Ⅰ-4.家族選挙④

 風呂から上がった私は、自分の部屋に戻って、書きかけのオパエツの絵の前に座った。さすがにこれから絵を描く気はなかったけれど、イーゼルに掛けられた絵の前は、私のお気に入りの場所のひとつだった。


 部屋の扉がノックされて、返事をした。


 立っていたのはナナナだった。


「さっきの家族選挙の話、ちょっといい?」


 私は少し考えてから、ナナナを部屋に招いた。


「ベッドに座っていいよ。自分の部屋にみたいに寛いでよ」

「うん。遠慮なく」


 そう言いつつ、ナナナは両足を揃えて、ベッドの端にちょこなんと座った。


「いやぁ、ヨッカが当選したね。負けちゃったな。どうだった? 結構みんな雰囲気変わってびっくりしなかった?」

「うん。ヨッカもオパエツもマレニも、いつもとちょっと違って、緊張感があったかな」

「そうだよね。私、ヨッカが私の絵の話したの、すごくびっくりしてさ。私、ヨッカはあの絵のこと怒ってるって思ってたのに、いい話するなぁって。あんな話してもらったら、もしかしたら私が選ばれちゃうんじゃないかなって、少し思っちゃったんだよね。次はがんばろー」

「イヨ、当選する気、なかったよね」


 ナナナからの突然の指摘に、私は顔がこわばった。何より、ナナナの目は身体の芯が凍るほど冷たくて、言葉を返せなかった。


「僕の勘違いだったらごめん。でも、もしそうなら、理由を教えて欲しい。オパエツみたいに、人間になる以外に楽しい目的があるの? それとも、街にいるヒトたちみたいに本当は人間になるってどうでもいいと思ってる?」


 その哀しそうなナナナの目を前に、私が隠しごとをする選択肢はなかった。


「本当に純粋に、私は相応しくないって思ってる。私はまだ、人間になれてないと思う」

「ヨッカは、イヨの絵を褒めていたよ」

「まだ足りない。あれは確かに、これまで私が描いたことがなかった『目の前に対象がないで描いた作品』。目の前にあるものしか描けなかった私にしては一歩成長したかもしれないけど、それだって、時差はあれど一度は『目の前にあった対象』を描いただけだよ。模写したのと変わらない」

「でも、イヨはあの日の中で、あの負ける瞬間のヨッカを描きたかったんだよね? あの日だけじゃない。昔あったことをあんなに精緻に描けるイヨは、あの日のあの瞬間を描きたかったんでしょ? それってさ、すごい、素敵なことなんじゃないかな」


 ナナナは立ち上がり、私の肩を掴んだ。


 瞬間、防衛反応で私とナナナは同極の磁石のように弾かれた。私は椅子からバランスを崩し、オパエツの絵が掛かったイーゼルに頭から突っ込んだ。


 ナナナはベッドに倒れ込んだ。


「ナナナ、どうしたの、怖いよ」


 私はキャンバスを壁に立てかけ、イーゼルを畳んだ。両肩はまだ痺れるけれど、それどころではなかった。


 床にしゃがみこんだまま、ベッドの方を見ると、ナナナは両手を震わせながら、ゆっくりと上半身を起こした。


「……ごめん。なんか、うん。どうしても、伝えておこうと思って。焦っちゃった」

「ナナナ……?」


 ナナナはそのままベッドから起き上がり、扉に手を掛けた。


「僕はね、イヨに投票したんだ。あの絵で、確信したんだ。イヨならきっとできるって」


 ナナナは首を少し傾けて、座り込む私を見た。


「だから、自信を持って。きみの絵は素敵だから」


 そう言って、ナナナは私の部屋を出て行った。


 そして翌日、私たちはヨッカの採掘挑戦が終わった後、ナナナを失うことになる。

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