Ⅱ-7.気付いて、傷つけて②

 朝日が昇り、満身創痍のヨッカはテネスと別れてCGGに向かって走って行った。一方のテネスの向かう先は摩天らしい。


 私はオパエツと共に家に戻り、それから互いに自分の部屋に戻って泥のように眠った。


 精神的にも肉体的にも参っていて、殆ど気絶に近かった。


 目が覚めたのは、音の濁流が耳を叩いたせいだった。


 突き刺さるような強烈な音――皿が割れるような音と甲高い悲鳴にも似た金切り声、そして腹に響く低い怒声の三つの音が、私の部屋の外、一階のリビングから聞こえた。


 私は飛び起きて、階段を駆け下りた。


 夕日の差し込むリビングではオパエツとマレニが立ったまま睨み合っていた。オパエツの前にはテーブルの上で食べかけのまま置かれたスパゲッティがあった。カウンターキッチンの端に立つマレニの足下には割れた皿と恐らくそこに乗っていたであろう、テーブルの上にあるのと同じスパゲッティが、見るも無惨に散乱していた。


 二人は黙ったまま私の方を見た。


 私はすかさず言葉を投げかけた。


「なにしてるの、二人とも」

「それはこっちの台詞だよ」


 マレニが震えた声で呟いた。


「イヨ、部屋に戻ってろ」

「なんで? 私はイヨにも訊きたいよ」


 マレニがオパエツを言葉の上で圧倒する。オパエツは舌打ちだけして、口ごもった。


「訊きたいって、なに? マレニ」

「二人は私に隠れてどこかに行ってたんだよね? 朝早くかな。私になんにも相談しないで。私、朝ご飯とお昼ご飯作ったのにさ。いらないのかな。ナナナのご飯じゃないから、駄目なのかな」

「ちょっと待って、マレニ。ご飯のことは本当にごめん。私たち、本当に疲れてて」

「馬鹿っ」


 オパエツが叫ぶより早く、マレニは足下の皿の破片をスリッパで勢いよく踏みつけた。スパゲッティのミートソースが辺りに飛び散る。


「やっぱり二人で行ってたんじゃん。オパエツの嘘つき」


 オパエツは強く歯噛みして、私を睨んだ。大体の状況を理解した。オパエツも今さっき起きて、夕飯を作るマレニと鉢合わせしたのだろう。ご飯が食べられていないことを知ったマレニがオパエツを問い詰め、オパエツはヨッカの件をまるごとマレニには隠そうとした。何かの口論になって、激化したところに私が起きてきて、今の状況なんだ。


 私ができることは、ひとつしかなかった。


「マレニ、ごめん。マレニがいつも料理作ってくれるのには本当に感謝してる。不満はないよ。あるはずない」

「私は、みんなの健康のことを考えて……」

「うん、ありがとう。本当に助かってるよ」

「本当に? 本当にちゃんと、作れてる?」

「うん。本当」

「じゃあ、正直に教えて。二人は私に内緒で、何してたの?」


 マレニはミートソースの付いたスリッパで私のもとまで歩み寄り、私を見下ろした。


 嘘を吐くという選択肢は無かった。


「気を確かに聞いてほしい。ヨッカが今、とても危険な状況にある」


 私の視界の端で、オパエツが口惜しそうに目を逸らした。


 マレニは目を丸くして、首を傾げた。


「危険? 危険って、どういうこと? 死んじゃうの?」

「死なせない」


 私は殊更強く言い切った。


「そのために、私とオパエツはヨッカのことを調べていたの。マレニに話せなかったのは、マレニがナナナのこと、まだ立ち直れてないと思ったから、ごめん」


 マレニは俯き、一歩二歩と後退した。


「ヨッカが危ないときに、私は何も出来なかった。また死んじゃうの? もう嫌だ。もう嫌なの。もう誰も死んでほしくないのに、どうして!」

「マレニっ」


 私は動転するマレニを宥めようと手を伸ばし、だが反射的に引っ込めてしまった。


 マレニは後退したままテーブルに腰をぶつけ、テーブルの上のスパゲッティを皿ごと床にぶちまけた。


「嫌だ。もう嫌だ」

「だから話すべきじゃなかったんだ」


 オパエツの怒号が私の理性の糸をぷつりと切った。


「嘘を吐いて話を拗れさせたのはオパエツでしょ」

「もうみんな死ぬんだ! 私のせいだ。私のせいで」

「うるせぇな!」


 リビングの扉を蹴破って入ってきたのは顔に絆創膏をいくつも貼ったヨッカだった。私たち三人はヨッカに視線を奪われ、声を失った。


「誰が死ぬって? 物騒な話してるな」

「イヨとオパエツが、ヨッカが死ぬって」


 マレニは、私たちが本人の目を逃れて調べていたことを容易くヨッカに伝えた。私はオパエツと視線を合わせるのを歯を食いしばって我慢した。


「は? なんで俺が死ぬんだよ」


 ヨッカが本気で私とオパエツに対して凄む。私が言い訳を考えているうちに、今度はオパエツが捲し立てた。


「オマエが摩天のやつと朝の殴り合いをしているのを俺たちは見たんだよ」


 オパエツは隠すのを止めた。


 無理もなかった。一度嘘を吐いてマレニを怒らせ、ヨッカから目の前で凄まれれば、隠しごとをする度胸は誰にもない。


「グレイズダンサーが殴り合いとは、プライドってもんが無いのかね?」


 オパエツはヨッカを煽ったが、その声にはいつものような張りがなかった。ヨッカは顔色ひとつ変えず、一笑に付した。


「悪い。何言ってんのか分かんねぇ。とりあえずこのスパゲッティ片付けていいか?」

「その絆創膏のキズが何よりの証拠だろ」


 オパエツが指差したヨッカのキズを見て、マレニは唾を飲んだ。


 だがやはり、ヨッカが動じることはなかった。


「ナナナが死んで一ヶ月が経ったんだ。町中の模人が次々に死んでいる。だから俺は早く人間にならなきゃいけないんだ。最近、お前たちは何かしていたのか?」


 オパエツは全身が力んで、痙攣が出ていた。


「貴様の言う人間になるというのは」

「オパエツ、もう止めよう」


 『44HP』の話をしても、マレニが心配するだけだった。それがまたマレニへの隠しごとになってしまっても、私の目の前で今の彼女にそれを教えることは、させられなかった。


 なにより、今のヨッカは明らかに正しいことしか言っていない。オパエツに勝ち目はなかった。


 オパエツは自分の歯が砕けるほど噛みしめて、顔を真っ赤にしながら部屋へと戻っていった。


「イヨ、掃除手伝ってくれるか」


 私は断れるはずもなく、肯いた。


 掃除をしながら、マレニは呟いた。


「ねぇ、ヨッカ。ヨッカは死なない?」

「あぁ。もう誰も死なせはしないさ」

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