第5話

これはあの遊園地での事件から数週間が経過した後の話。

私、レイラ=クロフォードは家のリビングで1人、ぼんやりとソファーに座っていた。

家に私とマーガレットさん以外誰もおらず、そのマーガレットさんも洗濯室に篭っている。

母からは無理のない範囲で勉強をしておきなさいと言われ、未就学児向けの初等科目の本を渡されているが、あの記憶の影響もあってか、すらすらと解けてしまう為、早々に飽きて辞めてしまった。

そして、今の私の関心は一つに注がれていた。


『………本当に……あの記憶の中で起きた出来事は起こるのかな』


14歳の時の話だった。

帝国から諸王国連合に親善訪問中だった第三皇女が暗殺された事を発端に、両国の関係は急速に悪化、遂には200年ぶりの全面対決を始めるに至った。

最初の数年は民間人だった私達にはなんの影響も無かったが、次第に近所でも徴兵される人が増え始め、16歳の頃に父が遂に連れて行かれ、その年の内に戦死の知らせが家族へと届いた。

18の頃、帝国は硬直した戦線を打開する作戦として、南部国境からの大規模侵攻を活策、遂にこの街も戦火に襲われてしまった。

西方への脱出の為に街外に繋がる道路や空港に人々が殺到し、穏やかだった街は混沌に飲まれた。

私達は祖父が経営していた空運会社が保有する飛行船に乗り込めた為、なんとか脱出出来たが、諸王国連合領空に侵入していた帝国の飛行船から攻撃され墜落。

1週間後、西方の都市クリスタロの病院で私は1人、目を覚ました。

そう、私は1人だけ生き残ってしまった。


その頃には諸王国連合の地方では反乱が相次ぎ、遂には革命軍を名乗って陸路で避難中だった都市部住民や農民を襲ったり、それらに巻き込まれた亜人の部族が人間に対して攻撃を仕掛ける様になったり、国内は何もかもは滅茶苦茶になっていた。

噂では帝国も似た様な状況らしく、皇室の誰かがクーデターを起こして皇帝を処刑したり、この混沌は大陸中に広がっていた。


絶望、恐怖、憎しみ、悲しみ、怒り。

ありとあらゆる負の感情が入り混じった世界。

またあんな目に遭うかもしれない……

それだけは絶対に嫌だった。

そもそも、何故あんな事が起きたのだろうか。

どうやったら回避できるの?

それだけは、あの記憶の中にも答えはなかった。


『……よし!』

私は勢いよくソファーから立ち上がると、そのまま二階の自室へと駆け上がる。

今の私に出来る事はそう多くない。

ならば出来る事を増やしていくしかない。

当ては……全く無い訳でなかった。

私はリュックサックに荷物を詰め込み始める。

暫く家には帰ってこないつもりだ。

行き先は母の実家。

つまり私のもう1人のお爺ちゃんの家。

数日分の着替えを詰め込むと暫く家を出るという趣旨の手紙を書き、ダイニングテーブルの上に置いた。

準備は完了。

靴を履き終え、無言で出ていくのは気が引けたから、元気よく挨拶をしながら出掛ける事にした。

扉を勢いよく開け放ちながら私は外へと足を踏み出す。

『行ってきまーぁ……………ぁーー』

元気の良かった声は段々と先細りしていき、遂には消えてしまった。

玄関を開けると目の前には丁度帰宅してきた父と母が2人揃って立っていた。

『あれ、レイラ何処かに出掛けるのかい?………大荷物を背負って』

『……レイラ、その荷物はなにかしら?』


『えーっと……これは深いワケがあって……』

出鼻をくじかれた私は視線を泳がせる事しか出来なかった。

こうして、人生初の家出は僅か数秒で中止を余儀なくされてしまった。



数分後、ダイニングテーブルを挟んだ向かい側に座る両親を前にして私は何も言い出せず、両親は両親で私の顔をじっと見つめるだけで何も言わず、この気まずい空間が数分に渡り続いていた。


『……ご、ごめんなさい』

この状況下に耐えきれなくなった私が捻り出せた言葉はたったこれだけだった。


私の謝罪を聞いた2人は母は溜め息を吐き、父は苦笑いを見せる。

そして父は漸く口を開いた。

『……レイラ、どうして家出なんてしようとしたんだい?パパとママが嫌いになった?』

『……』

何か他の理由を言って誤魔化す事も考えていたが、やはり両親に嘘は付けないと悟った私は、正直に話す事にした。

『……ミヒェルお爺ちゃんに魔術を教えてもらおうと思って……』


それを聞いた母の顔に困惑の色が浮かぶ。

父は優しい声色で再び尋ねる。

『………ミヒェルさんに?』


私はゆっくり頷いた。


ミヒェル= エルヴェシウス

あの記憶の私も、この人に関しては殆ど何も知らなかった。

何故かこの人に私は一度も会ったことが無く、私が会ったことの無い祖父の存在を知った頃にはこの人は死亡していた。

知っている事は精々3つ。

・下級貴族として何かしらの爵位を持っている事。

・今から6年後に亡くなった事。

・そして、優秀な魔術師だったという事

両親が何故困惑しているのかは理解出来る。

一度も話した事が無い筈の祖父の名前を私が知っているのか?

いや、名前以前に2人は一度もこの人の存在を私達に語った事はなかった。

にも関わらず、私はミヒェルさんの存在を知っていた。

怪訝な表情を浮かべる2人に対して私は尋ねる。

『なんでもう1人のお爺ちゃんの事は秘密にしていたの?』


『それは……』

父はまるで母に言っていいのか尋ねるように母をチラリと見た。

母は決して視線を合わせず、ただ、テーブルの上に置かれた自分の手を見つめる。

肯定も否定しない母の態度に父は一瞬言い淀むが結局、意を決して話し始めた。

『……ママはミヒェルお爺ちゃんの事が嫌いなんだよ。』






此処からは私も初めて聞いた話ばかりだった。


母の実家であるエルヴェシウス家は元々は一般的な貴族のイメージと同様、かなりのお金持ちだったらしい。

だが、1910年から帝国と始まった戦争、所謂『大戦』の影響を受け、保有していた資産の多くを様々な理由で失い、手元に残っていたのは莫大な借金だけだった。

端的にいえば、エルヴェシウス家は没落してしまった。

そして以来、資金繰りに窮するようになったエルヴェシウス家は唯一の資産、他の貴族家に対するコネを使って市民階級の資産家から資金を集めるようになった。


資産家からの多額の寄付と引き換えに親交のある貴族家に紹介を行い、資産家は紹介を元に貴族相手の取引先や販路を拡大する。

勿論、ただ紹介するだけでは相手の貴族はその資産家を信用なんてしない。

だからこそ、エルヴェシウス家はもう少し踏み込んだ方法で相手を信用させた。

その資産家の一族との政略結婚を行い、その資産家一族をエルヴェシウス家の親族と位置付けたのだ。

私の父と母の結婚もエルヴェシウス家が取っていた政略結婚政策の一環だったそうだ。


父方の祖父であるバーナード=クロフォードと母方の祖父であるミヒェル= エルヴェシウスが決めた縁談に対して、私の母であるケイトは強く抵抗した。

私の父親であるサイラスとの結婚自体が嫌だった訳ではない。

まるで自分を売り物として売り払うような構図其の物に強い忌避感を持ったのだ。

しかし、母の抵抗も虚しく、祖父の説得されやむを得ず、結婚するに至った。

それ以来、母は自身の父親に対して嫌悪感を抱き、家を出て以来一切顔を合わせていなかったらしい。

私達にエルヴェシウス家の存在を知らせなかったのも、私達が祖父に会いたがる様になると困るから知らせない様にしていたとか。




『………聞かなきゃよかった』


父と母の話を静かに聞き終えた私はそう思った。

まさか祖父の話がこんなに重い話になるとは思っていなかったのだ。


父親は母を宥めながら廊下に向かって話す。


『マーガレットさん、2時間くらいレイラを連れて出掛けて来てくれないかな。』

『はいはい、勿論行かせていただきますよ。

ささ、レイラお嬢様、早く準備をしましょう♪』

最初より気まずい雰囲気になった食堂の扉が開くと使用人のマーガレットさんがにこやかな笑顔を浮かべながら手招きをし始める。

父は私を見ると申し訳なさそうに言った。

『レイラごめん、少しだけお出かけして来てくれるかな……?』


『……分かった』

私は静かに食堂から出て行った。





私はマーガレットさんが運転する乗用車の助手席から、ぼんやりと周囲を風景を眺めていた。

色々な物が窓の向こうを通り過ぎるのに私の目には何一つ残らなかった。

何処から上の空な私に対して

マーガレットさんが話をして来た。

『レイラお嬢様は悪くありませんよ。

私達がなにもお嬢様達にお伝えしてこなかったからこそ起きてしまった事です。』


『……マーガレットさんは知ってたんだ。』

私は窓の向こうを見ながら呟いた。


『ええ、私はケイト様がクロフォード家に嫁がれる際に従者として一緒に移った者ですから』


『そうなんだ』

私はたった一言だけ返すと再び黙り込んでしまった。


私達の乗用車はビルの隙間を縫うように進み、郊外に向かっていた。

ビルは段々と低くなり、人気も少なくなっていく。


『……ねぇ、何処に向かっているの?

全然知らない所に向かってる気がするけど』

てっきり市内のショッピングモールに向かっているのだとばかり思っていた私は、車が全く違う方向へと進んでいることに気がつくとマーガレットさんに何度か行き先を尋ねる。

だけど、マーガレットさんはこういう答えを返すばかりだった

『ふふふ、それは後でお教えしますから。』

『あとちょっとの辛抱ですよ♪』


車はヴィアースブルク郊外にある林の中を15分ほど進んだところで停止した。

車を降りて周囲を見回すと、辺りは林の中というだけあって木、木、木、時々草。

人工物らしき物は何も見えなかった。

……いや、此処から更に100mほど進んだ場所に屋根みたいな物が見えた。


『ささ、行きましょう。』

私はマーガレットさんに手を引かれながら林道を進む。

林道を進むにつれ屋根は段々と大きくなり、その正体をはっきりと見せ始めた。

19世紀くらいに作られてそうなデザインの古いお屋敷。

マーガレットさんに連れられるがまま、所々蔦に覆われたその屋敷の裏手に回ると其処にはテニスコートくらいの広さの広場が広がっており、その中心に白い東屋がぽつりと建っていた。


『お久しゅうございます♪9年ぶりでしょうか?随分とお老けになられましたね?』

マーガレットさんは東屋の中に居る人物に対して声を掛けながらどんどんと近付いて行く。

東屋には還暦を迎えているであろう男性が一人、静かに佇んでいた。

老人は私達の存在に気がつくとゆっくりと私達の方を見遣ると、低く良く通る声でマーガレットさんに尋ねた。


『お前も9年経ってだいぶ老けたと思ったが、中身は相変わらずだなマーガレット。その子は誰だ?』


『ケイト様の二人目のお子様でございますよ。

少し前に5歳になられました。

ほら、お嬢様もご挨拶をしましょう♪』


『えっ?ちょまっ』

老人はマーガレットさんに前に押し出された私の顔にその視線を移した。


私はこの老人を鷹みたいな人だと思った。

老人とは思えない鋭い視線。

まるで私を見定める様にその視線が注がれる中、私は自己紹介をした。


『れ、レイラ=クロフォードです……ちょっと前に5歳になりました。』


そして、眉一つ動かさず、私を見つめ続ける老人に対して私は思い切って話しかける。


『あの……!貴方のお名前を教えて頂いてもよろしいいで………しょうか……?』


老人は直ぐには応えなかった。

しばらく緊張でおかしくなっている私の様子を吟味する様に眺めた後に満足したのか、漸くその口を開いた。


『……私はミヒェル= レーヴヒ=エルヴェシウス。

ヴァロア王から男爵の爵位を頂いている者だ。

初めまして、レイラ嬢』

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