第18話


衝撃波が窓を軋ませ、鳴り響かせる。

『なんだ……?爆発?』

ロント子爵は窓の外を覗いた。


そこには、普段なら夜景があった。

中心街に立ち並ぶ薄灰色のビルから溢れる光が集まり、真っ黒な空に星空の代わりの光が灯っている。


だが、子爵が見たのものは違った。

本来、そこに広がっているはずの夜景を、黒い柱が割っていた。


その根本は、この屋敷の近く……正門の辺りから煙が上がっている。



『……襲撃のようです。避難してください。』


耳元取り付けた通信機に手を当て、警備が混乱する様子を聞いていたロント子爵の秘書であるシフは、今起きている状況を察すると、ロント子爵を見て言った。


子爵は"襲撃"という単語に一瞬戸惑う様子を見せるが、直ぐにシフの言葉に応えた。

『襲撃……?分かった。会場に向かえば良いか?』


『いえ、此処からであれば書斎の方に向かいましょう。

あそこなら安全を確保出来ます。』






薄い硝子の外側で閃光が走る。

銃声が鳴るたびに、1人、また1人と誰かが命を散らす。

屋敷の周囲には……死の危険が限りなく希薄になったこの時代において、殆ど遭遇するはずのなく、似つかわしくない死の香りが広がっていた。


そこから離れるべく、ロント子爵とその第一秘書であるシフは廊下を進む。


数十秒後、ロント子爵は一つの扉の前に立ち、それを開けた。



この部屋が書斎だった。

アンティーク調の模様が入ったワイン色の壁紙と、黒檀の調度品で彩られたその部屋は、一見、ただの書斎に見えた。

だが、そうではないという事を子爵は知っていた。

その部屋には窓が無かった。

一般的に窓がなければ室内の空気が澱み、室内環境に悪い影響を与える。

なので"部屋"という物には基本的に窓が存在する物だが、この部屋にはそれが無い。

だが、この部屋にはそれを設けなかった。

これは決して設計ミスではない。



この部屋が存在する区画の壁は、周囲の構造体を支えるための柱としての機能を付与されるとともに、非常事態発生時に避難先として使用できるように鋼材と厚いコンクリート壁によって覆われていた。

外部から迫る危険から逃れる為のシェルターとして。


銃撃や爆発に耐えられるように作られたこの区画に入れば、一旦は安全を確保できる。

"非常事態"とは勿論、今のような状況だ。


子爵は書斎の中に入るや否や内線電話に手を取り、警備室に連絡を取ろうとする。


数コール後に警備室の内線と繋がった。


『此方、警備保安室』

それは聞き慣れた男の声だった。

子爵はこの屋敷の警備員を管理している40代後半の警備主任の顔を思い浮かべながら、言った。

『トラフ!私だ。何が起きた?』



『ご無事でしたか!直ぐに護衛をそちらに……』




『護衛はいらん。それより今の状況を知りたい。一体何が起きたのだ?』

受話器越し伝わってくる警備主任の言葉を制止しながら、ロント子爵は問う。






警備主任の口から語られたのは、この惨劇の始まりだった。



事の始まりは爆発だった。

ロント子爵の要望で市内に敷かれた警察の規制線を破った一台のバンが正門に突っ込んだのだ。


それだけなら、検問を突破するという判断を下す様な馬鹿な一般人が起こした、ただの事故だったと可能性もあった。


だが、その可能性は消えた。

正門に突っ込んだバンは爆発した。

推定重量数十キロの高性能爆薬による爆発は周囲の構造物を薙ぎ払い、地面に大穴を穿った。


周りに居た、多くの人々を巻き込みながら。





シフと共に自身の書斎に逃げ込んだロント子爵は、この話を内線電話越しに警備主任から聞いた時、膝から崩れ落ちそうになった。


『大丈夫ですか?』と電話越しに聞こえる警備主任の声になんとか応えようと、目眩を堪えながら受話器に向かって言った。


『あぁ、私は大丈夫だ。それより、カルロスはまだ戻っていないのだな?』


警備主任は言った。

『はい、未だ安否の確認が取れておりません。

こちらの安全は確保した為、何名かを捜索に割り当てております』




『分かった。引き続き、客人の安全確保に努めてくれ』

そう警備主任に伝えると、ロント子爵は受話器を置き、書斎に置かれていた椅子に腰掛けた。

今の子爵に出来る事は無かった。

彼自身、戦闘経験なんて物は殆どない。

仮に此処から出て行った所で、今もこの屋敷の安全を確保しようとしている警備員達のお荷物になる事は、分かりきっていた。


だが、沸々と湧き上がる焦燥感は抑えきれない。

ふと、子爵の口から一つの名前がこぼれ落ちた。

『リコ……』

子爵の視線は書斎に置かれていた写真立てには、子爵に良く似た20代の男が写っていた。


ロント子爵ハビエル=ソルトには、"リコ"という名前の息子が居た。

自慢の息子だった。

自分には過ぎた息子だと思う事すらあった。

そんな息子も年月が過ぎる事に大きくなり、遂には伴侶を見つけ、家庭を築くようになった。


ハビエルは2人の結婚式の事を、まるで昨日の事の様に思い出せた。

幸せそうに笑う新郎新婦の姿を見て、


だが、そんな幸福は続かなかった。

それは、月の無い暗い夜……今日のような日の事だった。


ハビエルが机で書類仕事をしている時に突然、この内線電話のベルが鳴り響いたのだ。


広い屋敷の中で物事を円滑に進めようと思うとこのような連絡手段はあった方が良い。

だからハビエルは内線電話を屋敷のあちこちに設置し、使用人達にも積極的に活用する様にお触れを出していた。

だから、この書斎の内線電話が鳴り響く事自体はよくある事だった。


だから視線を机の上の書類に向けながら何気なく受話器を取ったのだ。



それは、リコが襲撃されたという第一報だった。


慌てて病院に駆けつけたハビエルが通された先にあった物は、既に布を被された息子夫婦の姿だった。


リコは殺された。

夫婦で病院から帰宅している最中に、身体に爆弾を巻きつけた男がリコ達が乗る車の前に飛び出し、そのまま爆発したのだ。

明確にリコ達を目標とした計画的な犯行。

だが、それを実行した犯人の動機は今だにはっきりとはしていない。



当時、議会ではフィデリス人を優遇する政策が立て続けに提出され、地方のデテラ人を中心に大きな反発が発生し、一部では暴動や人種を背景とした殺傷事件などが発生していた為、この事件も、その様な事件の一つだと推測されていた。


だが、ハビエルにはそんな事はどうでも良かった。

ハビエルに息子を失った悲しみと共に遺されたものがあった。


2人が遺した1人の子供……カルロスだった。


カルロスが生き残ったのは奇跡だった。

瀕死の母親の体内から取り上げる形で救い出された孫は、そのような境遇を気にする素振りも見せず、すくすくと育ってくれた。

カルロスがハビエルのどの宝よりも価値のある物に変わるまで、そう時間は掛からなかった。


ハビエルはカルロスの身を案じていた。

あの子は無事だろうか?

そう思い始めたらもうダメだった。

どんどんと悪い予測を立ててしまう。


しかし、次の瞬間には、その思考の循環は断ち切られた。


『子爵、落ち着いてください。カルロス様は無事ですよ。』

シフはハビエルを宥める様に、そう言った。

書斎に置かれたハビエルのデスクの上に腰を下ろしながら。


ハビエルが知る"シフ"という男は、この様な事は決してしなかった。


『お前は……誰だ?』

ハビエルは目を細めた。



男は何処からか取り出した短い魔術杖をクルクルと指で回しながら、ニヤリと笑った。


『貴方達のファンですよ。表で銃をぶっ放している連中アンチとは違う。』




***************




物置として使われている部屋の一角


『うぉぁあ?!!』


私は驚きの余り、後ろの家具にぶつかって転びそうになった。


そこにあった物は、人間の身体。

年齢は30代。パーティー参加者が着るようなスーツを身に付けた灰色の髪の男性だった。


『し、死体?なんでこんな場所に!』


『馬鹿!見つかったらどうするんだ!』

悲鳴に似た声で反応するカリスに、シメオンは慌てる。



再び激しく脈打つ心臓を抑えながら、私は男性の身体に触れた。

……暖かい……脈もある。

私は唾を飲み込むと、周囲の子達に伝わる様に、はっきりと言った。

『……この人、生きてるよ』


『本当?……シフさん?!大丈夫ですか。』

カリスは恐る恐る、男性の身体を揺らした。


反応は無い。

『カリス、交代。』

見かけたシメオンがカリスの隣にしゃがみ込むと、『……おい、大丈夫か?』と声をかけながらゆさゆさと強く揺さぶった。


それでも、シフと呼ばれた男性は意識を取り戻す気配はなかった。

外傷でもあるのだろうか?

そう考えた私はそっと、男性の頭や首に手を沿わせる。

何か見つかるかもしれないと考えたのだ。

この考えは当たっていた。

だが、それは傷でも皮下血腫たんこぶでも無かった。

実際に肌を撫でる様に探っていると、首元に、"何か"が刺さっている事に気が付いた。

その"何か"は直径3cmほどの円形を模った平たい金属製の物で、肌に触れている部分から伸びた鋭く細い針で吸着していた。


……私は"それ"に心当たりがあった。


『多分……これで起きるよ』

そう周りに告げながら、私は"それ"と皮膚の間に爪を差し込みながら摘むと、勢いよく引き"それ"を剥がした。


次の瞬間、シフの目がゆっくりと目を見開いた。

『ここは……』


『シフさん!!大丈夫?』


シフはそう呟きながら、周りを見ようと首を動かす。

男性の声を聞いた瞬間、カルロス達が男性が起き上がるのを手伝おうとする。


『……よかった、起きてくれて』


まだ完全には覚醒していないが、意識を取り戻した男性を前に私はホッと息を吐きながら、掌に乗っている"それ"を見た。

"それ"は、認知機能マスキングと呼ばれる技術を用いた物品だった。


人間を含む動物は、目や耳などの感覚器官を介して外の状況を知り、感覚器官で得た情報を基に、脳などの中枢神経系で判断を下す。

認知機能マスキングは、その感覚器官と中枢神経系の繋がりを断ち、対象者に外部の情報を含む様々な情報を認識出来なくする技術のことだ。


目の前ある金属片は恐らく……いや、ほぼ確実に一般に出回る様な物では無かった。

民間では痛み止めとして用いされる事もある技術だが、この男性の様子を見る限り、そんな中途半端な物では無かった。

第二帝国でも諸王国連合でも流通が規制される様な強力な品だ。


私は自分のハンカチでそれを包むと、ポケットの中へと仕舞った。

あまり持ち運びたい物では無かったが仕方ない。

放置して何処かに無くすよりはいいだろう。






話を男性へと戻す。



私達4人が見つけた男性……シフは認識機能マスキングの後遺症である頭痛が、ある程度収まり始めた頃に、カリスはシフに聞いた。


『シフさん!何があったんですか?』


シフは混乱した記憶を掘り起こそうと少し考えた後、答える。

『シメオンさまから預かった杖を隠そうと、この部屋に入ったら、何者かに背後から襲われ……いつの間にか気を失っておりました。』


シフの言葉を聞いた瞬間、私はハッと窓際に残された足跡を見た。

周囲の湿り気は消え、乾き切った土だけが残ったそれは、その足跡の古さを示していた。


あの時点で、既に誰かがこの屋敷に入り込んでいたのだ。


再び激しく脈打とうとする胸を抑え、落ち着こうとする中、シフは続けて言った。

『……カルロス様。何が起きているのですか?子爵様は無事でしょうか?』



私達は返答に困りお互いに見遣った。

私達も今の状況を詳しく知っている訳ではない。

見知った幾つかの状況証拠から漠然とした予想を立てただけだ。

それを言っていいのか、私達にはわからなかった。

不正確な事は言わない方がいいのだろうが、訴えかけるようなシフの視線に耐えきれ無かった。

数秒の沈黙の後、カルロスは応えた。

『誰かがこの屋敷を襲撃しているみたいだけど、詳しい事は何もわからない。

ただ、遊んでいる最中に戦闘用のホムンクルスに襲われたから、僕達も此処に逃げ込んだ』



『戦闘用ホムンクルス……?まさかそんな……』


信じられないという風な顔をするシフに、カリスが切に訴える。


『本当です!避難しようとしていた時に、筋肉が付いた骸骨みたいなのが窓を突き破って入ってきたんです!』


『襲撃してきた奴らは、シャスールを大量に使って屋敷の警備を突破した。もう屋敷の中にまで入り込んでいるぜ』

シメオンはそれに静かに同意しながら言った。


私達の話を聞いたシフは、眉間を押さえながら数秒黙り込んだ後、静かに問う。


『……子爵様は……どちらに?』



『会場の方は無事だから。そこに居るなら大丈夫だけど……』

私達は、その問いにそう答える事しか出来なかった。


シフは耳元に手を当て何かを確認する様な仕草を一瞬見せたが、次の瞬間には力無く手を垂らし、頭を抱えながら座り込んだ。


『この状況で、無事を祈るしか出来ないとは……』

シフは無力感を悔やむ様に言った。


『お爺ちゃんは大丈夫だよ。昔から逃げるのは得意だったって言ってたし、今回もきっと』

カルロスはシフに寄り添う。

シフはただ、『申し訳ありません』とだけ、静かに言った。


外ではまだ、銃声が鳴り響いていた。

子爵を探しに行くにはあまりにも危険だ。

出歩くにしても、せめて武器くらいは持ち歩きたい状況ではあるが、残念ながら此処に武器になりそうな物もない。


……いや、一つだけあるにはあった。


私は視線を床への向けた。


真鍮色の鎌に似た長い杖……魔術杖が其処にあった。


パッと見た感じ、古くはあるものの、私が普段ミヒェルさんから借りている古典的……いや、骨董品……ボロボロの杖ではなく、此処十数年以内に作成された近代的な物の様に見える。

勿論、あのボロと違って魔力変換効率も高い筈だから、だいぶ楽に使えるし、これを使えば、襲撃者に対して抵抗くらいは出来る筈だ。


"力量さえ伴えば"という但し書きが付き纏ってしまうが。


……当然だが、私は自信が無い。


私の実力は、同年代平均よりは遥かに上だという自覚こそあるものの、実際の戦闘で使えるかと問われると私は無理だと答える。


理由は複数ある。

一つは、私と同じ年頃の子供が使える魔術なんてたいした事無いという事実。

当然だ。

6〜7歳に、そんな高水準を求める人間なんて、滅多に居ない。


もう一つは相手の実力……大量の戦闘用ホムンクルスに指令を送っている魔術師や、銃を撃ちまくっている襲撃犯達の技量の高さ。


大量のホムンクルスを同時に操作しているという事実が、その魔術師の力を暗に示しているのもそうだが、銃を撃っている非魔術師の襲撃犯も明らかに何かしらの訓練を受けた人間の動きをしていた。



私には、それらに勝てる自信は……あんまり無かった。

でも……


『『『……レイラ?』ちゃん?』』

3人が同時に私の事を呼んだ。


雲の合間から再び見え始めた月明かりが、真鍮色の杖を鮮やかに輝かせる。

私は、そっと床に転がっていた杖を拾い上げ、コツンと軽く床を突いた。

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