから灯りを持って座っていろ。とセリーニに伝え、俺は一人で採掘し始めた。
ピッケルが岩を打つ音が、洞窟中に響く。岩を削り割る心地よい感覚が手に伝わった。
「いい音ですね、イリオスさん。」
「そうだな。」
「なんだか岩がおうたをうたっているみたいです。」
「そうか。」
「うふふ、私もうたいたくなってきちゃいました。」
そう言うと、セリーニは唄を口ずさみはじめた。
我こそは この山の主
卑しき 人の子たちよ
この巣穴に 入ったが最後
お前たちは 我が血肉となり
骨すら 残らぬ 運命よ
俺はその詩を聴くなり、夢中に掘っていた手を止め、セリーニの方へゆっくりと視線をうつす。
「……?どうしたんですか。イリオスさん。」
幼気な笑みを浮かべるセリーニの背後、松明の灯りも届かない暗闇の奥には、確かに今の唄を唄った主がいた。
「セリーニ、伏せろ!」
「え⁉は、はい!」
俺が咄嗟に投げたピッケルは、セリーニの髪を掠め、後ろの何かに当たる。
途端に、洞窟の中は大きく揺れ始め、セリーニの後ろから獣が呻くような声がした。
「セリーニ!はやくこっちへ来い!」
「ひ、ひい……はいぃ……!」
半ば転がるように駆け寄ってきたセリーニを受け止めると、後ろに隠れているよう指示を出す。目の前にいる者の姿を捉えようと松明を持った手を伸ばすも、未だ松明の灯りが届く範囲には出てこない。しかし、肌が粟立つほどの強い殺気は、依然として俺たちを腹におさめようとする強い意志を感じさせた。
「み、見えないです!くまさんですか……!?おおかみさんですか……!?」
「……。」
俺はそれが何者なのかを知るため、マッチを一本擦り、洞窟の奥に投げ込む。
その瞬間、目の前に広がった光景を見て、俺たちは息を呑んだ。
一言で表すならそれは、「口内」。
「まさか…………、この洞窟自体が生きているのか……!」
「ど、どうくつさんってことですか──っ⁉」
六角窓の星書 王水 @pinnsetto87653
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