プロジェクト・マーキュリー:エンバーミング

反田種苗

第1話

「私は、死後も永遠に美しくありたい」

仕事帰りの薄闇の道で、モルダートと名乗った男は、初対面の私にそう言った。


街灯は当の昔に死んだ時代の遺物。曇り空の下、赤い瞳は夜でもその色を失わず、オールバックに撫でつけた銀髪はわずかな夜光をゆるやかに返す。

服は黒――たぶん。私も黒い服を着ているから、余計にそう思える。


夢想家(ロマンサー)みたいだな、と思ったが口には出さない。

「えっと……」

どこから突っ込めばいいのか分からない。

“死後”という言葉。私の職業をかじった程度の知識だろう。

“永遠”という言葉。だが理解は浅く、断片が妙な形で混ざっている。


「君の仕事を見た。凝り性(アーティスト)の君に、私の死体を手がけてもらいたい」

距離を詰めてくる。美形といって差し支えない顔立ちだが、生気がない。白すぎる肌。

なのに話しぶりは快活で、酔客のような軽さがある。

ふと、こちらから名乗っていないことを思い出した。

「まだ名乗っていませんでした。リゼッタ・ハイウォーターです。」

「リゼッタ・ハイウォーター、か。由来は高いところにある水、つまり雨のことを指しているのか?」

そんなとは知らない。


面倒になる前に誤解は解くべきだ。

私は彼の問いを無視し、ひび割れた舗装の通りを抜け、広場のベンチに座る。モルダートも隣に腰を下ろす。

「エンバーミングは、火葬までの間、腐敗を遅らせる仕事です」

「いや、綺麗に化粧もしていたではないか。焼くのに必要なのか?」

どうやら私の作業を覗き見していたらしい。

「必要です。わずかな時間でも遺族の望む姿に整えるために。それに腐敗は完全には止まりません」

「ふむ。だが私は腐敗せん」


「腐敗しない?」

「私はノスフェラトゥだからな」

聞き慣れない単語に眉をひそめる。

「不死者。正確には不老不死だ」


不死者が死を望む?理由があるんだろう。深入りして逃れられない沼に入るのは避けたい。だから、なぜとは口にはしない。

「では死なないんですね」

「いや、殺す方法はいくつかある。ニンニクを用意してくれ。とびきり匂い立つものを」

「アレルギーですか?」

「……違う。……十字架を持ってきてくれ」

「それで殴るんですか?頭を?」

「……やはり銀の杭だな。心臓に刺す」

「それ誰でも死ぬと思いますけど」

「君は興が削がれることしか言わんな!」

彼は大げさに肩をすくめる。


「不老不死の根拠が薄い…」

私は曇天を見上げる。

雪でも落ちてきそうだなと感じた。


彼は指で空間をなぞり、そこから金品を取り出した。

金銀の装飾品、透かしのある紙幣。精緻さは現代品の比ではない。

「その精巧な金品をどこで?」

どこから出したのですかと聞きそうになるのを抑えた。さらに面倒なことになりそうだと感じたからだ。

「色々なところでだ。不思議と集まってくる」

「研究機関でなら高値で引き取るかも」

「では換金して君を雇おう」

「えっと、なんでですか」

「私は死後も美しく演出されたい」

血色のない顔で目を爛々と輝かせる。


不死者が死後を考えるなんてやはり夢想家(ロマンサー)だなと感じてしまった。

「ところで、いつ行から出発するんです?」

「今からだ」

マイペースを擬人化したらこのような人物になるのだろう。

「いやです。準備があります。まずは銀行に行かないと」

「ではここで待とう。急げ」

「何時だと思っています?夜ですよ?銀行は閉まってます。明日まで待ってください」

「ふむ…ではノックしてくれ」

「は?」

どこを?

モルダートが再び空を撫でる。

裂け目が開き、中には椅子、奥にも何かがあるのがちらりと見える。ひんやりした空気が頬を撫で、金属と香木が混ざった匂いが漂う。

「普段はここに住んでいる。巨大なベッドや風呂もある」

「えっ…」

私が持っている常識ではこの人とまともな会話が出来ないと感じた。


雲間から月が覗き、彼の銀髪を照らす。裾が鳥の尾のように長い黒衣は、織り目まで異様に精緻だ。


「さて、今日は休もう。家まで送る」

私は教会を指差し、言う。

「すぐそこです。女性寮なので結構です。男性が通ると怪しまれますよ」

「君は聖職者か?私を勧誘しないだろうね?」

「しません。信仰を素晴らしいと思っていないので」

「ほう、なぜか聞いても?」

「私は神を感じたことがない。触れられたことも、選ばれたことも。分からないものを、どう信じればいいんでしょうか?」

気づけば俯いていて、口からは自嘲が漏れていた。


気まずい沈黙が落ちた。

モルダートは何か言いかけて、結局口を閉じたまま、私の横顔をじっと見ているようだ。

赤い瞳がやけに静かで、先ほどまでの軽口が嘘のようだった。


「変なことを聞いてしまったみたいだな……では、朝に会おう」

夜気に溶けるように彼は立ち上がる。

その黒衣の裾がふわりと揺れ、闇の奥へすっと溶けていった。


残された私は、広場のベンチに一人、曇り空を仰ぐ。

雪の匂いが濃くなってきた。

私は寮へと戻り、湯浴みを済ませた後床についた。


目が覚めたとき、天井が見えた。

あたりに人の気配はなく、先刻まで会話していた男が、いっそ夢のように思えた。

いや、夢であってほしいと願っている自分に気づいた。しかし、先刻の会話は事実だった。その証拠にどこからともなく声が聞こえてくる。

「ようやくお目覚めか。ずいぶんと遅い朝のようだ」

だが、声の出どころが分からない。

と思っていたら、空間がまるで布が裁断されるかのように裂け、モルダートが這い出てきた。

伝承で聞くホラー映画のような有り様だった。

「ひっ」

思わず悲鳴のような声が出てしまう。こんなものを見せられたのだから仕方ない。「私のこと、見ていたんですか?どこから?」

自分の声帯から発せられたとは思えない、まるで小動物のように怯えた声音だった。

「自室からでも外の景色は見える。それにしても君の寝顔は無防備だな。野生動物ですらもっと警戒する。」

なんだこいつは。デリカシーは無いのか。

「……他人にも興味があるんですね。」

「ああ、頑張って捻り出した感想だ。」

「そうですか。」

残念なことにらどうやら彼はデリカシーを空間に忘れてしまったらしい。


「そういえば私を雇うと言ってましたけど、契約を交わしていませんでした」

「契約とは、力を持たぬものが行うものだろう?」

それは違うのではないだろうか。

けれど、彼の身なりは裕福そうで、下品でもない。

“そういう世界で生きてきた人”という印象だけが残る。


「でも、その、死ぬ予定があるんですよね?」

「いや、予定は無いが」

「ではなぜ“死後も美しく”なんて話を?」

「それは……分からんな。何故そのように思うのか。我ながら不思議だ」

男は大袈裟に肩をすくめた。

私はその仕草を見ながら、ほんの少しの既視感を覚えた。

葬儀の場で、涙を流すふりをする遺族の肩が、時折こうやって揺れる。

死者を想うための演技。けれどその揺れの奥に、本物の悲しみが混ざることもある。

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