アープラ課題部7/13〆分 テーマ:蝉

フー

Sem I woh am U ?

 「なんで7月に蝉を探しに行かなきゃいけないんだ」とぶつぶつ言いながら僕は炎天下、網を片手に彷徨っている。傍から見ればこんな若者は完全に不審者だが待ってほしい、これには経緯というものがあるのだ。


 「蝉を探してこい」と探検部部長にして敬愛すべき我らが先輩、久留米光は宣った。ちなみに我らと書いたが部員は僕、飯田多聞の1人しかいない。先輩が言った意味を理解する前に、僕は虫捕り網を押し付けられ部室から追い出されてしまった。あまりに突然の事だったからスマホもテーブルに置きっぱなしだ。一体全体どういう事なんだ。勤勉で怠惰な先輩の事だからどうせ冷房を独占したいとかそんなところだろう。部室棟はひどく古く、冷房は全然効かない。こんな夏日に複数人がいると部屋の温度が上がってしまうのだ。


 それにしても暑い。7月でこの暑さなんて地球はどうなってしまったんだ。環境問題に対する意識なんて人並みにしかない僕だが、ここまで暑いと地球温暖化を推し進めている超大国の人間を殴りたくなってくる。先輩も、太陽も、超大国の人間も、何もかもに腹を立てて汗だくになりながら半日を使って得た成果はゼロ、何の成果も得られませんでした。そもそも蝉の声がしないのだ。鳴き声が存在しない所にどうして蝉が存在しようか、いやまぁ存在してもいいか。やばい、だんだん暑さで頭がおかしくなってきた。大学構内はPayPayで済むから最近財布を持ち歩いていないのだ。蝉取りがミイラになる前に部室へ戻らなくては。


 「やぁ、成果はどうだった?」探検部の部室へ入ると、先輩が気だるげに尋ねてきた。1匹も見つかりませんでしたよと返すと、まぁそうだろうなと気のない言葉を返してくる。僕は綿が飛び出たソファに横たわる先輩の頭に無言で網を振るった。

「危ないじゃないか。それに私は蝉ではないぞ」

「鳴くかなと思いまして」

「そうかな?なかなか私が驚かない事は周知じゃなかったかな?カナカナカナ」…うぜぇ。

テーブルからスマホを掴み取って踵を返す。一刻も早く冷たい飲み物を喉に流し込んでシャワーを浴びたい。

「お疲れ。お駄賃だ」

先輩は冷蔵庫を開けると日本語が一切書かれていない瓶を僕に放った。慌てて受け取り訝しげに尋ねる。

「何すかこれ」

「ネパールビールだ、なかなか珍しい逸品だよ」

1日探し回って報酬がこれかよ、と憎まれ口を叩きそうになったが、もうそれどころではなかった。今日はこれで失礼しますと言いながら僕は自販機へ走り出す。後ろから先輩の声が聞こえた気がした。


 自宅へ帰ってシャワーを浴びた後、先輩に貰った瓶ビールを飲もうと冷蔵庫から取り出した。栓を開ける、つもりで栓抜きに力を込めた、ところで栓は吹き飛び、僕と僕の部屋はネパールビールによるシャンパンシャワーで捕獲率0.00達成の祝福を受けた。…僕はしばらく虚空を見つめた後、バスタオルを取りに再び脱衣所へ向かった。


 「タブンくん、蝉の旬はいつだと思う?」

先輩がそう尋ねてきたのは翌日、僕がレポートを書いている時だった。僕の名前はたもんなのだが、先輩は頑なにタブンくんと呼び続けている。そんな先輩の方へ目を向けると、彼女は南アジアの丸っこい文字で書かれた本をパラパラと捲っていた。今日は日が陰っているため冷房がそこそこ効いており、追い出される心配はなさそうだ。

「え?…8月中旬とかじゃないんですか?夏真っ盛りというか」

「甘いね、タブンくん。それでは蝉の旬の旬を捉え切れていない。君は昨日の探索の際、地面を見たかね?」

「いや、木に蝉が付いてないか探してました。あと蝉の声がしないかは注意してました」

タブンくんはタブンくんだね、と苦笑いしながら先輩は立ち上がり、冷蔵庫へ向かった。扉の中は缶コーヒーやら瓶ビールやら炭酸水のペットボトルやらがぎゅう詰めになっている。そこから1本缶コーヒーを取り出し、僕に放り投げながら先輩は言った。

「金曜日20時、部室棟前に集合だ。蝉の旬を捕らえに行こう」

はぁ、と気の抜けた返事をしながら僕は受け取った缶コーヒーを口にする。先輩は上機嫌に付け加えた。

「よろしい。…ああ、その缶コーヒーは金曜奉仕の前払いな」

…はめられた。


 夜が降りてくる。近所のドラッグストアで虫除けスプレーとコーヒーを買って部室棟へと向かう。探検部の窓は常にカーテンが閉じられているが、そこから黄白色の灯りが漏れている。閑散とした玄関ロビーを通り抜けて三階の部室へ続く階段を昇って行く。建て付けが悪く確実に軋んでしまうドアをそっと開けると、先輩は特殊部隊のような出で立ちで本を読んでいた。僕たちは一体何を捕まえに行くんだ?

「こんばんは素晴らしいセミ解禁だ、借金して一式揃えてしまったよ。なかなか似合うだろう?」

先輩の嬉しそうな様子にはあ、こんばんはと返す。昼間でなくて良かった。先輩の隣を歩くのは大変光栄だが、この格好は勘弁願いたい。先輩は読んでいた本、荘子、を机に置くと、僕にケースを渡し、炭酸水を片手に歩き出す。虫捕り網はいいんですかと尋ねると、先輩はそんな物は要らない、旬の旬の蝉にはそれに応じたやり方があるんだ、タブンくんにもその醍醐味ってヤツを教えてやろうと上機嫌に宣った。何だか限り無く嫌な予感と何かが起こりそうな高揚感と共に僕は先輩の後をついて外へ出た。


 狩り場は学校敷地内にある林だった。膨大な敷地を誇る弊大学の辺境、つまり文化部の溜まり場の隣には、手付かずと言えば聞こえが良いがつまり放置された雑木林が広がっている。その中を先輩は暗視ゴーグルを付けてずんずん進む。僕は先輩が切り開いた道をついて行く。月明かりが僅かに足元を照らしている。しばらく歩くと先輩が歩みを止めて、木の幹を指さした。

「どうだい、なかなかなものだろう?」

確かに先輩が言う通り、それは神秘性を伴う光景だった。蝉の幼虫がまさに羽化しようとしている。植物の発芽を感じさせるような、そんな生命の発露を感じる。先輩が旬の旬と言ったのも頷ける。僕がその美しい白い芽に見入っていると、先輩は素手でむんずと掴んで僕へと差し出した。

「え?どうするんですか?これ」

どうするって、と先輩はにこやかに宣言する。その表情は特大のカブトムシを捕まえた少年のようだった。

「食べるに決まってるだろう。さあ、捕まえまくってかき揚げを作るぞ!」

…僕はあの日缶コーヒーを受け取ったことを猛烈に後悔した。

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