六角窓の星書

王水

第1話「六角窓の星書」

その昔、人々は『星』を恐れていた。



──────いいかい、イリオス。

夜に外へ出ると、星々の忌諱ききに触れるからね。

絶対に、ここから出てはいけないよ。



それは、この世界の誰もが幼い頃から言いきかせられてきた話。そして皆、それを受け入れ、従い、信じている。

その眼で確かめたことなど、一度も無いというのに。








「なあイリオス、本当に行くのかよ。」


「お前もしつこい奴だな、カイロス。行くと言ったら行く。俺はどんな話もこの眼で確かめるまでは信じない主義なんだ。」


夜色に包まれゆく白亜の城。

その城門で密談する二人の青年は、この国の門守かどもりを務める衛兵だった。


「しかしなあ、本当に何かあったらどうするんだよ。陛下の元、この聖域城の中で護られながら暮らしていた方が安全だって。いくらお前が頑丈だろうと、言伝えに出てくるような『火の海嘯かいしょう』や『異形の巨人』には敵うまい。」


「さてね。やってみないと分からんこともあるさ。」


「……まったく。お前は昔から身も頭も堅くって感心するよ。」


「お褒めに預かり光栄だ。」


友から放たれた皮肉など露ほども気にせず、身支度を進めるイリオスを見て、カイロスは深い溜息を吐く。


「俺が心配しているのはお前のことだけじゃあないんだぞ、イリオス。」


「なんだ、セリーニのことか。」


「そうだよ。あの嬢ちゃん、身よりもない上に教会エクレシアでは虐められているんだろう。あの子、お前にだけは妙に懐いていたから、もしもの事があればきっと悲しむぞ。」


イリオスはその言葉を背中で受けとめると、いつもと変わらぬ能面のような顔をカイロスに向けた。


「その点は心配ない。から。」


その言葉に続けて、ぱかりと開けられた大きなスーツケースの中には、白とも銀ともとれない美しい髪色をした少女が一人、小さくなって納まっていた。


「──────……は?」





時は一月前に遡る。


親に捨てられ、教会に育てられた俺は毎日毎日「聖書」を読まされ、この世界の「夜」の恐ろしさや、「星の伝承」を言い聞かせられながら育ってきた。


しかし、俺には「聖書」も「言伝え」も「説教」も、全てが疑わしく見えていた。


例えば聖書には、「『太陽』という始祖の神が、白日に我々人間を生み出し、『月』という夜の悪魔が、『星』と呼ばれる数々の魔物を生み出した。」なんてことが書かれている。


しかし、今まで一度もそんな魔物は見たことが無い上に、あまりにも非現実的だ。根拠も証拠もない話など、自分の目で見て身体で感じて確かめない限りは、信じることができない。そんな捻くれた人間だった。


俺はそんな疑心を糧に、「夜の世界」や「星の伝承」への関心を膨らませ、様々な書物を読み漁った。いずれ本だけでは満足できなくなり、自分の目で夜の世界を見たいと思うようになっていった。

そんな時、友人のカイロスが城門を守る衛兵になるということを耳にし、自分も共に「門守かどもり」となることを決意。その後、教会を出ることになったのだ。


なったのだが…………。


「──────……はあ。」


暗幕を幾重にも重ねたような夜。窓の内側からもれる光がその闇に溶けていくのを眺めて、読みかけの本を閉じた。


「どうした、イリオス。腹でも痛いのか。もう交代の時間だし、早めに寝たらどうだ。」


「いいや。この眼で言伝えの真偽を確かめるべく、門守になったはいいものの……結局は室内で窓から城門の外を眺めているだけ。しかも暗くて何も見えないんじゃあ、あまり意味が無かったなあと感傷に浸っていただけだ。」


「なんだ、まだそんなことを言っていたのか。俺はてっきり、お前が俺とずっと一緒に居たくてついてきたのかと思っていた。」


「そんな訳があるか、気色悪い。」


「酷い言い草だな。もっと言葉を選べよ。」


「……まあ、お前が居てくれてよかったとは思っているさ。」


「はは、どうだか。……しかし、なぜお前の実力で門守なのかと疑問には思っていたが、まさか星愛好趣味のためだったとはな。」


その言葉に、俺は眉をつりあげた。「星愛好趣味」なんて、人聞きの悪い。それじゃあ まるで俺が変態みたいだろう。


「俺は別にが好きなわけじゃあないと、何度言ったらわかる。」


「はいはい、分かってるよ。『真偽を確かめるためにしっかり読み込まないといけない』んだよな。」


「そうだ。そもそもこんなもの、未だ信じていない。」


「異教徒め……。あ、そういえば、この前教会に帰って顔を見せた時、司祭様がお前のことを心配していたぞ。随分帰っていないそうじゃないか。たまにはその元気そうな面を見せに行ってやれよ。」


司祭様は心配性で、父親のように接してくれる優しい人だ。しかし、どうもあの距離感が苦手で俺はうまく関われなかったのを覚えている。


「……ああ……。数年後そのうちな。」


「そう言うな。お前が食いつきそうな面白い話もあったぞ。」


「……なんだ、言ってみろ。」


このカイロスとは教会で育てられた孤児仲間で、幼い頃からの腐れ縁だ。俺のことはよく知っているので、こいつの言う「お前が食いつきそう」という言葉は信頼に値する。

カイロスはそんな俺の内心を見透かしているかのように、得意げな顔をして言った。


「なんでも、新しい孤児をひきとったそうなんだが、なかなか周りに馴染めずに虐められているんだとさ。」


「それで。」


「奇妙なことに、その子ども、よく教会の六角窓あたりで変な唄を唄うんだってさ。」


「……それで。」


「そしてなんと……今まで見たことの無い、星に関する謎の本を持っているらしい。」


「……!」


司祭様でさえ見たことが無い、星に関する謎の本。

それは、確かに行かねばなるまい。

何を隠そうこのイリオスは、星に関する書物、通称「星書」に目がないのだ。

俺は早急に荷物をまとめると、ローブを羽織り、ストールを肩にかけた。


「でかしたぞ、カイロス。さっそく行ってくる。」


「は?いや、お前、仕事は。」


頓狂な顔で俺に問うカイロス。それを尻目にドアノブへ手をかける。


「後は任せた。では。」


「イリオス──────!?!!」


多少は悪いと思っておこう。だが、仕事中にこんな話をもちだしてくるカイロスもカイロスだな。俺のことだ、こうなることは分かっていただろうに。


そんなことを考えながら、常夜灯に照らされた仄明るい道をかけてゆく。屋根もなく、上を見上げれば暗い空が広がるここは、一見外のようにも思えるが、陛下が聖力せいりきによって護ってくださっている聖域城の中だ。


ここでいうとは、中心部の高い塔をもつ建物だけではなく、城壁に囲まれたこの国全体を指す。つまり、この国「エレノア」は、城塞国家なのだ。

そしてその名前のとおり、エレノアは今夜も美しい白璧を輝かせ、国民を安心させていた。


十字路を抜けて、高架橋をくぐると、美しい湖が見えてくる。

その向う側に、俺の実家とも言える教会がひっそりと佇んでいた。


「懐かしいな。よくカイロスをこの湖に落としたっけ。」


最低な独り言を呟きながら湖を横切っている最中、涼やかな風にのって、微かに聞こえた誰かの声に足を止めた。


「……♫……♩……」


うまく聞き取れないが、それが唄声であることに気づき、カイロスから聞いた話を思い起こす。


────その子ども、よく教会の六角窓あたりで変な唄を唄うんだってさ。


もしや、と逸る気持ちを抑えて、驚かせぬよう教会の裏にある六角窓へと進んだ。


アイビーの葉がよく映える漆喰の壁から、目線を上にあげると少し縦に長い六角形の窓がある。そこに、その少女は居た。


灯りの少ない場所だと言うのに、輝いて見える髪と瞳。美しく透き通った心に触れる歌声。窓から投げ出された足は、楽しそうにリズムを刻んでいる。


その詞に耳を傾けてみると、子どもが唄うには少し難しく、聖歌とも思えない不思議なものだった。


──────貴方を待っているわ

この瞳に 孕んだ光が 再び輝く日まで

幾度 深い海に 突き落とされ 天地を忘れても

泡にのって 波にのって 唄い続ける

貴方のもとへ この唄が届くまで


唄い終わった少女は、その唄の意味を理解したかのように、一筋の涙を流した。小夜風がその滴を攫い、柔らかに波打つ髪を撫でる。

どこか現実離れしたその情景に目を奪われていると、少女の手元にある本が目にとまった。


題名は書かれていないように見える。

表紙には吸い込まれるような黒を称えた六角窓。彼女の髪と同じく、不思議な白銀しろがね色の小口染めが施された装丁。


この本が俺の求めていたものだと、直感で分かった。


「───その本、渡してもらおうか。」


「わ、わっ、わあ──────!?」


矢庭に見知らぬ男から話しかけられた少女は、驚きのあまり重心を失った様子で、窓から落下する。その高さ、およそ8m。

普通の男であればあれを受け止めれば一溜りもないだろう。

だがこのイリオス、赤子の頃から一切怪我なし、病気なし。強健の代名詞、剛健の化身と呼ばれた男。8m落下してきた少女星書を受け止めることなど、造作もない。


どさ──────っ……


「わ……えっ……い、生きてる……!?すごいっ……!」


俺を下敷きにして、命が助かった彼女は、涙を流して喜んだ。その直後、自分の下で潰れている俺に気付き、更に泣きわめく。


「い、いやぁー!!?泥棒さん!?死なないでください!!わ、わた、私のせいで泥棒さんがあ!」


大粒の涙と鼻水を垂れ流しながら俺を心配する少女。俺はむくりと起き上がり、彼女に語りかける。


「あのなあ。興奮のあまり挨拶を忘れた俺も悪いが、『泥棒さん』は無いだろう。俺はイリオスだ。あんたは。」


「えっ!?えっ!?生きてる!!良かったあ……。あ、ど、泥棒さんじゃ、無いんですね。ごめんなさい。あ、あの、私、……セリーニって、いいます……。」


少女は言いづらそうに自分の名を口にした。

それもそのはず、セリーニといえば、「月」を意味する名前だ。聖書では悪魔扱い。忌み嫌われる存在である。この髪と瞳に、この名前、そして夜な夜な六角窓で唄を唄い、不気味な本を持ち歩いているとなると、虐められるのも納得がいく。

まあ、そんなことはどうでもいい。俺はこの星書さえ手に入ればそれでいいのだ。


「あ、あの……お怪我は……。」


「無い。」


「え!!」


「それより、その本を寄越せ。」


「え!?」


「安心しろ、怪しい者ではない。」


「えっ……。」


セリーニは明らかに怪訝そうな目で俺を見詰めている。我ながら説得力に欠ける出会いだったと反省はしたものの、過ぎたことはどうにもならない。無理やりにでも信用させるほかないだろう。

そう考えながら見詰め返していると、セリーニが震えながら口を開いた。


「あ、あぁ、あの、ごめんなさいっ、この本は、私の唯一のお友達でっ……!だから、その、渡せないんですっ……。」


「本が……友達……?」


「あっ、わっ……気持ち悪いですよね……でも本当でっ……私にはこの本からおうたが聴こえて、それで、いつも一緒にうたって、楽しくて……!えっと……!」


これだけ怯えている中、嘘をつく度胸があるようには見えない。そんな様子でもない。


「さっき、唄っていた唄も、その本と一緒に唄っていたのか。」


「は、はいっ……。」


「見せてみろ。」


「あ!?」


俺はセリーニの手から無理やり本を奪い取ると、一頁目を開いてみた。


「──────白紙……。」


なんということだ。星書だと言うからわざわざ走って来たというのに。

そう一瞬落胆したものの、あの時の直感は確かなものだ。おそらくこれが、俺の求めていた本なのだ。そしてこのセリーニとかいう少女の奇妙な言動。何かあるに違いない。そうだ、この本の唄が聴こえるということは……。


「おい、まさか、お前はこの本が読めるのか。」


セリーニは、きょとんとした顔で答える。


「いいえ、文字はちょっと……。」


─────二度目の落胆。


「じゃあ、何故この本がだと分かったんだっ……!?」


悲しみに崩れ落ちながら最後の疑問を投げかけた。


「『せいしょ』……?」


「星に関する書物のことだ……!又聞きではあるが、ここの司祭から『星書をもつ少女がいる』ということを聞いてきたんだ!」


「……あっ……あのおうたのこと、かも……。」


「どのおうただ……っ!?」


「い、いつも、この本がうたっているおうたがあるんです。えっと確か……


───我は星を封ずる本

星詠みと 星狩りの 揃う時

その力は 明らかになる

この世の全ての星を 封ぜし時

夜の全ては 汝のものとなり

この世の全てが手に入るだろう


……という、おうたです……!」


「…………。」


「あ、あの……?イリオスさん?」


言葉を失うほど、興奮したのは初めてだった。

今迄にない速さで全身に血が駆け巡り、目の前には不思議な光が散らばっているように感じた。

やはり、俺の直感は正しかった。

とんでもない本と少女に、俺は出会ったのだ。


「おい、セリーニと言ったか。」


「あ、は、はいぃ……。」


「俺にはお前が必要だ。この本を手放せないと言うのなら、お前ごと この本が欲しい。」


「えっ……ええっ──────!?」


「どうせ教会ここに居るってことは、身よりもないんだろ。毎日三食昼寝付きで、どうだ。」


「わ……えっ……っ……は、はい!」


セリーニは顔を真っ赤にして震えながらも、大きく首を縦に振った。


「よし、決まりだな。お前も身支度や心の準備があるだろう。一月後、また迎えにくる。身の回りの大切な物と、もう戻って来れないという覚悟をもって待っていろ。」


「は、はい……!!!」





「──────で、今に至るというわけだ。」


「いやいやいやいやいやいや。」


一連の流れを聞き終えたカイロスは、勢いよく首を横に振った。


「な、何でだ!?セリーニ、君はそれで良いのか!?こいつ、さっきも『持っていく』って言ってたし、明らかに君のことを人として扱っていないぞ!?イリオスお前も!!ただでさえヤバい奴なのに、幼女なんて連れて変な本持ってたらもう完璧だぞ!?完璧なヤバい奴だからな!!!」


「おい、失礼だろ。言葉を選べよ。」


「わ、私は、それでも、『必要』って言ってくれたイリオスさんについていきたいんです……。これまでそんなこと、言われたことが無くて、自分の居場所なんて何処にもないって思っていたのに、イリオスさんは、私に居場所をくれて……!」


セリーニはいつもの様に大粒の涙を瞳から零した。


「あ、泣かせた。」


「え、俺!?」


慌てふためくカイロスの肩に手を置き、その目をまっすぐ射抜く。


「とにかく、心配するな。セリーニのことは命にかえても守る。そして俺はヤバい奴にも故人にもならない。じゃないとが完成しないからな。」


カイロスは暫く頭を抱えて唸ったあと、諦めたように笑った。


「はは、まあ、何言っても変わらないことは分かってたよ。お前は昔からそういう奴だ。」


「おう。」


「たまには、その面見せに帰ってこいよ。」


「おう。数年後そのうちな。」


こうして、太陽イリオスセリーニによる星探しの旅が始まった。

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