第3話 『無音の舞妓』

 祇園南側の花見小路、夜十一時。

 

 スマホ片手にシャッターを切る真島優斗は、ふと、静寂の中に“違和感”を覚えた。


 舞妓がいた。

 白塗りの顔、赤と金の華やかな着物。だが――音が、しない。

 石畳の上を歩いているのに、草履の音も、衣擦れも、まったく聞こえない。


 その異様さに気づいた時にはもう遅かった。


「すみません、写真一枚だけ――」


 

 優斗がそう声をかけた瞬間、舞妓はぴたりと止まり、ぬるりとこちらを振り向いた。

 真っ白な顔、真っ赤な口紅で貼りつけた笑み。そして、死んだような目。



 ぞっとして後ずさったとき、スマホの画面がノイズで真っ黒になり、自動でカメラアプリが起動。


 そこに映っていたのは――自分の背後で笑う舞妓の姿だった。


 叫んでスマホを落とし、慌てて走って逃げ出す優斗。

 だが、どこまで逃げても、背後に気配がついてくる。

 音はない。だが、いる。確かにいる。




 優斗はマンションに帰り、ドアを三重にロックし、布団をかぶった。

「……夢だ、あんなの、気のせいだ……」


 

 だが翌朝、スマホのフォルダを確認すると、カメラロールに奇妙な連写が保存されていた。


 そのうちの2枚には、確かに――自分の背後に立つ舞妓が、微笑んで写っていた。


 そして、その日の夜。


 風呂場の鏡に映った自分の背後に、また、あの舞妓がいた。今度は、手を伸ばしている。



 優斗は震えながら、ネットを検索した。

「舞妓 幽霊 無音」「花見小路 井戸 失踪事件」


 出てきたのは、80年以上前に起きた事件だった。


 “梅弥”という舞妓が、嵐の夜に失踪し、裏路地の井戸で発見された。

 足には草履の緒の痕。自力で立てないようにされた後、生きたまま沈められたという噂。


 以降、夜中にその井戸の上で足音のしない舞妓が目撃されるようになった。


「三度、写真に写されることで“彼女”は完全に戻ってくる」




 あと1枚――あと1回、彼女が写り込めば、優斗は“交換”される。



 翌日、優斗はすべての写真を削除し、スマホを初期化し、鏡を覆い、家から一歩も出なかった。


 そして、その夜も、何も起きなかった。


 だが、3日後。

 旧友からLINEが届いた。


「お前がくれた京都の夜景写真、いいなコレ。女の人が写ってるやつ、雰囲気あって最高。

三枚とも保存しといたわ」


 写真が、送られてきた。


 一枚目。石畳の路地。

 二枚目。ぼんやり浮かぶ舞妓の姿。

 三枚目――



 振り返った優斗の背後に、満面の笑みの舞妓が、真後ろにいた。


 LINEの最後に、友人がつけた言葉。


「……あれ? お前、顔、こんな感じだったっけ?」


 


 その夜以降、優斗は姿を消した。

 代わりに、祇園の路地にはもう一人、無音の舞妓が現れるようになった。


 そして今も、深夜の花見小路には貼り紙がある。


「夜間、写真撮影はご遠慮ください。

音のしない舞妓を見かけたら――絶対に、声をかけないでください」

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