ニーナ・ハートウェル
「ルーナ危ないっ!」
クロトの声が聞こえたかと思ったと同時に、オウルベアの悲鳴のような声が上がった。
あたしは恐る恐る目を開けると、そこには剣を構えたクロトと、彼に右腕を斬り落とされたとと思われるオウルベアの姿があった。
「クロト……?」
「ルーナ!訓練を思い出せっ!こういう時のための訓練だっ!遊びで参加していた訳じゃないだろっ!?」
今までの訓練……?
そうだ……!あたしだって遊びで訓練に参加していた訳じゃないっ!
あたしは、目を見開き、オウルベアを見据えると剣を握る手に力を込める。
すると先ほどまで鉛のように重たかった身体が嘘のように、軽くなっていくのを感じた。
これならいけるっ!
「はあぁぁっ!!」
あたしは剣を構えてオウルベアへ向かって走り出すと、 オウルベアは残った左腕をあたしへと目掛けて振り下ろしてくる。
そう、あれはオウルベアの腕ではなく相手の剣……!
剣なら弾くか避ければいいっ!
でも、走っている中で避けるのはバランスを崩しかねない……。
ならばっ!
「たりゃあぁぁっ!!」
あたしは剣を振り上げると、オウルベアの左腕を斬り落とす。
左腕までも失ったオウルベアは呻き声のようなものをあげ、前のめりに倒れるとその隙をついてあたしは剣を振り下ろしオウルベアの首を斬り落とした!
首を斬られたオウルベアはそのまま前へと力なく倒れ、それと同時に斬り落とした首が地面へと落ちた。
「はぁ……はぁ……やった……」
あたしは肩で息をしながらその場にへたり込むと、クロトがあたしの元へと駆け寄ってきた。
「ルーナ!大丈夫かっ!?」
「うん、大丈夫。ちょっと疲れたけど……」
そう言ってあたしはクロトに向かって笑って見せた。
「そうか……良かった」
あたしはクロトの言葉に安堵し、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、再び手や足が、そして身体中がガタガタと震えだしていた。
「あ……あれ……?おかしいな……今頃になって身体の震えが止まらない……」
あたしは手にしていた剣を手放し、身体を擦るもその震えは止まらない。
「ルーナ、お前は今、生まれて初めて"恐怖"と言うものを知ったんだ」
「恐怖……?そんな、訓練ではそんなの全く感じたことなかったのに……」
「木剣を使った訓練や試合では命のやりとりと言うのは行われない。しかし、オウルベアと対峙した時、ルーナは命の危険を、死の恐怖と言うのを初めて感じた筈だ。」
「死の恐怖……」
そう言えば、オウルベアのあの鋭い爪を見た時、本能的に怖いと感じた……。
あれが恐怖……。
「人は本能的に身の危険を感じると恐怖というものを感じる。だが、それは決して悪いことじゃない。寧ろ恐怖も知らず無鉄砲に突っ込んでいく奴が真っ先に死ぬんだ。」
「……あたし、あのオウルベアの鋭い爪を見た時、本当に怖かったわ。身体が鉛のように重くなり、まるで石になったかのように動けなくなっていた」
あたしは未だに恐怖で震えている自分の手を見つめながら答えた。
今は手を動かそうと思えば動くし、握ることも出来る。
でも、あの時は本当に身体が石になったかのように動かすことが出来なかった。
「それは正しい反応だ。だが、恐怖を知ったのなら今度はそれを乗り越えなければならない。ルーナは今恐怖を知った。なら次はそれを乗り越え我がものとして勇気を身につけること、そうすればルーナはさらに強くなれるはずだ」
「恐怖を勇気に……」
「そうだ。……ルーナ、立てるか?」
「うん、ありがとう」
いつの間にか身体の震えが治まっていたあたしは、クロトから差し伸べられた手を取ると、立ち上がり剣を鞘へと収めた。
そして、倒れているオウルベアへと目を向けると、もう既に絶命し、ピクリとも動かなくなっている。
もし、クロトが来てくれるのがもう少し遅かったら……、今頃死んでいたのはオウルベアじゃなくてあたしだったかも知れない。
そう思うと本当にゾッとする。
「……そうだ!あの女の子はっ!?」
あたしは思い出したかのように周囲を見渡すと、木の陰に隠れて様子を窺っている女の子の姿があった。
良かった、無事だったんだ……。
あたしは女の子を驚かせないようにゆっくりと歩いて女の子へと近付き、彼女の背の高さになるようにしゃがみ込むと、笑顔を彼女へと向けた。
「もう大丈夫よ。あの悪い熊さんはこのお姉ちゃんと向こうにいるお兄ちゃんがやっつけたわ」
「ほ……ほんと……?」
「ええ、本当よ。ねぇ、もしよかったらお名前教えてくれるかしら?」
「に……ニーナ・ハートウェル……」
「ニーナちゃんか……可愛い名前ね。私はルーナって言うの。よろしくね」
そう言ってあたしが手を差し出すと、彼女は一瞬戸惑ったような表情を浮かべたが、すぐにその小さな手であたしの手を握り返してくれた。
「うんっ!」
「ニーナちゃんはどうして森の中にいたの?」
「ニーナ……こじいんをぬけだしてここにあそびにきたの……。そしたら、あのクマさんが……」
そう言ってニーナはオウルベアへと目を向けた。
その目には余程怖かったのか、沢山の涙を滲ませていた。
この辺りには魔物があまり生息していないとクロトも言ってたけど、あんな魔物がいた以上こんな小さな女の子が一人森の中に置いていくのは危険ね……。
「そう……でももう大丈夫よ」
あたしがそう言うと彼女は安心したのか、あたしの胸に抱きついてきたのだった。
「ルーナおねえちゃんありがとう……!」
「どういたしまして。それより、いつまでもここにいては危険よ。お姉ちゃんと一緒に街へと戻りましょ」
「うん!」
ニーナは涙を拭うと笑顔で頷き、あたしの手をぎゅっと握ってきた。
本当に可愛い子……。
「それじゃあ、クロト。この娘の事もあるし街へ帰りましょ」
「ああ、そうだな」
あたしは立ち上がると、ニーナと手を繋いだまま街へと戻ることにしたのだった。
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